その先にあるもの

 祖父母がどこからか拾ってきた大量の自転車が収められている倉庫から使えそうな物を引っ張り出し、軽く掃除をしてからナツに貸してやった。

「多少の汚れは…」

 昨日とはデザインが異なる白のワンピースを着るナツを見て、遠くても歩いて行くべきか悩む。

「大丈夫ですよ」

 心配を余所に、当のナツは自転車の汚れや古臭さなど気にもせず、嬉々として自転車に跨っていた。

 透き通るような白さに目を奪われるように彼女の足元を見ると、ワンピースの裾が既に汚れていた。

 聞けば神社で色々と調べ回っていたようだから、泥や油で服がどれだけ汚れようとも気にしないのかもしれない。

 あまりガン見するのも気が引け、何食わぬ顔で視線をあっちに向けて自転車を漕ぎ出す。

 車がほとんど通らない道を二人、並んで進んだ。

 自分が運転する自転車よりも更に速度が出ない自転車が隣にあるため、いつも以上にゆったりとした移動になった。

「名前、何て言うんですか」

 宝探しを再開した事で舞い上がってしまっているのか、昨日と打って変わって口が軽い。

 テツとナツ。

 船坂鉄治はもう見つけた。

 消去法なんて事を使わなくても隣にいる少女の血筋のどこかに式口ナツがいる事は明白だ。

 しかし、彼女のフルネームが分からない。

「…ナツとでも呼んで下さい」

 今後、共に宝探しをする事になるのだから名前くらい聞いておきたかったが、ややあって彼女から返ってきた返事は明らかな偽名だった。

 その上、返事が返ってくるまでのほんの少しの間は何かを考え、結論を出すのに要した時間のようにも思えてそれ以上の追及を躊躇わせる。

「それじゃあどうしてあの紙切れを?」

 仕方がないので別の話題を振ってみたが、これも芳しくなかった。

「秘密です」

 自分の事を話すのが苦手なのか、単純に言いたくないだけなのか、ナツは頑なに宝探しに関する事には口を閉ざした。

 その一方で彼女もこちらに対して何も聞いてこない。

 もしかしたら他人に干渉されたくないし、自分も干渉されたくないのかもしれない人なのかもしれない。

「謎はどうして解けたんですか」

 代わりに紙切れに書かれた謎の事を聞いてみた。

「私はナツです。謎を作った本人がどこに何を埋めたのか分からないなんてありえますか」

「はあ」

 あまりにも人を食ったような言い方に少し腹が立つ。

「というのは冗談です。栗岡村の事、沢山調べました」

 俯きがちに言うナツの表情から何かを読み取る事は出来ない。

 良い事もあれば悪い事もある。

 そんな事を言っているような、様々な感情が混ざった顔色だった。

 事情があるのだろう。

 そう結論付け、長い道中に何を聞いたものかと思案してみるが、考える程に話題がなくなっていく。

 自然と会話はなくなり、自転車から発せられるカラカラという音だけがいやに耳に付いた。

 ほとんど無言のまま自転車を漕ぎ続け、石段の前に到着する頃には空は茜色で塗りつぶされていた。

「この上に狂い咲きの桜が」

「登りましょう」

 説明する間もなくナツが言うと、鍵を掛ける事もせず、足早に石段を登り始めた。

 誰も来ないし良いかと思う事にして、自転車を放置してナツの後に続く。


 石段を登りった先に先客がいる事に気付いたのは、先を歩くナツがおもむろに立ち止まったからだ。

 写真を撮っていた線の細いその男の顔を見て、おやと思った。

 どこかで出会ったような気がする。

「おや、珍しい。君達、ここの人?」

 男は言いながらこちらにカメラを向けて写真を撮った。

「誰ですか」

「知りません」

「これは失礼。こんな田舎にうら若い男女がいるなんて思わなくて、つい」

 男が悪びれた様子もなくへらへらと言うと、懐から紙切れを出した。

 こいつも宝探しか。

 そんな事を一瞬だけ思うが、渡された紙切れが名刺だという事に気が付き、すぐにその考えを消す。


 月刊都市伝説 記者 東堂文彦


「都市伝説…」

 そう書かれた名刺を見て、昨日祖母に追い返されていた男だと気が付いた。

「本当はフリーなんだけど、こうやって書いておくと何となく定職に就いてるように見えるかなって」

 求めてもいない言い訳をしながら東堂という男は写真を撮り続ける。

「君達、ここの人?」

 写真を取りながら東堂が同じ質問をした。

「僕ね、旧日本軍が残したっていう機密を探してるんだ」

 何もない村に大昔の軍の機密が眠ってるなんて信じられない。

 こんなネタなら親戚の誰かが子供を脅かすためにしてきそうなものだが、そんな話はこれまでに聞いた事がない。

 胡散臭い雑誌の記者の言う事だ。

 どうせガセだろう。

「残念ですけど、俺達、ここの人間ではないですよ」

「そっか。何でもその機密は不老不死の人間兵器開発に関するものらしい」

 その一言でもう完全にこの男の話に付き合う価値はないと判断する。

「聞いた事もないですね」

「だよね。軍の機密なんだ。一般の人が知っているはずがない」

 とっておきの秘密を語って聞かせてあげたんだから感謝しろと言うような口ぶりで言うが、東堂の話を信じるのは馬鹿か、あるいは純真無垢な子供だけだろう。

「しばらくここら辺をうろつく事になると思うから、分かった事があれば連絡頂戴ね」

 終始変わらないへらへらとした物言いの東堂がその話し方を体現するような足取りで去って行くと、後に残ったのは微妙な余韻だった。

 お互いに何とも動きづらそうな気持ちで東堂が去って行った方を見ている。

 何なんだあれは。

 それが正直な感想だが、ああいうのが跋扈している所が社会というものなのだと思うと、大人になんかなりたくないし、何だったらずっと子供のままでいたいとすら思う。

 いつか読んだ小説に、大人が格好良ければ子供はグレないという一節があった。

 その一節はもしかしたら事実かもしれない。

 ああはなるまいと心に決めるが、こんな所で宝探しに精を出す人間が格好良い大人になれるかと言われれば苦笑せざるを得ない。

 だが、この瞬間において自分は間違いなく子供だ。

 だったらせっせと宝探しを満喫してやろうじゃないか。

「これが…」

 気を取り直してナツに紙切れが指し示した場所を教えると、ナツは肩を抱いていた。

「ナツさん?」

「え、ああ…そうだ。ダメなんです。あの手の話を聞くと、どうも…」

 暗がりでよく分からないが、もしかしたら顔色も悪いかもしれない。

「あるはずのない物を必死に探したり、あるはずの物がないと思ってみたり…そういうのが、本当に、もう」

「え?」

「いや、あの人の事を満更馬鹿に出来ないなって」

 ナツを見て、午前中に咲と話した事を思い出し、今の一言が痛い程に思い当たっている自分がいる事に気付く。

 あるはずの宝をないと想像するだけで妙に気が沈んだり、あり得ないと分かりきっている話を聞くだけで身の毛がよだったりする。

 病は気からとはよく言ったものだ。

「それで、この木がそうです」

 再度、気を取り直して話を進める。

「ああ。これが…」

 狂い咲き。

 先祖がえり。

 花開く秋を待つ桜。

 ナツが近寄り、木に触れた。

 開かれた右手は木に、握られた左手は胸にそれぞれ置かれている。

 目を瞑って、何かを祈るようにナツはしばらくそのポーズを維持した。

「ごめんなさい」

「え?」

 ナツが何かに謝ったと思ったら、ポーチから袋に入ったシャベルを取り出した。

 ぐるぐると木の周囲を回り、ある地点で立ち止まる。

「よし」

 それから自分の顔よりも高い位置にシャベルを突き立てた。

 何度も何度も同じ場所にシャベルを突き立てている。

「いや、ちょっと、ナツさん」

 突然の事に唖然とするが、徐々に流石にそれはやったら不味いんじゃないかという思いが強くなる。

 ナツの肩に手を掛けると、ぱらぱらと頭上から土が降り注いできた。

「ナツさん、ちょっと」

 ナツが手を止める気配はない。

「もう少し…」

 力づくで止めさせないと。

 振ってくるものが木ではなく土である事に若干の疑問が思いつつもそう思った時、頭上で高く硬い音が鳴った。

 その音はすぐに足元からの鈍い音に変わった。

 音源が落下した事は分かるが、連続して理解の外の出来事が起きたために状況を完全に把握出来た自信はない。

「あった!」

 ナツが歓喜の声を上げた。

 今度は何があったんだ?

「やりましたよ」

 制止する手を無視しながらその場に屈みこんで振り返るとナツが上目遣いに言う。

 白いワンピースを盛大に汚しながら言うその姿はあどけない幼児を連想させた。

 軽やかに一歩後退し、ナツが向かい合うように立つ。

 褐色の瓶がナツの手の中に収まっている。

「ありましたよ」

 瓶を見せつけるように持ち上げ、ナツが満面の笑みを浮かべた。

「ありましたか」

 怒る気が失せ、溜息交じりにナツに応える。

「中には何が?」

「それはお兄さんの仕事です」

 見せつけるように差し出された瓶を受け取る。

 中身は分からない。

 褐色の瓶と言えば薬品を入れるくらいの印象しか持っていなかったが、液体が入っている様子はない。

 すりを外し、思い切って瓶を逆さまにすると紙切れが出てきた。

 瞬間、鼓動が高まるのが分かった。

 昨日紙切れを用意してこの木に仕込んだのではないかと思わせるくらいに紙切れは白かった。

 おそるおそる紙切れを覗く。


 流れる


 それだけしか書かれていない。

 一瞬だけ身体が強張り、それから身体の中から熱が引いて行く。

 紙切れをナツに見せてやると眉根を下げていた。

「まあ、こういう事もあります。私が見つけたのだって、大した物ではなかったですし」

「でも、ここから先には進めない」

 お互いに持っている物は使い切った。

 そこで得られたのは不完全と思われる紙切れの断片だけ。

 宝に繋がる手掛かりはもう何も残っていない。

「また明日考えましょうよ。出来る事はしたんです。それから、これは持っていて下さい」

 そう言って、ナツは自分が持っていた二枚の紙切れを渡して来た。

「どうして」

「何となく。そうした方が良いって思ったから」

 よく意味は分からないが、ひとまず紙切れを受け取る。

 腑に落ちなく、ナツを見ると、彼女は自分の足元に視線を落としているせいで表情がよく読み取れない。

 宝の手掛かりが自分の元に集まったのだと思えば、宝探しが前進している事が目に見えて満足感もある。

 彼女が良いと言うのなら、良いのだろう。

 それにナツの言う通り、出来る事はした。

 現状ではやりきったとすら言える。

 意気込んで乗り込んできた割に残念な結果にしかならなかったが、とりあえずは目的の物は見つかったのだ。

 結果オーライとでも結論付けよう。

 何より、あの紙切れを追っていけば宝に辿り着ける事も証明された。

 一日の収穫としては悪くない。

 明日から、仕切り直して宝探しに励もう。

 そう思えるだけで十分というもの。

 ああ、そうだ。

 咲に自慢してやらないと。

 なんて顔をするだろう。

 驚くかな。

「それじゃあ帰りますか」

「そうですね。帰りましょう」

 しばらくの間、ナツに自転車を貸す事にして、ナツとはその場で別れる事になった。


「しかし、残る手掛かりはテツが知っている事になるのか」

 帰りの道中、自分に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。

 咲は鉄治が宝の手掛かりを持っている事を知っている気配はなかった。

 もしかしたら鉄治は紙切れを捨ててしまったのだろうか。

 今の状況がどうあれ、鉄治に話を聞く必要がある。

 残る紙切れにはどんな一文が書かれているのだろう。

 不安と期待がない交ぜになった気持ちを弄びながら、少しずつ光量が落ちていく帰路を行くと、やがて帰るべき場所に帰って来た。

 明日はどんな事が起こるかな。

 楽しい事なら良い。

 玄関を潜ると明るい声が出迎えてくれた。

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