祖母の家の謎
祖母の家に昨日今日出会ったばかりの人間はおろか、友達すらも連れて行った事もないものだから、咲とナツを連れて行くことに妙な緊張感を覚えるが、その一方でナツは祖母と面識があるし、咲に至っては大丈夫だろうと何となく思えてしまうから不思議だ。
「あんちゃん、遅い」
「仕方ないだろ。スピード出ないんだよ」
「おーそーいー」
「遅くない」
歩くのと比べたら速いだろ。
相も変わらず速度の出ない自転車を漕ぎながらこんなやり取りをしているのを見て、ナツがおかしそうに笑った。
行きと比べたら何倍も賑やかな道中だった。
祖母の家に着くと、まずは畑に向かう。
今日は千誉と祖母は祖母が育てている野菜の面倒を見ていた。
昨日種をまいたばかりで千誉の方はする事がないのだろう。
「ばあちゃん」
「何だい。今日も行くのかい」
「いや、もう行ってきた。友達連れてきちゃったんだけど」
そこでナツと咲が登場する。
「分かったよ」
祖母が二人を見て納得したように言った。
分かったのかよ。
「昨日の子と…もう一人は見た事はないけども大丈夫だろう」
「いや…」
「基が連れてきたんなら誰でも大丈夫だよ」
すんなりと出会って間もない少女二人を祖母の家に通す事にオーケーが出た事に拍子抜しているとお邪魔しますと咲がはきはきと言い、ナツが軽く一礼をした。
「お家デート?」
駆け足で近寄ると、千誉がそう耳打ちしてきた。
「違う」
「うわ、やらしいんだ」
口元に手を当てて言う千誉がいつも以上に憎たらしく見えてくる。
「こんにちは。これから先輩に私をあそこの泥棒猫、どっちを選ぶのか決めてもらうの」
咲が千誉に近づくと、にやにやとこちらを見ながら言った。
「修羅場だね」
千誉が興奮したように言う。
「修羅場だよ」
おどろおどろしく咲が言うと、千誉が黄色い悲鳴を上げた。
「行くぞ」
間延びした返事をすると、咲が千誉に手を振った。
千誉も同じように笑顔で手を振っているのを見て、咲が早速馴染んできたなと呆れながらも感心する。
「何て事を抜かしてんだ」
「面白いかなって」
勘弁しろよと思いつつ家に入る。
「これがあんちゃんのお家…」
「ばあちゃんの家な」
「変な造りだね」
「変とか言うな」
言わんとしている事は分かるけどさ。
「うわー。台所の横にトイレあるじゃん。え? 全部これ繋がってんの」
茶の間、台所、物置、居間をぐるりと一周してから咲が面白そうに言った。
「家の中を探検するんじゃない」
居間で二人に座布団を勧めてから麦茶と資料になりそうな日記と手紙を運んでくる。
「これが…」
「じいちゃんが遺した日記と手紙だな」
「見ても?」
「どうぞ」
目を輝かせてナツが言うので、自分も改めて資料を読み返す事にするが、やはりめぼしい情報は出てこない。
日記には畑仕事の事や鉄治とナツとの事が書かれている程度で紙切れに関する事が書かれていたのはたった一日、それもナツから宝の手掛かりとなる紙を貰ったと書かれているくらいでそれ以上の事は何も書かれていない。
改めて考えてみると、自転車でお互いの家を行き来する事が可能な距離なのにわざわざ手紙のやり取りをするなんて怪しいと思って手紙を読み返しても芳しい結果は得られなかった。
手紙にはお互いの近況を簡単に語った程度の記述しかなく、それもお互いに結婚して子供が出来てからは手紙のやり取りもなくなっていた。
紙切れを渡したナツの個人情報に絞ると情報は皆無に等しく、どこかの良家のお嬢様で鉄治がナツのお守りの任を帯びていた事くらいしか分からなかった。
何か知っているのなら目の前のナツが何か教えてくれるだろう。
それを言ってこないという事は何も教える気がない、あるいは何も知らないという事だ。
やはり鉄治に話を聞きたかった。
「何か思い当たる事はないか」
ならばと思い、鉄治の孫である咲に聞いてみるが、本人の返事は素っ気ない。
「そんな話、聞いた事もない。何、おじいったら、お嬢様のガードマンしてたの? どこの漫画の話? って感じだよ」
咲は資料の中身には興味がないのか、受け取った日記の表紙を軽く叩きながら祖父の少年時代を想像して愉快そうな笑みを浮かべていた。
結局、資料を読み返しても成果らしい成果は得られなかった。
作業が徒労に終わったせいか、余計に疲れたような気がする。
「何もないね」
飽きたから別な事でもしようと暗に言う咲に対して、ナツは熱心に祖父の日記を読み返していた。
「ナツちゃんだっけ? 面白い?」
「面白いですよ。こんな風に考えていたんだ、こんな風に見えていたんだっていうのが分かって」
「そっかぁ。宝の手掛かりは見つかった?」
「あ、いや、それは…」
「よし。それじゃあ遊ぶぞ」
誤魔化すように笑うナツを見た咲が我慢の限界に来たのか、おもむろに立つと宣言するように言った。
確かに得られるものが何もない以上、無暗に時間を潰すのも癪だ。
息抜きも必要か。
ナツはまだ日記や手紙を読んでいたいようだったが、それでも何も言わなかった。
「遊ぶって。ゲームも何もないぞ」
ゲームは持ち込んでないから遊ぶにしても遊ぶ物がない。
「トランプとかってあるんですかね」
「トランプ…」
どっかにあったかな。
「ゲームとか何とか言ってるけどさ、子供は子供らしく外に遊びに行くのさ。畑やってんだったら遊ぶ場所なんか沢山あるじゃん。家と畑の間に坂があったけど、あっちは何かないの? それにあそこに建物もあるけどあれは何?」
祖母の家は広い。
自宅の隣にはかつて酪農もやっていた名残で牛舎があるし、その傍にはストーブを使うのに必要な薪を保管しておく小屋がある。
咲の言う通り、ちょっとした坂を下りた先にも畑はあり、坂の入り口には馬の墓も立っているなど、祖母の家にはよく分からない事が多い。
坂の下には牧草を梱包してある黒く巨大な円筒状の物体がアトラクションのように積まれているから小さな時にはよじ登って遊んだものだ。
畑の先には川が流れていて、幼い頃は家から川の間を往復するだけでも大冒険だった。
しかし、これらは祖父が健在だった頃の話。
現在は牛舎や小屋に猫が住み着いているし、牧草を包む黒いあれはあったりなかったりする。
川も自治体が土地を買い上げて整備したおかげで簡単には行く事が出来ない。
これらの事を説明してやると、咲は目を輝かせた。
「良いじゃん! 面白そうだよ。行ってみようよ。ねえ、ナッちゃん」
「面白そう」
ところが、思った以上に二人の反応が良く、結局は遠藤家の散策をする運びとなった。
まだ午前中だというのに今日はやけに暑い。
からっとした暑さはどこか咲を連想させる。
愉快そうに笑い、先頭を踊るように進む姿がこの季節にぴったりだからかもしれない。
隣を歩くナツは名前の割に夏っぽくない。
この掴み所のなさはどちらかというと春のようだ。
今も感情を読み取るのが難しい顔をしながらぼんやりと前を見ている。
彼女はなぜ宝探しをしているのだろう。
なんて事を考えながらナツを見ていると目が合った。
「何か?」
「なんでも」
君の事を考えていたんだ、なんて言ったらキモがられるに決まっている。
坂に差し掛かり、馬の墓が見えると、咲があれはなんだと興味津々に聞いてくるから説明してやると遠くから両手を合わせた。
日陰に入ると、タイミング良く涼しげな風が吹いたおかげで気持ちが良い。
あるいは夏の木陰の方がナツの印象としては相応しいのかもしれないと思った。
日差しのように明るい咲。
木陰のように涼しげなナツ。
祖父が彼女達の祖父、あるいは祖母と共にある時間を過ごしていたのだと思うと、彼らの子孫とこうして一緒に過ごせるというのはどこか感慨深いものがある。
祖父、遠藤信人はテツやナツの事をどう思っていたのだろう。
後生大事に紙切れを持ち続ける程に大切な友人との交友はどうしてある日を境に途切れてしまったのだろう。
約束が違うじゃないかという鉄治の言葉。
ナツが宝を追い求める理由。
気になる事が増えた。
何かしたいというだけではなくなっていた。
知りたくなった。
祖父の事。
昔の事。
そしてナツの事を。
しばらくトラクターが作った道を進んでいくと、畑が見えてくる。
「これは?」
大分先を進む咲がこちらを振り返って聞いてきた。
畑の一角でなぜか育てられている花を指して言っているのだろう。
それほど大声ではないのに、ここまで届くものだから、いつもの調子で答えると、咲から聞こえないと言われてしまう。
「知らなーい」
「何それ」
相変わらず通るその声に答えてやると咲が期待外れだと言うように言った。
「カンナですね」
咲に追い付くと、ああ、という感嘆詞を浮かべてナツが言った。
満開の花が畑の一角を占領していて、思わず溜息が出そうになる。
「カンナ」
「見事ですね。それにしてもどうしてここだけこんな花を? それに中くらいはどうして何も植えていないのですか」
「さあ。季節ごとに種類は変えてるみたいだけど、そこまでは。植替えの度にあそこだけ何もしないのは逆に面倒だってばあちゃん、ぼやいてますよ」
ナツの言う通り、ここだけ花を植えて、しかも花畑の中心部に何も植えずに空白地帯を作っている理由を自分自身、あまり知らない。
「そうなんですか」
ぼんやりと、遠い目をしてカンナの花を見つめるナツ。
そんなナツを見てチャンスと思ったのか、咲がおもむろにナツに近づくと、麦わら帽子を奪って、そのままカンナの花が咲く畑の中に突っ込んでいく。
「どう? これなら美少女っぽいでしょ」
振り返り、花の中から満面の笑みを浮かべて咲が言った。
この前、男と勘違いしたのを根に持っているようだ。
残念ながら、その光景は見ようによってはそのように見えなくもなく、ただそれを口にするのがどこか釈然としなかった。
「ノーコメント。人の帽子を勝手に奪うんじゃない」
「照れるな照れるな。あらよっと」
咲はしたり顔で言って、麦わら帽子をブーメランのように飛ばした。
「わっ」
ナツは軽やかに飛んでくる麦わら帽子に驚き、慌てたように手を上下させた末にどうにかキャッチした。
どこが面白かったのか、その様子を見てからからと笑った咲が花畑から出てくる。
「奪った物を投げて返すんじゃない」
「でもさ、前を見ないと帽子は取れなかった訳で」
「何を言ってんだ?」
「ナッちゃん。何を見てるの? どこを見てるの? しっかり花見てた? 私の事、見えてる?」
下から覗き込むようにしてナツの顔を見つめる咲。
冗談を言うには真顔過ぎて、何と言って良いか分からなくなる。
咲も咲で、何を考えているのか分からないナツが気になっていたのだ。
咲の言葉を受けて、じわじわとナツの瞳が大きくなる。
その様子は焦点が合ったという一言が似つかわしく、心ここにあらずと言ったナツの顔色が変わった瞬間でもあった。
「ああ…。はい、大丈夫です」
「戻って来たんなら良し。それよりさ、あれは? ミステリーサークル?」
花畑の中にはぽっかりと地面の茶色を覗かせている場所を指して咲がナツと同じように聞いてきた。
「ばあちゃんに聞いてみないと分かんないな。わざとらしいんだけど。止めたい止めたいってずっと言ってんだよ」。
「この家は不思議な事ばっかだなー。行こう、ナッちゃん」
先程の会話ですっかり通じ合ったようで、次第に二人は何て事のない会話をする度に笑い合い、顔つきこそ似ていないものの仲の良い姉妹なんじゃないかと思わせるまでになった。
主に咲が一人で牧草が詰まっている黒いフィルムで覆われた物体に登って遊んだり、都合よく草刈りがされていた道なき道を進んで川の様子を見に行ったりしている内に太陽が天頂に届きそうな場所まで登っていた。
「いやー、お腹減ったね」
一人で元気に駆け回った咲が帰ってくると、空腹すらも楽しむように笑顔で言った。
「そろそろ戻るか」
時間を確認してみると十一時半を少し回ったくらいだった。
一時間とちょっとしか外に出ていなかったが、随分と長い時間をナツや咲と過ごしたような気になっていた。
徒労に終わった情報収集で疲れた気持ちは随分と軽くなっていた。
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