最後の日
今日、栗岡村を発つ。
奇しくも今日、環奈もこの場所を去る。
目を覚まし、身体を起こすとカーテンの隙間から零れる陽射しの量が多い事に気付く。
時計を見ると、八時を過ぎていた。
すっかり寝坊してしまった。
夜中に降ったらしい雨が木々や地面がしっとりと濡らし、空気中の塵を流し去ったおかげで窓も開けると視界が妙にクリアだった。
「あ、寝坊だ」
これから畑へ繰り出そうとする千誉と目が合うと、そう茶化してきた。
朝は声が出ないので、手で払うように返事をすると千誉は寝坊だと同じ事をもう一度言って畑に向かって行った。
よりによって最終日に寝坊か。
朝は決まった時間に起きられる自信があったのに。
「…」
仕方ないか。
昨日の環奈の顔が思い出される。
それを皮きりに宝探しが終わってしまった事も一緒に思い出してしまい、折角の気持ちの良い寝覚めが台無しになる。
「終わったんだな」
擦れて、本当に声が出ているのかも疑わしいような声量で呟くと、自分も宝探しを諦めてしまった事を嫌でも意識せざるを得なかった。
そんな心持ちでいつも通りの朝を過ごすと途端にする事がなくなる。
帰るまで何をして過ごそう。
ぼんやりと居間で過ごすが、する事など何もない。
咲の所まで行こうか。
鉄治に宝探しの結末を伝える必要があるが腰は重く、行動に移すのが酷く億劫だった。
何をするでもなく、だらだらと古びた絨毯の上で足を伸ばしていると、自然と天井の方へ目が行く。
宝の地図とも言える航空写真が視界に入る。
この家の周囲を上空から撮った写真が二枚、額に納められて仲良く並んでいる。
一枚は白黒のもので、いつ撮ったのか定かではないが、当時からすれば写真自体をを撮る事すら庶民には難しく、ましてや航空写真に至ってはどこかでナツが絡んでいる事に疑いの余地はない。
白黒の写真には宝が埋められているはずの場所は確かに土で、他にも今は廃屋となっている建物などが健在であるなど当時の様子が分かる。
今にして思えば、宝の地図を組み立てるためにこの写真が必要だったのだろう。
「写真の中に入れればなぁ」
ありもしない想像をしてしまう。
もし、写真の中に入る事が出来れば、ナツにそこに宝を埋めるなとアドバイス出来たのにと思わずにはいられない。
いっその事、誰も見ていない間にナツが埋めた宝を掘り起こしてしまうのに。
そんな妄想を振り切るように隣の写真に目を移す。
古臭いカラーのそれは『我が家の上空』なんてタイトルが写真の余白部分に書かれていた。
村興しの一環として撮られたその写真の隅には自分たちの功績を世に知らしめるべく栗岡村振興組合と書かれている。
こちらは白黒の時とは打って変わり、道路はアスファルトに、この家の周囲の様子も自分の知っているそれになりつつある。
よく見れば家の畑の一角に花畑があり、菊だろう、白い花に囲まれるようにして何も植えられていない円形の場所が目立っていた。
さながらミステリーサークルだ。
この時は祖父が土地を受け継いでから既に何十年と経過しており、いつの日か孫と宝探しをするのを楽しみにしながら畑で野菜を作り続けていた。
そして今。
祖父は他界し、祖母が細々と畑をしている横で千誉が自由研究で野菜を育てている。
ラディッシュは無事に収穫出来るだろうか。
二十日大根というくらいだから既に芽も顔を出し、順調に生育している。
きっと千誉が満面の笑みを浮かべて自慢しに来るのだろう。
その様子を想像して思わず顔が綻ぶ。
どんなに抗おうと時間の流れを堰き止める事は出来ない。
この前まで夏期講習をサボるためにあれこれと言い訳をしていたと思っていたら宝探しなんかに興じ、そして夏休みが終わって行く。
そんな中、式口ナツだけが流れの中で立ち止まっている。
直接会った事はない。
声だって聞いた事もない。
ナツはいつだって誰かの記憶の中の姿にしかいない。
今のナツを知らないからこそ、思い出の中のナツの姿しか知らないからこそ、彼女が様々な人にどれほどの影響を与えていたかが分かる。
ハイランダー症候群というあるかどうか疑わしい奇病に罹っていたからという事情が人々を動かしていたのかもしれない。
それでも二人の男が皺くちゃになるまで、あるいは死んでも約束を守り続け、彼女の孫が彼女のために一人で何もない田舎で貴重な一夏を費やさせた。
そんな人が何を思って何を埋めたのか。
ロマンとして知らないままでいたい気もする。
「それでもやっぱり何とかしたいわな」
知ってしまった以上、ナツの今を変えられる可能性が僅かでもあるというのなら出来る事はしたい。
本当にこれで終わりなのか?
諦めても諦めきれないのか、未練がましくまだ何か隠されているのではないかと思ってしまう自分がいる事に気付く。
解決策なんて何もないんだぞ。
分かっていても考えてしまうのだから、こればっかりは仕方がない。
とは言え、行き止まりの思考を始めから洗ってみても行き着く先はどうあっても行き止まりで、すぐにもどかしい気持ちを持て余す事になった。
頭を掻き、無意識に舌打ちをして、ナツに文句の一つでも言いたくなって当時の情報で溢れる白黒の写真を睨みつける。
それでもやはり何もない。
訳ではなかった。
一瞬、閃きの種が生まれた。
「…」
自分の思考に自分で驚き、寸の間、頭から思考が一切消え失せ、ポカンと馬鹿みたいに口を半開きにさせていた。
スマホにデータを入れてあるにも関わらず、実物が見たくて立ち上がる。
二枚の写真の違い。
白黒のこの家には相変わらず畑が見て取れるが、カラーの写真と異なり、花畑はない。
手持ちの紙切れ。
これを作ったナツがいた時に撮ったのが白黒の空撮写真。
飾る門が交わる場所に隠された宝はアスファルトの蓋によって閉ざされてしまった。
本当にあの場所に宝が埋まっているのか?
宝の地図 孫に渡す
祖父が紙切れに書き込んだ一言にはどんな意味が込められているんだ?
見れば見るほど、確かめれば確かめるほど、その閃きに鳥肌が立ってくる。
「うそだろ」
浮足立った足を意識してゆっくりと動かし、畑で作業をする祖母の元へ向かう。
「祖母ちゃん!」
それでも興奮は隠しきれず、思わず大声が出た。
「そんなに大声を出さなくても聞こえるよ」
「下の畑で祖父ちゃんが花を育て始めたのっていつ」
「畑を継いでしばらくした時の事だよ。元は畑だったのにそこを花畑にするって言い出してさ。何も植えてない場所があるだろ? あそこだけは何も植えるなってんだ。しかも手入れはしっかりしろって。植えたのは菊なんかだから一応は売り物にはなるし、見栄えも良かったからからまあ良かったけど、野菜よりも手間はかかるし、おかしな場所には手を出せないしで困ったもんだよ。普段は怒らない人だったけどね、あそこに何かしようとする時だけそれは怒ったもんさ。そうそう、夏の終わりくらいには桔梗を植えてほったらかしにしたりもしてね、よく喧嘩したもんだよ」
どうしてそんな事を聞くのかねと呆れたように言いながらも祖母は昔を懐かしむように語ってくれた。
「あの道が舗装されたのは?」
「いつだったかな…よく覚えてないけどね、もしかしたら花を育て始めた時くらいかもね」
それだけを聞ければ十分だ。
「ありがとう!」
いよいよ堪えきれなくなり、駆け足になる。
自転車を出して、全力で漕ぐ。
どうして連絡先を交換しなかったのだろう。
電話の一つでもすればすぐに呼び出す事が出来るのに。
「帰るのは夕方って言ってたよな」
意図的に口にして、無理矢理にでも自分を落ち着かせようとするが上手く行かない。
二枚の写真の違い。
時代の移り変わりだけではない。
決定的な違い、それは畑の一角に花畑があるかどうか。
その花畑は宝が隠されているはずの道路が舗装される頃に作られた。
そして紙切れは道路が舗装されるよりも前に作られたはずの物。
そこに花畑を示す円形の空白があるはずがない。
誰が紙切れに細工した?
祖父以外に誰がいる?
「宝の隠し場所を知っていたんだ」
口にして、その一言が真実であるように思えてなれない。
祖母の家の近くに宝が埋められたのだ。
宝を隠す現場を見てしまったのかもしれない。
そして道路が舗装される事を知って行動を起こした。
ナツとの約束を守るために。
いつの日か宝探しをするために。
咲の言葉が甦る。
お茶目な人だったんでしょ。
真面目で寡黙。
そんなイメージしか持っていなかった。
どうやらそれはイメージでしかなかったらしい。
宝を掘り返し、新たに埋め直した。
わざわざ花畑まで作って。
自分が持っていた紙切れに新しく穴を開け、裏面に「宝の地図 孫に渡す」なんてメモまで書いて。
もしかしたら確かにお茶目な人だったのかもしれない。
鼓動が高鳴り、息が切れ、肺が痛くなるまでペダルを漕ぎ続けると、遠目に旅館ふなさかから白い少女が出ていくのが見えた。
こちらに背を向けてとぼとぼと歩く女の姿が旅館ふなさかの先に向かって小さくなる。
一目で環奈だと分かったのは、真っ白のワンピースと麦わら帽子というある意味で特徴的な出で立ちだったからだ。
「環奈!」
こんな大声がよくも出たなというくらい大きな声で彼女の名を呼ぶと、前方を歩く少女が足を止めて辺りを見渡していた。
「環奈!」
もう一度叫ぶと環奈が今度こそ振り返る。
顔も判別できないくらい遠くにいるのに、環奈が困ったような顔をしているのが分かったのはきっと立場が逆なら自分も困ったと思うからだろう。
それでも環奈が逃げずに立ち止まったまま待っていてくれたのは彼女の優しさに他ならない。
「発つのは夕方って聞いた気がするけど」
息を切らし、何と声を掛けようか必死に考えた末に出てきた言葉はどうして嘘を吐いたんだと詰問するかのような嫌味交じりのものだった。
「最後に町並みを見ておこうと思って」
これに対して環奈は感情が混じらない声色で淡々と言った。
「それじゃあ最後に家に来ないか」
「え、でも…」
「自転車も返してもらってないからさ、良いだろ。付き合ってくれよ」
「…仕方ないですね」
自分なりの必死の説得の末に溜息交じりに言うと、環奈が鞄を渡して来た。
「これくらい持って下さるのでしょう?」
初めて会った時のどこか時代掛かった言葉遣いに思わず苦笑してしまう。
「持って下さりますとも」
待ってろ、絶対に後悔なんかさせてやらないからな。
そう意気込んで返した返事は自分でも変だなと感じさせるものだった。
困り顔の環奈から鞄を受け取ると、環奈が堪えきれずに噴き出した。
「真顔でそんなおかしな言い回しをするなんて、ずるい」
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