最後の手掛かり 

 流れる夏 緩やかな時は絶えず行く 行く先で春と出会うだろう


 この答えとなる場所についてはあたりがついていた。

 これまでの紙切れが指し示した場所は狂い咲きの桜に山の上、環奈が人知れず紙切れの断片を見つけた場所は神社の灯篭の中だった。

 どれも祖父の日記の中に出てくるテツとナツとで当時集まっていた思い出の場所だ。

 この法則に則るのなら、行くべき場所は一つしかない。

「本当にここにあるの?」

 栗岡村にやって来てから何度もここを訪れている。

 自転車から盛大に転んだ日もうだるような暑さを紛らわした日もこの場所には世話になった。

 そんな場所に目的の物があると言われたら、地元民の咲が疑問を口にするのも当然と言える。

 雨の影響も抜けた川の水は朝の陽射しに照らされてその透明さをこれ見よがしに見せつけてくる。

 裸足になり、水に足を入れると川の水がいつも以上に冷たく感じた。

 下を向いていても今日が文句の出ようもない晴天であるという事が分かるくらいに水面から照り返る光が眩しい。

「どうだろうな」

 祖父の日記に出てくる場所というだけではない。

 緩やかな流れは今も昔も変わらず、きっとこれからも変わらないと思える長閑さがあるからこそ、この川は謎の一文が指し示す場所に相応しいと考えた。

「もう!」

 とは言え、咲が心配するように懸念事項がある事も事実だ。

 ここは川で、そこに紙切れの断片を隠そうとするならどこに隠すか。

 砂地の奥底か、あるいは橋の下か。

 どちらにせよ、これまで紙切れの断片が隠されていた場所とは毛色が違うのは確かだ。

「雨風の影響だってあるからな。当時は隠されていても今ここにあるかって言われても分からんだろ」

 正論を言ってやると、咲はぐっと言葉を飲み込んで紙切れの断片探しに取りかかった。

「でも、私もここだと思います。よく聞いた話に出てくる場面にあの紙があったから」

「そっか」

 当てが外れなさそうだという事が分かって少し安心する。

「あると良いですね」

 今日も夏の暑さが容赦ないと言うのに汗一つかかず、涼しげな顔の環奈が言った。

「あると良いな」

 始めはそこそこにあった会話も時間が経てば誰もが無言で川の隅々を這うようになっていた。

「おにいちゃーん。つかれたー」

 今日は千誉も宝探しに参加しているが、成果らしい成果が出ない事に早くも弱音を吐いている。

 汗が滲み、玉となって頬を伝う。

 じわじわと頬を伝う汗が気持ち悪く、擦るように拭う。

 次第に疲れてくると本当にここに断片があるのかという疑問が湧いてくる。

 普段とらない体勢を維持し続けるおかげで腰が痛くなってくると、無駄な事をしているのではないかという疑念も相まって尚の事辛くなってくる。

 堪らず立ち上がると、果てなく広がる深い青とそれを追いかけるように伸びる澄んだ白が目に飛び込んできた。

「…良い天気だな」

「本当に。もう少し涼しかったら完璧なのにさ」

 独り言に反応すると、咲もつられて立ち上がった。

「そう言えば、川ってどこまでが川なんだろうね」

「というと?」

 咲の独り言に反応したのは環奈だった。

 彼女も同じように立ち上がると、流石の環奈も暑いのか裸足になって川に入って来た。

 いつものワンピースの裾を縛っているおかげで白い足が艶めかしく見え、出来るだけ視界に入れないようにするのが大変だ。

「いやさ、ここだけ捜してるけど、川には上流と下流があるじゃない?」

「…ここよりも探す範囲を広げなくちゃいけないって事か?」

 想像するだけで余計に疲れてくるような事だが、口にしない事には会話は進まない。

「そうじゃなくって。昔さ、おじいが川に秘密基地がどうとか言ってたなって」

「詳しく」

「この先、上流の方に行くと、ボロボロになった橋が近くにあってね、ちょっとした洞穴もどきもあるんだって。昔はそこを友達と秘密基地にしてたとかなんとか」

 今さっき思い出したような口調の咲はどこか懐かしむような顔をしながら上流の方を指差した。

 大切な物を隠すのにどこかへ流されてしまうような場所を選ぶとは思えない上に鉄治が当時使っていたというのなら、思い出の場所としても申し分ない。

「行ってみるか」


 カラカラという音を聞きながら木陰を走るのは気持ちが良い。

 同じ音を聞きながら炎天下の中を走るのは不快極まるのに、ちょっと涼しいだけでこんなにも感じ方が異なってくるのはどうしてだろう。

「咲」

「んー?」

 咲も木陰の涼しさを堪能していたのか、間延びした声で応えた。

「本当に俺の高校に来るのか?」

「そのつもりだよ」

「そうか」

「どうしたの?」

「高校なんて、どこも一緒なんじゃないのかって思ってさ」

 違うのなんてそこに通う人くらいのものだと思うと言うのは流石に気が引けた。

「そんな事ないよ。あんちゃんさ、全校生徒の顔と名前が分かっちゃうくらいに小さな中学じゃなかったんでしょ」

「そりゃあな」

 全校生徒はおろか、顔も知らないような同級生だっているような場所だった。

「だったら分かんないよ。それを当たり前だって思える事が人からすれば羨ましい事だってあるんだ」

「咲ちゃんは来年からこっち来るの?」

「予定ではね」

 その言葉を聞いた千誉ははしゃぐが、咲の顔は珍しく何を考えているのか分からない神妙な面持ちだった。

「勉強する内容は同じでも、人が違えばそれはやっぱり別な場所だと思うんだよね。あんちゃんの自転車がカラカラしてるけどさ、今みたいにゆっくりしても良い時は平和だなって思えて和むけど、急いでる時にそんな音聞いたら腹立つじゃん」

 その例えが正しいかはさておき、そう言われるとそういうものかと納得してしまいそうになる。

「それとも私が後輩になるのが嫌?」

「そういう訳じゃない」

「じゃあ何?」

「なんとなく聞いてみたかっただけ」

「なにそれ」

 咲がおかしくもないのか、馬鹿にするように軽く鼻で笑った。

 特に理由があった訳ではない。

 この栗岡村は自分にとって別れが多いから気になったのだ。

 祖父も見も知らぬ式口ナツも大切な何かを残して遠い場所に行ってしまった。

 この宝探しが終わったらと考えるのは気が早いが、それでも明日には栗岡村を離れて平凡な高校生に戻る。

 嫌でも進路の事を考えなければならない。

 きっと自分も地元を離れることになるだろう。

 だから単純に聞いてみたかった。

 地元を離れてまでしたい事があるのかを。

 あるいはどうして遠い場所に行きたがっているのかを。

「…私もさ、正直、なんとなくなんだ。ナッちゃんみたいに目的があって、ここにやって来たなんて事じゃない。何もない、人もいない、そんな場所で大事な十代を無駄にしたくないって思っただけ。色んなモノを見てみたいって思っただけ」

 真っ直ぐ、自分に正直に生きているように見える咲も何かしたいのか。

 こんな長閑な場所で生きる事が出来るなら、それはどんなに贅沢な事かと思わないでもないが、咲からすればそれは退屈なんだろう。

 咲の言う通り、自分からすれば当たり前の事が人には羨ましい事である事だってある。

 結局はないものねだりか。

「それでも」

 しんみりした空気の中、唐突に環奈が口を開いた。

「大切な事は自分がどうしたいかのはず」

 教師が生徒を諭すような口調で環奈は続ける。

「私は目的があってもそれだけ。祖母の振りをして、祖母の話を頼りに宝を捜した。それでも最後には宝は見つかったかもしれません。でも、お兄さんや咲ちゃんと出会って、テツさんの話を聞いて、私が私として振る舞おうと思ったのは、人の影響があっても、私が全部曝け出して、そうしたいと思ったから。例えなんとなくでも、そうしたいって強く思えるなら、そうするべきだと思います」

「うーん、難しいや。でも、言いたい事は分かる。今は宝探しを全力で楽しもうって事だよね」

 まるで見当違いの方向に結論を出した咲はあっけらかんと言い放つと、速度を上げて一人で走って行ってしまった。

「おい」

 追い掛けようとペダルに込める力を強めようとするが、そこを環奈が制してくる。

「まあまあ。一本道ですし」

 暗に一人にしてあげようと言う彼女の手は力強く、反論する事を許さなかった。

 仕方なしに咲を先行させてしばらく進んでいくと、木々の色がより深く、容赦のない陽射しが幾分も和らいでいく。

 もう森の中と言っても良いくらいに鬱蒼と草木が生い茂ってくると、ちょっとこれはどうなんだろうというような橋が見えてきた。

 いつ朽ち果ててもおかしくないような橋の他に人工物の気配はない。

 その上に咲がいた。

 手を振りながらおーいと呼ぶその声は相変わらずよく通る。

「この下だね」

 咲に追い付くと、彼女は下を見ながら言った。

 確かに橋の下に川が流れている。

 橋を渡った先にある獣道のような傾斜を恐る恐る降ると、先程とは異なった川の流れがはっきりと見えてくる。

 最早、川というよりも森の一部と言ってしまった方が似つかわしい場所を散策すると、すぐに雨宿りに最適そうな空洞が見つかった。

「洞穴というか、ただの穴だな」

「おじいの記憶も当てにならないな」

 咲はそう言いながら、洞穴と言われて想像したイメージを何倍もちゃっちくしたそれの中に入って行くが、すぐに出てきた。

「暗い」

「どうぞ」

 咲が穴から顔を出すや否や、環奈がペンライトを差し出した。

「準備に良い事で」

「何かあるんじゃないかと思いましてね」

 おどける咲と同じ調子で環奈も言うと、二人はくすりと笑った。

「千誉隊長、行ってまいります」

「うむ。健闘を祈る」

 今度は千誉に敬礼しながら言うと、千誉もそれに乗っかって偉そうに言う。

「あんちゃん。私、この探索が終わったら…」

「さっさと行け」

「もう、いけず」

 いたずらっぽく笑うと、咲はペンライトを点けて再び穴に入って行く。

「あ、何かぶら下がってる」

 そして穴に入ってすぐにそんな事を言った。

「どこ! どこにあるの!」

 千誉がそれに反応すると、咲は穴から出てきて、千誉にペンライトを渡した。

「ほら、あそこ」

「あ、何かある!」

 まともに宝探しをするのが初めての二人は興奮を隠そうともせず、きゃっきゃとはしゃいでいる。

「私取る!」

「よし行っちゃえ」

 穴の中から楽しそうな声を聞いていると、環奈が笑みを浮かべながらこちらを見てきた。

「楽しそう」

「まったく」

 しばらくその声を聞いていると、穴から二人が楽しそうな笑みを浮かべながら顔を出した。

 千誉の手には見覚えのあるガラスの瓶ある。

「これ! 私が取ったんだよ」

 興奮のあまり、実年齢以上に童心に帰った千誉が瓶を渡して来た。

「あんちゃん」

 咲が速く開けろと言わんばかりに目を輝かせている。

 環奈も祈るように両手を組んでいる。

「それじゃあ…」

 三人の視線を浴びながら、少し焦らすように瓶に着いた土を払い落とし、蓋を開ける。

 中から二つ折りに畳まれた紙切れが出てくると、歓声が上がった。

 鼓動が高鳴るのを押さえながら、紙切れを開く。


 飾る門が交わるそこに宝あり

 

 その文字列の確かな意味は分からない。

 しかし、自分達が間違っていなかった事が証明された事に安堵すると共に思った以上の嬉しさが内から込み上げてきた。

 一時は東堂に妨害され、それでも何とか宝探しを再開した末の新たな手掛かり。

 嬉しくないはずがない。

「それでどんな意味なのさ」

「咲ちゃん、それをこれから考えるだよ」

「千誉ちゃんの出番だね」

「えへへ。任せて」

「よし。お腹も減ったし、あんちゃんの家に行こう」

「それ昼飯食いたいだけだろ」

「これまでに見つけた紙切れは全部あそこにあるでしょ。決して昨日のお寿司の残りがあるんじゃないかとか思ってないから。いやいや本当に。お寿司食べたいとか思ってないから」

 至極真面目な顔で言われると余計に昼飯目当てにしか思えなくなるから不思議だ。

 とは言え、咲のいう事ももっともで、情報や資料のある中で考えた方がそれっぽい。

 はやる気持ちは皆同じなのか、行きよりも早足で傾斜を登り、自転車に跨るとペダルを踏み出した。

「お兄ちゃん」

「ん?」

「楽しいね!」

「そうか」

 それは良かった。

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