宝物の夏
「本当にありがとうございました」
バス停までの道すがら、環奈がおもむろにそんな事を言い出した。
「え?」
「あの日、お兄さんに会っていなければ、きっと今日という日はあり得なかったから」
「ああ…。まあ、あれだ。楽しかったよ」
麦わら帽子の下から遠いどこかを見るその姿に釘付けになりながら答えると、目が合った。
「私は楽しくなかった」
「え?」
「もっと一緒にいたかった。宝が見つかって嬉しい。おばあちゃんがこれで良くなってくれればと思えば、何も言う事はない。でも、宝なんて見つからなければ、お兄さんと一緒の時間をもっと沢山過ごせた」
「随分な開き直りだ」
「でも、咲ちゃんに何も言わないで去ろうとした事は悪いと思ってないんです」
立ち止まり、見つめ合う。
風が吹くと、環奈はなびく髪を押さえるように手を当てた。
どこか時代掛かったその姿と仕草に目を奪われる。
「…来年になったらこの夏の事を楽しく話せるのかな」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら言うその表情に口を開くタイミングが一瞬遅れた。
はっと我に返ってその言葉の真意を聞こうとするが時すでに遅く、遠くからバスが姿を現したおかげで何も言えなくなる。
「もう、行かなきゃ」
そう言って環奈は俺の手から鞄を奪い取ると、バス停目掛けて駆け出した。
追い掛けてこないでと言われたようで、その場から動けなかった。
ややあってバスが通り過ぎる。
車窓越しに環奈とすれ違った。
黒く長い髪と白いワンピースが映えている。
柔和な笑みで緩やかに手を振ってきたので、それに応える。
とても長い一瞬の出来事だった。
暑い。
少しずつ、緑と水の匂いが強くなる。
バスのエンジン音が聞こえなくなると、代わりにセミの鳴き声が聞こえてくる。
環奈の乗ったバスの後ろ姿を目で追いながら、その姿が消えてもその場で立ち尽くしていた。
視線の先には木々の深い緑と夏空の青に彩られた一本道が長く続いていた。
宝物の夏 久遠マキコ @MAK1KO
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