もう一枚の紙切れ

 昼食はカレーそばだった。

 今朝までとは違った和風の出汁が効いたカレーを食べ終えると、祖母と千誉は例によって洗い物を押し付けて畑に繰り出していく。


 一人残り、洗い物を片付けてから畑に向かう。

「基、どうした」

「見学」

 千誉の自由研究を見学するつもりだったが、既にやるべき事は終わっていた。

 畝が出来ており、それっぽい感じになっている。

 その代わりに千誉は祖母の畑仕事を手伝っていた。

 雑草をむしり、時には実っているきゅうりをつまみ食いしながら二人は楽しそうに身体を動かしている。

 その様子をじっと見ていると動いている訳でもないのに汗が滲み出て、気持ち悪い。

 あんな風に身体を動かせばこの汗も気持ちの良いものになるのだろうが、生憎とそんな気持ちにはなれなかった。

「お兄ちゃんもやったら」

 遠くから聞こえる千誉の声色は弾んでいる。

「水飲みなよ」

 同じ場所から言う祖母は対照的で心配する声だった。

 言われてみれば暑いのに汗がそれほど出ていなかった。

 何の気なしに上を向くと熱気のせいかぼうっとする。

 これはヤバいな。

 そう判断し、屋内に避難する。

 冷蔵庫を開け、冷えた麦茶の入ったボトルを取り出す。

 叔父が買ってきたビールジョッキを出して表面張力が働き始めるくらい注ぐ。

 零さぬように気を付けながら口元にジョッキを運び、それから一気に飲み干した。

 麦茶が喉元を通り、腹に溜っていくのが分かる。

 冷たさが伝う事で胃袋の大きさを感じられたのが面白かった。

 ジョッキを流しに置く。

 見ていても面白くない事が分かり、再び畑に行く気にはなれなかった。

 少しだけ残った宿題を持ってきてはいたが、これに取り掛かる気にもなれない。

 宝探しが終わってしまった。

 呆気なかった。

 何もなかった。

 改めて思い出すが、清々しい程に何もなかった上に何も残らなかった。

「暇だな」

 声に出したところで何も変わらない。

 少し疲れてしまい、畳の部屋に移動して横になる。

 ふと目を閉じると、何か鳴った気がした。

 目を開けると窓から差し込む光の色がわずかに変わっていた。

 時計に目をやると、一時間ほど寝ていたらしい。

 ピンポーンという間の抜けた音がした。

 もう一度、同じ音が聞こえる。

 千誉も祖母もまだ畑に行っているようで家の中には誰もいないようだった。

 起き上がって応対する。

 訪れた客はナツだった。

「あれ、お兄さん」

「こんちは」

 そう言う声は擦れていて、寝起きだという事がバレたのではないかと心配になる。

「お家の方はいらっしゃいますか」

「ちょっと待ってもらえますか」

 直接畑に行って祖母を呼びに行くのもありだが、千誉に電話をした方が早そうだった。

 急いで電話を掛ける。

 千誉はすぐに出て、用件を話すと祖母がこちらに向かったと返事があった。

「まあ、上がって下さい」

 悪い人ではないだろうと判断し、中に上げる。

 座布団を用意し、ナツを座らせる。

 しばらく無言で向かい合っているとやがて祖母がやって来た。

「お茶くらい出してやんな」

 やって来るなりそう言われたので、麦茶を用意する。

「千誉を見てやっておくれ」

 ナツがどんな用件でやって来たのかを知りたかったが、小学生の妹が炎天下で農作業をしているのを見ておけと言われたらそっちを優先するに決まっている。

 熱中症で倒れられたら困る。

 ナツに一つ頭を下げてから畑に向かうと、なぜか千誉は鍬で素振りをしていた。

「何やってんだ」

「素振り。だってこんなの振り回して野菜を作ってたんだと思うと、やっぱ凄いよね」

 賢いくせにどこか抜けているのか、千誉は時々おかしな事をする。

 祖母が見ておけと言った理由が分かる場面だった。

「誰か来たの?」

「ナツさんが来た」

「ナツ?」

 そう言えば千誉は彼女の名前を知らない。

「昨日、駅で一緒になったろ」

「お兄ちゃんが惚れた」

「ああ、そうだそうだ」

「うわー、認めた!」

 大事件だとでも言うかのように千誉がはしゃぐ。

 否定したら訳知り顔で笑みを浮かべ、肯定すれば大騒ぎと来るのだから面倒臭い。

 世の小学生はこんな状況が跋扈する校内で六年間も過ごすのだから大変だ。

 きゃいきゃいとはしゃぎながら鍬を振り回す千誉にうんざりする。

「危ないでしょ!」

 悲鳴にも似た怒声が後ろから飛んできて更にうんざりする。

「基! 千誉を見ておけって見るだけじゃないからね。千誉も鍬を振り回すんじゃない!」

「ごめんなさい」

 しょげて謝ると祖母は大きな溜息を一つ吐くと、すぐに怒りを収めて言った。

「基、千誉もちょっとおいで」

 要するに二人とも帰ってこいとの事だった。

 ナツさんはもう帰ってしまったのか。

「ナツさん、来てたんでしょ」

「ナツ? ああ、あの子ね。まだいるよ」

「本当に」

 千誉が駆け出す。

「鍬を仕舞いなさい」

 祖母が言うと、千誉が家とは反対方向にある物置に進路を変えた。

「何の用?」

「本人に聞いてみな」

「ねえねえ、何の用?」

 すぐに千誉が戻って来て祖母に聞くが、祖母は同じ言葉を返していた。

 そのまま駆け足で千誉が家に入って行く。

 こんにちは。

 外まで聞こえる大きな声が聞こえた。

 少し遅れて家の中に入ると、ナツが綺麗な姿勢で正座をして待っていた。

 真似でもしているのか、普段は正座なんかしない千誉がナツの隣で同じように座っている。

「こんにちは」

 ナツが微笑を浮かべて言った。

「…こんにちは」

 改めて挨拶をされると照れくさくなる。

「お兄ちゃん、照れてるでしょ」

「照れてない」

 年頃なのか、妹の口調が先程よりも少しだけ大人ぶったものになっていた。

 見も知らぬ年上の少女が近くにいれば自分も大人ぶりたくもなるか。

「それで何の用?」

 ナツと向かい合うようにして座る。

 祖母が無視して奥に行ったと思ったら麦茶を持ってきた。

「基。あんた、何か紙切れを持って行ったでしょう」

「それが?」

 何もない、ただの紙切れだ。

 ナツは手帳を取り出し、そこから何かを取り出した。

 丁寧な仕草で渡されたそれを手に取る。

「これは?」

 そう聞くが、答えは分かりきっていた。

「宝の地図です」


 佇む秋 照らす瞳の足元は暗い 視線は冬に向くだろう


 自分が持っているのと同質のそれにはそう書かれていた。

 文を読むと、すっかり冷めた気持ちが揺れ動く。

「同様の紙切れがあるかと思い、お邪魔させていただきました」

「基。持ってるかい」

 祖父の資料と一緒に置いてあった紙切れを持ってきて渡す。

「これが…。ああ、そうでしたか。捨てなかったのですね」

 紙切れを手に取ったナツは目を細めて、懐かしむような、慈しむような顔をした。

「お兄ちゃん、お宝を探しに来たの」

 こういう時、余計に鋭くなる千誉が憎たらしい。

「何を、見つけましたか」

 意外な事にナツが温和な顔立ちに似合わず真剣な顔をしていた。

 生唾でも飲みこみそうな気迫で見つめられて言葉に詰まる。

 誰も何も言わない。

 皆が自分の一言を待っているような気がした。

「…何も。何もなかった」

 この一言を言うにはとても勇気が要って、言葉にするまで少しの時間が掛かった。

 自由研究だと言って誤魔化し、予想もしなかった方向から夏休みに夏期講習も受けずにやろうとした宝探しが暴露された上、成果の一つも挙げられなかった事が知れ渡った。

 これだけの恥をたった一言に濃縮させると、いてもたってもいられなくなる。

「そんなはずはありません」

 咲に散々否定された宝探しをナツが再度否定した。

 それは午前中に結論付けた事の否定であり、宝へのヒントがあの狂い咲きの桜の木の近くに眠っている事を示唆するものだった。

「辺りを探しても何も…」

「そんなはずはありません」

 ナツは持ってきていた小さなポーチから別な紙切れを取り出した。

 それは祖父が遺した物やナツが持ってきた物と比べると格段に白く、紙切れの断片と呼ぶのが相応しいサイズだった。

「神社の横にある灯篭の中を調べたら出てきました」

 この紙切れにはこれまでに見た紙切れに書かれていた物と同様の謎が書かれていたが、全文ではないようだった。


 行く 春と出会うだろう


 それしか書かれていない紙切れの断片は、たったそれだけしか書かれていなくても祖父が遺した紙切れに意味を与えた。


 綻ぶ春 先祖一人が立ち尽くす 来たる秋を待つのだろう


 ナツが見つけた新たな紙切れがこの文を辿った先にまだ何かある事を示してくれたのだ。

「あそこにはこれと同じ物が?」

 ナツが無言で頷く。

 宝探しはまだ終わっていなかった。

 当時の少年少女が隠した宝物にどれだけの価値があるのか分かったものではないが、それでも身体の芯が熱くなったような感覚を覚える。

「この紙切れはどこを示していたのですか」

 そう聞かれ、石段の上の狂い咲きの桜を教える。

「桜…。分かりました。では今からそこに行きましょう」

 言い終える前にナツは立ち上がっていた。

「お兄さん。行きましょう」

 失礼します。麦茶、美味しかったです。

 祖母に短い礼の言葉を贈ると、ナツは白いパンプスを履いて外に出た。

「女を待たせるもんじゃない。行ってやんな。自転車は好きなものを使って良いから。最悪、あげちまっても良いよ」

 どうしたものかと逡巡していると祖母が背中を押してくる。

「デートだ。デートだ」

「デートじゃない。自由研究だ」

 小声で密かに興奮している千誉にツッコミを入れる間に心は決まった。

 立ち上がり、靴を履く。

 くらくらする。

 熱中症ではない。

 未だ見ぬ宝が確かに存在するのだという興奮。

 意図せず、らしくなってきた事に対する喜び。

 それらが全身を揺さぶっている。

 気持ちの良い感覚だった。

 外へ出る。

 日が暮れるにはまだ時間がある。

 宝探しをするにはうってつけの晴天と夏を彩るには十分な謎の少女が待っていた。

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