怒り

 目を覚ますと千誉の姿はなく、昨日と同じ文面の書置きが居間に置かれていた。

 顔を洗い、朝食を摂り、スタミナを削って時間まで祖父の遺した資料を漁る。

 少し真似をしたくなって『探さないで下さい。お昼は米が食べたいです』と書いたメモを残してから家を出た。

 栗岡村で何をしているのかがバレてしまったので、畑には寄らずに家を出る。

 

 向かうは咲と鉄治がいる旅館ふなさか。

 三日目にして朝のルーチンが完成されてしまったが、これはこれで有意義ではある。

 あるんなら教えて下さいよ。

 ゆっくりとした速度しか出ない自転車を漕いで旅館ふなさかまで行くと言い合う声が聞こえてきた。

「知るか! さっさと失せろ!」

 物騒だなと思いながらも敷地に立ち入ると、鉄治と東堂が言い合っていた。

「そんな感情的だと余計に怪しく見えてくるな」

「いい加減にしろ!」

 鉄治の声は荒れていて、対する東堂はへらへらとしている。

 大方、記事にする取材をしようとして礼を欠くような事を言ったに違いない。

 鉄治が東堂の胸倉を掴んだ。

 そこからの会話はよく聞き取れなかったが、東堂は終始意地の悪い笑みを浮かべてへらへらしていた。

 面倒な事になりそうだと思い、自転車から降りて少し離れた所から成り行きを見守っていると、おもむろに手を放した鉄治がおもむろに旅館の中に入って行った。

 ちらりと見えた鉄治の顔を見て、寒気を覚える。

 鉄治の顔からは表情が消えていた。

 東堂は取材に応じる気になったと勘違いしたのか、鉄治に続いて旅館に入って行くが、すぐによろけるように旅館から出てきて、それから段差に躓いて尻餅を付いた。

「いい加減にしろ!」

 怒号と共に鉄治も姿を現す。

 その手には斧が握られていた。

 これはいよいよ大変だぞと思って二人に近づくと、旅館から咲とナツが出てきた。

「おじい! タンマ! タンマタンマ」

 咲が鉄治の手を握るが、鉄治はうるせえと言ってその手を振りほどく。

「次にこの中に入って来てみろ。捌いて家畜の餌にしてやるからな」

 手に持つ斧を東堂に向け、鬼の形相で東堂に言う。

 東堂は尻餅をついたまま、よろよろと器用に後退する。

 まだ立ち去らない事を見かねた鉄治が斧を振りかぶると、遂に東堂は悲鳴を上げて逃げ出した。

 その際に東堂とすれ違ったが、東堂がこちらに気付く様子はなかった。

 あんちゃんと呼ばれるまでの間、東堂の行方を目で追っていたが、彼は不格好に走り続け、角の所で転んだ。

「あんちゃん」

 視線を東堂から外す。

 鉄治と咲、それからナツが揃ってこちらを見ていた。

「よう」

 手を挙げて言うが斧を持った鉄治がいるため、妙な緊張感がある。

「誰だ」

 鉄治はまたおかしなのが来たとでも言うようにこっちを見て言った。

「ほら、このお客さんと一緒に来たでしょ」

「そうだったか」

 ナツしか見ていなかったのか、鉄治は本当に覚えていない様子だった。

「だから斧、片したら? ビビってるから」

 鉄治が屋内に斧を戻しに行くと、安心して近付く事が出来る。

「五分、遅刻だね」

「五分前にはここにいたかから」

「それで何して遊ぶ?」

「その前に話がしたいんだ。咲のじいちゃんと」

 咲の隣にいるナツに視線を送ると、彼女は無言で頷いた。

「おじい!」

 咲がきょとんとしながらも鉄治を呼ぶと中から顔だけ出した。

「あんちゃんが話があるって」

「何だ」

 会話が始まったとは思えず、もう一度何だと言われてこれは自分に向かって言っているんだと気付く。

「式口ナツと遠藤信人との話を聞きたいんです」

 言葉の内容を吟味するような間があった後、鉄治が外に出てきた。

「ナツとノブの話だって? さっきの不審者の仲間って事はないよな」

「それはありません」

「それはないよ」

「お、おう…」

 ナツと咲が揃って否定すると鉄治が面食らったような顔をしていたのがどこかコミカルで、不用心な事をしなければ斧を持ち出させる事にはならなそうだと思えた。

「遠藤基と言います」

「遠藤…?」

「信人は祖父です」

「ああ、そういう事か。そうだな、言われてみれば…。それで? 何の用だよ」

 スマホを取り出して紙切れの画面を見せる。

「宝探しをしています。この紙切れについて何か知っていないかと思いまして」

「あんちゃん。まだやってんのかよ」

「私からもお話を聞かせて下さい」

「ええっ。お客さんも?」

 午前に別れた後の出来事を知らない咲が呆れたように言ったが、ナツも話を聞きたいというと驚きの声を上げた。

「…約束が違うじゃねえか」

 そして鉄治が咲以上の反応を示した。

 鉄治はナツに向き合うと絞り出すように言った。

「ナツ。お前、何しに帰って来た」

「え?」

「ノブの孫とつるんで何してんだ」

 挑みかかるように鉄治が話す。

 その様子は静かながら腹の底から言葉を絞り出すようで、先ほどの東堂に見せた威嚇以上の何か、さながら心火の一歩手前くらいの怒りのように見えた。

「わ、私も彼と一緒に」

 その様子にナツの表情に怯えが見え隠れする。

「約束が違うじゃねえか。初めは何かのおふざけかと思ったけどよ、そうじゃねえってんなら、俺にも考えがあるぜ」

「約束…」

「基だっけか。悪いがあれは渡せねえな」

「おじい。お宝があるなら良いじゃん。渡してあげなよ」

「ダメだダメだ」

「どうしてダメなんですか」

「このアマに聞きやがれ。俺はこれ以上、この話をするつもりはねえからな」

 話にならないとでも言うように旅館の中に入ろうとする鉄治を止めるが、返って来た鉄治の返事はにべもなく、これ以上はどうしようもないのだという事が嫌でも分かってしまった。

 ぴしゃりと大きな音を立てて絞められた旅館はそれ以上の侵入を拒む空気が漂っていた。

「何あれ。少しくらい良いじゃんかよ。頑固爺」

 そんな中でも咲が簡単そうにむくれて言ったのは、彼女が鉄治の孫娘というだけではないのだろう。

「もう良いよ。あんちゃん。行こ。お客さんも良かったら一緒に行こうよ」

「え、でも…」

「いいの。ああなったらどうしようもないから。本当、困っちゃうよね」

 咲はナツを新たに仲間に引き入れると、どこからか自転車を引っ張り出して来た。

 祖母から借りたボロイ自転車などではなくマウンテンバイクとでも言えば良いのか、全体的にスタイリッシュな自転車だった。

「随分と早そうな自転車だな」

「ロードだからね。走りやすいよ。転びもしないよ」

 昨日の事を言ったのか、咲はにやにやと笑っている。

 怒ったり、笑ったりところころと表情を変える咲の顔を見ている内に、今のやり取りに必要以上に緊張を覚えなくても良いのではないかという気にさせてしまう。

「それでどこに行くんだよ」

「宝探しするんでしょ。私も混ぜてよ。あれから何があったのかも一緒に教えてよ」

「だからどこに行くんだよ」

「だったらお兄さんのお家なんてどうですか。紙切れも渡していますし。それにノブちゃんの遺した物があるんですよね」

「あ、良いね。行こう行こう」

「勝手に決めるな」

「ダメなの?」

「良いけどさ…」

「じゃあ行こうよ」

 言うや否や、咲が自転車を漕ぎ始めていた。

 ナツも自転車を持ってきて、祖母の家に行く気満々だった。

「…じゃあ行くか」


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