秋を待つ先祖

 結局、五分程かけて遠回りをする事になった。

「遅い」

 ぴっと釣竿を引き上げて咲が言う。

 棒に糸しか付いていないような簡素な釣竿であったが、しっかりと釣りは出来るようで、小さな魚が釣れていた。

「野性児と一緒にしないでくれ」

「野生児は竿を使って魚は獲らないよ。って誰が野生児や」

 ノリツッコミをしつつ、咲がにこやかに答える。

「それであんちゃんは何を調べてんのさ」

 そう問われ、スマホに収めた写真の一つを見せる事にした。

 その写真には原点、祖父が孫の誰かに渡すはずだった紙切れが写されている。

「何これ」

「宝の地図」

「嘘くさ」

「じゃあ話はこれで終わり。はい解散」

「あー待って待って行かないで」

「家のじいちゃんが持ってた物なんだけど、裏に宝の地図って書かれてた」

 話を最後まで聞けと思いつつ説明をしてやる。

「嘘くさ」

 懲りずに同じ事を言い、続けてこう言った。

「そもそも宝の地図に宝の地図ってメモなんか書きするの?」

 言われて、それもそうかと納得してしまいそうになるが、納得してはダメだ。

「いやいや。前提を否定しないで」

「もしかしてありもしない宝を探すのが自由研究?」

「ありもしないとか言うな」

 流石にムッとした。

「だってそうじゃん」

「孫に渡すとも書かれてたんだから少なくても何かあるのは間違いないだろ」

「お茶目な人だったんでしょ」

 ひたすらに無口で、祖母と何かを話している様子すら記憶にない。

 真面目で寡黙、それでいて無言の愛情を孫に注ぐような人だった。

 幼い時は童話に出てくる心優しい樹木の精霊を連想したものだ。

 農業で日に焼け、マメで固くなった手の感触が今も忘れられない。

「それはない」

 だからこればかりは完全に否定する事が出来た。

 祖父はそんな事をするような人ではない。

 はずだ。

「つーか暇なんだろ。ある前提で話をした方が暇潰しになるんじゃないんですかね」

「まあ。確かに」

 渋々ながら納得させ、画像を拡大させる。

「綻ぶ春、先祖一人が立ち尽くす、来たる秋を待つのだろう」

 紙切れに書かれた謎の一文を見せながら読み上げる。

「とりあえずこの謎を解きたい。何か場所を指してるんだろうけどさっぱり分かんないんだ」

「先祖一人が立ち尽くす。ねえ…」

 顎に手をやり、いかにも考えてますというポーズを取っていた咲はバケツの中を川に戻し、糸を竿に巻き付けて竿を片付けるとそれらをその場に置いて歩き始めた。

「よし、行こうか」

「分かったのか」

「多分ね」

「地元の野生児は違うな」

「誰が野生児じゃ。ほら行くよ」


 橋を渡り直し、転ばなければそちらへ行っていたはずの方を進む。

「この先には林があるんだよな」

「林…まあ林か。うん、あるよ」

「そこに何があるんだ」

「秘密」

「は?」

「行って実際に見てみた方が絶対に良いって」

 どうせすぐにその何かを見る事になるのだからと思い、深く追及はしない事にする。

「船坂鉄治」

「おじいがどうしたの」

 やっぱりあの老人がそうか。

「家のじいちゃんの親友みたいなんだ」

「じゃあ私達も親友って訳だ」

「どういう訳なんですかね」

 咲が相手だとすらすらと会話ができる。

 時折見せる馬鹿っぽい言葉のせいか、あるいは彼女が持つ朗らかさがそうさせるのか定かではないが、会話が格段に弾む。

 人懐っこい咲の魅力の一つなのだろう。

 千誉に会わせたら意気投合しそうだ。


 しばらく取り留めのない会話をしていると、やがて石段が現れた。

 石段には雑草は一つも生えておらず、土で汚れたような箇所も見当たらない。

 丁寧に手入れがされている様子だった。

「それじゃあチャリはそこら辺に止めて」

「盗まれないか」

「こんな所でそんなボロいチャリを盗む奴なんていないよ」

 確かに荷物にしかならないか。

 念のため鍵を掛けるが、その気になればすぐにでも壊せそうな代物なので少し不安になる。

「大丈夫だって。早く早く」

 既に階段を登り始めた咲が急かしてくる。

 自転車を抱えながら階段を登るのも骨が折れる事は目に見えていたので、後ろ髪引かれる思いで石段に足を掛ける。

 木々が生い茂る中に足を踏み入れると、すぐに涼しさを感じた。

 風が吹く度に擦れる枝葉の音が大きくなる。

「あんちゃんはさ、ここをどう思う」

「気持ち良いな。こんな場所はなかなかないと思う」

「そうじゃなくて、栗岡村の事」

「田舎だよな」

「他には」

「シュールだ」

 昨日の夕方、村の中心部とも呼べる場所で感じた事を素直に言葉にした。

「シュール?」

「建物は古いのにテレビは新しい」

「地デジのせいね」

「ランドリーだって最近のだろ」

「去年かな、何か急に洗濯機の故障が続いてね。この村、爺婆ばっかで最新の洗濯機の使い方が分かんないんだって。それでどういう訳か村の皆で金を出し合ってあそこを作っちゃって。おかげであそこだけ大繁盛。しかもさ、ランドリーに入れたのが最新式の乾燥まで一気にやってくれるやつっていうんだから笑っちゃうよね」

 使い方分かるじゃんと咲は呆れたように言っていたが、気持ちは分からないでもない。

 若い人間は村から離れて身近には歳食った人間しかいない。

 生活はどんどん便利になって、外に出なくても生活が出来るようになった。

 要するに人との接点がなくなって寂しいのだろう。

 皆が洗濯機を捨ててランドリーを使うようになれば、そこには人が集まる。

「あそこの前を通る度に話し掛けられるんじゃないか」

「よく分かるね。溜まり場になっててさ。よくアイス買ってもらうんだ」

 真っ黒に日焼けした咲を見ると、容易に想像がつく。

 外で遊びに行く途中か、あるいは帰り道。

 ランドリーの前を通る咲に声を掛ける。

 咲は笑顔で応える。

 その姿を見て、彼らは元気をもらうのだろう。

「高校はやっぱり村から離れるのか」

「まあね。どうしたって長い時間かけて通う事になるんだ。だったら、あんちゃんの行ってるとこに行く」

 咲の中では既に進学先が決まったらしい。

「寂しくなるね」

「何それ。おじいちゃんみたい」

 まだその歳には程遠いけれど、祖母を見ていると何となく分かる。

 どんどんと自分の子供や孫が自分から離れて行く。

 だから時に来訪する孫を引き留めたくて孫には甘い顔をするし、話している時はどれだけ仏頂面をしていても声が弾むのだろう。

 

 石段を登りきると開けた場所に出てきた。

 そこには立派な木が一本、石段を登りきった人々を出迎えるように立っていた。

 その木の先には蕾があり、春先によく見る桃色をしていた。

「桜か」

「毎年、狂い咲きするからここらじゃ有名なんだ」

「真夏に咲くなんて変だな」

「咲くのは秋口に入ってから。それまではずっとこんな感じ」

 咲はずっとその場で足を止めていた。

 まだ花は咲いていないが、うっすらと色付いている蕾を見ると、季節外れな感は否めないものの、じっくりと見ていたくもなる。

「ここが目的地。この桜があの俳句もどきが示した場所」

 いい加減、先に進もうという考えが顔に出ていたのを察した咲が言った。

「ここ?」

 呆気なく辿り着いてしまったこの場所に何が眠るというのか。

 見た限り、何もない。

 桜を見るためだけの空間が申し訳程度に開かれているだけだ。

「この先には何がある?」

 これ以外に何かあるんじゃないか。

 そこに何かあるんじゃないのか。

「小っちゃい御堂があるよ。そこにお地蔵さんが置かれてる」

「もしかしたらそこにあるんじゃないか」

「何が」

「何がって」

 言われて、答えに困った。

 道具とか宝へ辿り着くために必要な何かがひっそりと置かれているのだろうと想像していただけでそれ以上は深く考えていた訳ではない。

「いや、何かあるはずなんだ」

 絞り出すように言葉にして、そこら辺の草叢を掻き分ける。

 何でも良い。

 あるはずなんだ。

 何か出てきてくれ。

 そう祈りながら、這うように探す。

 しかし、出てくるのはゴミばかりで目を惹く何かは出てこなかった。

 もしかしたら何か埋まっているかもしれない。

 そう考えて桜の木の根元を掘ろうとするが、地面が固くてまともに掘る事も出来ない。

 ならばと駆け出して進むと御堂が見えてきた。

 御堂というには小さく、地蔵の一体を保護するためだけに建てられたような物があった。

 その御堂の中を覗き込むも、びっしりと虫が湧いていて、気持ち悪いものが背筋をなぞるだけだった。

「古代人が遺した遺跡に金銀財宝が眠ってると思った? 田舎だよ。何もない田舎。子供が遊び半分に埋めたお宝、きっと玩具か何かだ」

 仮に何かあったらとっくに見つけられてるよ。

 ゆったりと歩いてきた咲に苦笑され、顔が熱くなる。


 夏休み。

 紙切れ。

 宝探し。


 そんなキーワードだけで何か凄いものが眠っていると勝手に思っていた自分が急に子供っぽく感じられた。

 いや、実際、子供っぽい発想だけで夏休みの計画を練ってここまで来たんだけどさ。

 それでもここまで何もないと怒りが湧いてくる。

「どうしてあそこなんだ」

なりふり構わず探しても結局は何も出てこない事が余計に恥ずかしく感じられ、ムキになってそう聞いた。

「狂い咲きの桜。昔の人の中には先祖がえりって言ってる人もいる。そして、あれはいつだって秋を待って花を咲かす。これ以上に相応しい場所はどこかあるのかな」


 綻ぶ春 先祖一人が立ち尽くす 来たる秋を待つのだろう

 

 その一言は紙切れの書かれた文章を説明するのには十分すぎる程の説得力を持っていて、反論の余地もなかった。

 急に力が抜けた。

 咲の言う通りだ。

 宝と呼ぶに相応しい物が埋まっているのだとしたら噂になっているだろうし、とっくの昔に掘り出されているだろう。

 そんな事が起きていないのなら、それは逆に言えばこの村には何もないという事だ。

 じゃああの紙切れは何だというのだ。

 後生大事に持っていた紙切れ。

 宝の地図、孫に渡すとメモ書きするほどの物。

 その結果がこれだ。

 あんまりじゃないか。

 ここに来るまでのわくわくを返してくれ。

 そしてこれからの時間をどうしてくれるんだ。

「それとも狂い咲きの桜を見せたかったのか?」

 だったら生前に花見をしようと言えば親戚は集まっただろうに。

「…何もなかったな」

 口にして、本当に何もなかったのだと諦めが付いた。

 それとも後でスコップでも持ってもう一回ここに来ようかなと思ったものの、手入れされている石段が目に入ると、迂闊な事をすると警察沙汰になるかもしれないという良識が働いた。

「これからどうする?」

「任せる。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 宝探しはおじゃんになった。

 これからずっと暇なのだ。

 咲の遊び相手になるのも将来の後輩と仲良くなるチャンスと思えば悪くない。

「悪かったよ。年上のお兄さんを虐めて私も大人げなかった」

「どうせ子供ですよー」

「あーもう!」

 咲はいい加減にしろとでも言うかのように声を大きくした。

「そんなあんちゃんとは遊びたくないかんね」

「悪かった。それじゃあ野生児らしく川に飛び込んで魚でも獲るか」

「だーかーらー。野生児じゃないってば。私、女だからね? 傷付くよ。トイレで泣いちゃうよ」

 傷付いた素振りを一切見せずに言ってから、咲が歩き始める。

「それじゃあ何すんだよ」

 隣に並んで聞く。

 並んで歩くとほんのりと甘い香りがして、隣を歩く子は確かに女なのだとはっとさせられる。

「折角ここまで来たんだ。虫取りでもしようか」

 鼻孔をくすぐるシャンプーの香りに反して発想は小学校の男子のそれで、ナツと違って会話が弾むのはこのせいなのだと気が付いた。

「女は虫取りしようとか言わないだろ」

「はい男女共同参画社会基本法」

 意識した低温が人を小馬鹿にしている事を強調してくる。

「腹立つ言い方だな…つーか何だそれ」

「社会で習ったでしょ。男女共同参画社会基本法」

「雇用機会均等法くらいしか覚えてない」

「とにかく。虫取りは男だけのものじゃないの」

 狂い咲きの桜を目で追いながら足はいつしか石段を降りていた。

 林を抜け、陽射しの中に出ると、しんわりと熱気が纏わりついてくる。

「虫取りは良いのか」

「もしかしたら落ち込んでるのかと思ったけど、別にそうでもなさそうだからやっぱいい」

「俺もね、高校生なの。当てが外れたくらいで落ち込まないって」

 時間を返してくれと嘆いたくらいだ。

「そっか。なら良いや。私、昼から宿題しながら店番しなくちゃだから早めにお昼なんだ」

 スマホを取り出して見ると、十一時を回った所だった。

「明日はどうする」

「え?」

「宝探しは終わりだ。暇なんだろ。遊ぶの付き合ってやるよ」

「良いの! うわあ、やった」

 わざとらしいくらいに万歳をして喜ぶ咲の笑顔が眩しい。

「それじゃあね、九時。明日の九時に家に来て」

 ばいばいと大きく手を振ってから咲が帰って行った。

 石段の前で一人になり、後ろを振り返る。

 狂い咲きの桜までは遠い。

 ロックを外して自転車を漕ぎ出す。

 きついが、重たいペダルを踏んで自転車を前に進める。

 昼飯を食ったら千誉の自由研究に取り組む様子でも観察していよう。

 汗が全身を流れて不快指数が急上昇する。

 珍しく車が通ったので、地面に足を着く。

 車はとっくに通り過ぎていたが、ペダルに足を掛ける事が出来なかった。

 これで夏が終わってしまうのか。

 もう一度、林の方を見る。

 雲一つ見当たらない空と生い茂る木々のコントラストが目に染みた。

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