その後
『助かったよ』
受話器越しの声はどこか大人びているが、話す内容の質は夏から何も変わらない。
「それは良かった。来年は本当にこっち来るつもりなんだな」
『ナッちゃんに言われたからね。自分がしたい事をするんだ』
「しっかり勉強しろよ」
『なにそれ。お母さんにでもなったつもり?』
「鉄治は元気か」
『いつも通りだよ。最近は若返ったんじゃないかってくらい前より元気』
「そうか」
『それもこれもナッちゃんのおかげ…、いや、せいかな』
一際強い風が吹き、電線から笛の音のような音が聞こえてくる。
視線を移すと枯葉が窓にくっ付いていた。
「もう、秋か」
『しばらくもしない内に冬だよ。楽しかったね』
「楽しかったな」
言いながら、あのナツの日の事を思い出す。
容赦のない陽射しとそれを遮る木陰。
時折吹く風には水の香りが含まれていて、水辺では少女が三人はしゃいでいる。
景色が変わると、黄色い花に囲まれながら土を掘り起こす自分の姿が見えた。
その情景を思い出しながら、僅かながらにフィルターが掛かり始めた記憶の中に潜っていく。
慎重に周囲の土を退けると小さなドラム缶が姿を現した。
ドラム缶はすっかり錆びついていたが、軽く揺すると中身が軽快に動いた事から傷んでいるのは外側だけだと分かった。
誰も何も言わない。
ドラム缶の中に何が眠っているのか皆が気になっているのだ。
しかし、ドラム缶は蓋も綺麗に錆びついており、開けるのが困難だった。
「開かない」
「まったく、だらしないな。まったく」
そう言いながら開けたくて仕方がない様子の咲がドラム缶に手を掛けて引っ張る。
渾身の力を込めているのがドラム缶が開く気配はない。
「んぐぐぐ…あんちゃん、手伝って!」
言われてドラム缶の胴体に手を回してサポートするが、蓋が開く気配はない。
「ちっきしょー!」
叫びながら、今度はドラム缶に足を掛けて蓋を開けようとする咲。
「うわっ!」
顔を真っ赤にしながらドラム缶を開ける咲を見ていると、急に何かが飛び出してくるのが一瞬だけ視界に映るのと共に身体がふわりと宙に浮くのにも似た感覚を覚えた。
尻餅を付いた衝撃に驚きながらも視線は転がるドラム缶の方を向いていた。
ドラム缶の傍には円盤が転がっている。
宝とのご対面だ。
「なに転んでんだよ」
「あんちゃんに言われたくない」
たったそれだけの会話が面白くて仕方がない。
「ねえ、中身は」
自分が開けたんだから一番に見せろと言わんばかりの勢いでドラム缶の中を覗き込む咲。
それに続くようにドラム缶に近づくが、中の様子は咲の頭が邪魔で窺えない。
「これだけ?」
拍子抜けしたような声を上げて咲が顔を出すと、思いの他に彼女の顔が近くにあってドキリとしてしまうが、それを無視してドラム缶の中を調べる。
小さな缶と木箱、それから大きな茶封筒が入っていた。
「これだけなんじゃないか?」
これら全てが宝なのか。
木箱と茶封筒は綺麗だったのに対して小さな缶に僅かな土が付いていた。
考えてみれば、ナツがこのドラム缶を人知れず道路に埋める事が出来るとは思えない。
きっと祖父がナツの隠した宝と一緒に自分の私物も埋めたのだろう。
そう考えて、土の付いていた小さな缶を環奈に渡した。
それまで取り巻きとして一部始終を見ていた環奈は缶を受け取ると、視線をこちらに向けてきた。
「開けて欲しい」
無言で頷くと環奈が缶を開ける。
「これは…」
思わずといった様子で呟いた環奈は缶の中の物を取り出した。
綺麗な模様がワンポイントとしてあしらわれた封筒が姿を現した。
自然な流れで環奈は封筒を開けると、中から出てきたのは綺麗に折りたたまれた数枚の手紙だった。
現れた文字を読み始めると環奈の顔から表情が消え、やがて周囲にいる咲や自分を見渡し、再び手紙に視線を落とす内に目尻に涙が浮かんで来た。
手紙を読み終えると、便箋を封筒に仕舞い、それを渡して来た。
受け取るが、中身は見ずにそれをそのまま咲に渡してやる。
じっと封筒を見つめ、考える。
それから、それをそのまま咲に渡した。
「読まないの?」
「読まない」
「どうして」
答えず、無言で首を横に振る。
手紙に記された内容までは窺い知る事は出来ないが、環奈にとってナツが自分達に向けて書いた手紙には涙するだけの価値があったのだろう。
「分かんない」
咲が不満気に言う気持ちはよく分かる。
自分自身、読むべきなのだろうとも思う。
だからこそ読みたくなかった。
知らないままでいれば、この手紙はいつまでも未知の宝物として残り続ける。
読まなければ、宝探しをして過ごした時間が輝くような気がしてならないのだ。
この手紙は読まないからこそ、価値ある未知としてそこに残り続けると思うから。
『大丈夫?』
「…何が?」
『急に黙っちゃったから』
「大丈夫だ」
記憶の中の夏に触れていただけだ。
『夏の事でも思い出しちゃった?』
感の鋭い奴だ。
「何の話だよ」
『本当に読まなくて良かったの』
惚けてみても咲にはお見通しらしく、宝探しの方へ話題は移っていた。
「手紙の事か」
『うん。私はナッちゃんのお祖母ちゃんは知らないけどさ、それでも読んで良かったって思ってる。あれは…』
「ストップ。前にも言っただろ。気になるけど、それでも読まないのが俺にとっては正解なんだよ」
『正体を暴かないから宝物なんだってやつ?』
「そういう事」
『その割には他の物は容赦なく中身確かめたじゃん』
「うるせー」
「私は読むからね」
そう宣言する間にもドラム缶に入っていた木箱と茶封筒と検める事にした。
こちらナツの手紙とは異なり、もしかしたら社会的に値打ちのある物が入っているかもしれないと思ったからだ。
東堂に盗られる前に中身を確認しておかなければという危機感もあった。
木箱はそれなりに重量があり、墨でミミズのような文字が走っていたから、祖父が遺した骨董の一つだろうと予想が付いたが、茶封筒には何も書かれておらず、中身が予想できなかった。
思い切って先に茶封筒を開けると、紙の束が出てきた。
表紙には仰々しいフォントと共に大層なタイトルが付いていた。
「大日本…」
小難しい漢字が羅列られたそれは要するに旧日本軍が残した資料らしかった。
筆者は式口詠輔。
視線を上げると東堂と目が合う。
見るだけで怒りが湧いてきそうな顔だ。
それでも筋は通すべきだ。
でなければこいつと同じになってしまう。
「約束だからな」
資料を東堂に渡しす。
「こ、これは登戸研究所の…」
驚愕して言いながら、本当に貰ってしまっても良いのかと言うように目を合わせてきた。
「好きに使え。手切れ金だ。金輪際、ここには顔を出すな」
「…ありがとう」
東堂も感極まって目尻に涙を浮かべて感謝の言葉を口にした。
「何で礼を言ってんだよ。いいからさっさと失せろ」
「これで…いや、何でもない。本当にありがとう。色々と申し訳なかった」
東堂はぎこちなく一礼すると去って行った。
あいつとはこれで本当にこれっきりになる。
清々する。
その姿が見えなくなるまでじっと待っている間に咲と千誉が手紙を読み終えていたらしく、咲は環奈以上に涙目になっていたし、千誉も神妙な面持ちでいた。
「大丈夫か」
「感動した!」
「大丈夫。ただ、ちょっと、昔の人は良いなって思っちゃった」
二人の反応はそれぞれだったが、それでも読んで後悔したという事ではないらしい。
「それじゃ、こっち開けんぞ」
そしていよいよ木箱を開ける事にした。
中身は想像もつかないが、木箱の外観は夏休みが始まって宝探しをしようと思い至った時にまず想像した金銀財宝の姿に似ている。
高鳴る胸をそのままに木箱を開けると巻物が現れた。
漫画で忍者が口に咥えて何かするあれだ。
あれの妙に大きな奴が一本、木箱にすっぽり入る形で収められていた。
「これは…」
「掛軸だね」
答えたのは意外にも咲だった。
『それでいくらくらいになりそうなの?』
「それな…」
祖母の家に戻ると、祖母がどこからそんな物を引っ張り出して来たんだと言って驚いていた。
聞けば、祖父が家宝だと言って大切に仕舞っている内にどこかに消えてしまった品だという。
「本物?」
「鑑定書が入ってないかい」
そう言われ、木箱を調べると、箱の奥底から鑑定書が出てきて、名も聞いた事のない人物の何とかという名前の品である事が分かった。
「まあ、祖父さんが隠した宝だからね、これは見つけた基達の物だろうね」
なんて事を祖母は軽く言っていたが、後日調べてみると、二度見をしてしまいたくなるくらいの金額で取引されている人間の作品である事が分かり、二回目の遺品整理の折に親族からそれを譲れと散々喚かれた。
「隠れてた物が出て来たら私に言うようにと言ったはずだよ。そして見つけた奴に悪くならないように裁定するとも言った。そして今、あんた達はこの体たらくだ。だからこれは基が成人するまでは私が預かるよ」
大の大人達が喚き散らすのをうんざりしながら聞く中、祖母が発した鶴の一声のおかげでその場は収まったが、後からこっそり陰から何かと言ってくる親戚がいるせいで今もうんざりするような時がある。
あんな大人にはなるまい。
その事を伝えると咲が爆笑した。
「笑うんじゃねえよ」
こっちは大変なんだから。
『いやいや。ナッちゃんとしんみりお別れした後にそんな事があったなんて思わなくて』
腹いてーと言いながらも咲はすぐに平静を取り戻した。
『それじゃ今日はこの辺で』
「おう」
『それより届いた?』
「あー。何か来てたな」
言いながら机に飾られている写真に視線を移す。
一体、どこの誰がいつ撮ったのだと言いたくなるような写真が最近になって送られてきた。
『本当さ、何だったんだろうねあの人は』
「知るかよ。もう会いたくもないっての」
咲の軽口に呆れる振りをして電話を切る。
送り主は不明ながら犯人は分かりきっている。
「しかし、まあ、それも込みでの夏休みだったな」
呟きながら、写真に視線を移す。
写真の中には川辺ではしゃぐ四人の少年少女の姿があった。
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