答え合わせ

 自転車を回収して祖母の家に帰ってくると、千誉は早速答え合わせの準備を始めた。

「何が分かったんだろうね」

「さあな」

 千誉の大胆発言のおかげで咲と環奈はもとより、鉄治まで車を運転して祖母の家に押しかけていた。

 家に鉄治が入ると祖母が珍しいのが来たもんだと言っていつものように麦茶を用意した。

「どうせ暇なんだろ。飯でも食っていきな」

「余計なお世話だけどよ、御相伴にあずかろうじゃねえか」

 簡単にそんな会話をすると祖母は台所に引っ込んでこちらをちらちらと眺めながら煙草を吸い始めた。

「どうしたよ」

「いや、なんでも」

 祖父の葬儀に参列していたというくらいだから既知であっても不思議ではなかったが、自分が知らない所で自分の知る誰かと誰かがが知り合いだったという事実が背中がむず痒くさせた。

 準備と言ってもテーブルを出して、そこにこれまでに集めた計六枚の紙切れとその断片を広げただけのもので、少し会話をしている間にも準備は終わり、千誉の解答編が始まろうとしていた。

 テーブルを挟んだ向こうに一人で立ち、狭いテーブルの幅に合わせて行ったり来たりしているのは名探偵気分を味わいたいからだろう。

「まずこちらをご覧いただきたい」

 千誉は十分すぎるほどの間を置いた後にぴたりと立ち止まり、わざとらしい咳払いをしてから物々しい口調で言った。

「あのね、空撮って言うんだけどね」

 しかし、すぐに年相応のあどけない口調に変わると、咲と環奈がくすりと笑って場が和やかなものになる。

「ぼうっと見てたらね、閃いたの」

 頭上に飾られている二枚の写真を指差しながら千誉は説明を続ける。

「何を?」

「えっとね…」

 千誉は前屈みになり、テーブルの上に広げた紙切れでジグソーパズルを始めた。

「ほら。空撮と一緒になるの」

「ん?」

 言っている意味が分からない。

 視線を千誉に映すと、まったくダメだなとでも言うかのように両手をくいっと上げた。

「ほら、道路と紙の切れ目が一緒になるでしょ」

「ああ…」

 言われてみると、六枚の紙切れを組み合わせで出来たそれは歪ではあったが、空撮とそっくりだった。

 紙切れのそれぞれが土地を、紙切れ同士の隙間が道を示している。

「そうです。紙切れは宝の地図になっていたのです。ちゃんちゃん」

 思い出したように口調を変えて千誉が言うと、それで解答編は終了したようで、それ以上は何も言わず、聴衆である自分達から拍手喝采が沸き起こるのをキラキラした顔で待っていた。

 こちらとしては他にもまだ何かあるんじゃないのか、むしろ何かないと反応に困るくらいの気持ちでいたものだから、結果として、おかしいなという顔の千誉とこれで終わりなのというもやもやを抱えた聴衆が互いに見つめ合う事になった。

「これだけ?」

「これだけ」

「これでそうやってあそこに宝がないって分かったんだ?」

「だって地図にあそこ載ってないじゃん」

「あ、はい…」

 出かかったくしゃみが出なかった時のような微妙な感覚だった。

「そうだったのか…ナツの野郎め…。それで?」

 感慨深そうにしながらもナツの仕掛けた秘密の一端をこれまで気付けなかった事を悔しがるように唸りながら鉄治が言った。

「それでって?」

「この先どうするかだよ。お嬢ちゃんの事だ。何か考えくらいあるんじゃないのか」

「え? 何も考えてないよ」

「なんじゃそりゃ」

 思わずツッコミの声を上げてしまったが、次に千誉が放った言葉で納得させられた。

「紙切れの謎を解くんでしょ? どうしたって話はそれからじゃない?」

「それはもう…」

 ばつの悪そうな顔をして環奈と顔を合わせた咲が言う。

 東堂の一件ですっかり何もかもが終わってしまっていた気になっていたが、千誉に乗せられて東堂が口走った言葉を覚えている。


 夏 緩やかな時は絶えず 行く先で


 そして浮かび上がる新たな謎の文言。


 流れる夏 緩やかな時は絶えず行く 行く先で春と出会うだろう


「千誉がな、東堂から紙切れの謎を解いて見つける断片の中身を聞き出してたんだ」

「は? いや、ちょっと、そういう事は早く…え、うそ」

「いや、本当だから」

 少し落ち着け。

「いやー、千誉ちゃんは本当に凄いな! あんちゃんの妹とは思えない」

「おい」

「まだ、終わってなかったんだ」

 しきりに東堂に話し掛けて情報を聞き出していた事を教えてやると咲は感心したように千誉を褒め湛え、環奈の顔が綻んだように緩んで目尻が濡れた。

 その様子を見て、思わずもらい泣きしそうになるとすかさず祖母がやって来て背中を強く叩いた。

「基、男を見せたじゃないか。晩飯抜きなんてとんでもない。今日は御馳走にしないといけないね」

 咲が斧を持って鉄治がどこかに行ったという一言があまりにもインパクトが強すぎて、祖母が発破をかけるように蹴り出してきた事などすっかり忘れていた。

 祖母は再び台所に引っ込むと冷蔵庫から大きな皿を取り出してラップを外し、炊飯器から桶に米を移して作業を始めた。

 もう御馳走にする気でいた祖母に余計な事を言うのも野暮なように思えて、なぜか抱き合っている三人娘に視線を移すと、今度は鉄治に背中を叩かれた。

「結末は咲から聞くからよ、後は頼んだぜ」

 何を大袈裟な事を言い出すのかと思ってそちらを見ると、晴れ渡った笑顔で孫を見つめる若い男の顔があったものだからぎょっとした。

 それはいつか白黒の写真で見た青年で、写真から想像出来た通りに真っ黒に日焼けしていた。

 はっとして瞬きを数回すると青年の姿はどこかに消えてしまい、代わりに目の間にあったのは青年の面影を残しながらもすっかりしわくちゃになった老人の顔だった。

 ほんの一瞬の間だけ起こった不思議な現象に目を丸くしていると、夕飯にするよという声が聞こえてきた。

「あんちゃん。夕飯だよ」

「あ、ああ」

 呆然としている間にも千誉がテーブルの上の紙切れを片付け、祖母が刺身と海苔が大量に乗った大皿と酢飯が入った桶を持ってきていた。

 手巻き寿司のようだ。

「基、邪魔だよ」

 軽く足蹴にされて移動すると、祖母は両手に持った物をテーブルに置く。

 その間に環奈が箸やら皿やらを取りに行き、咲と鉄治が席に着いている。

 皆の準備が整うと、千誉が元気よくいただきますと言い、他の面子がそれに続いた。

 東堂の問題は解決し、残るは宝を探し出すだけとなったためか、若者達の表情は明るく、それを見ていた老人達の表情も眩しいものでも見るような顔をしている。

 前祝としてはこれ以上にない夕食だった。

 孫とその友達で賑やかに食事が出来る祖母は嬉しそうに海苔を巻き、咲に環奈、そして千誉は仲良く話しながらどのネタを取ろうか迷っている。

 そんな中、鉄治は黙々と食事をしていた。

「どうしたよ。そんなじっと見てきて。顔に何か付いてるか?」

「いや。何でも…」

 鉄治の顔が急に若返るなんて事は当然ながら、ない。

 あの時に見たものは幻なのだろうが、後は頼んだと言った矢先に起こったそれを簡単に忘れるなんて事は出来そうにない。

 あの一言で鉄治は咲に何もかもを託した。

 ずっと大切にしてきた約束を果たし、孫にその約束と親友が隠した宝の行方を託して結末を見守る立場になった鉄治の青春が終わってしまったのがあの一瞬だった。

 だから写真の中でしか見た事のない若かりし時の鉄治がほんの僅かな時だけ顔を覗かせ、そしてどこかに消えていった。

 そう考えるのは夢の見過ぎだろうか。

 それでも良い。

 大切な物を誰かに託すという事の本質があの一瞬の間に全て詰まっていたのだとしたら、 それを見逃さなかった自分は幸運だ。

 数が少なくなってきているハマチを最後の楽しみのつもりで一切れ取り皿に移動させる。

 思えば、この数日で色々な事を知った気がする。

 環奈を見て想いの力強さを知った。

 咲を見てまっすぐでいる事の価値を知った。

 鉄治を見て一瞬を全力で生きる事の意味を知った。

 強く信じ、まっすぐ、全力で生きる。

 きっと、何かしたいという気持ちは、いつの日か過去を思い出した時に惜しまずにいられる事、その日々を誇れる事をするという事ではないのだろうか。

 環奈達と過ごしたこの夏がなければこの心境には至れなかった。

 祖父が遺した紙切れを興味本位で手にした自分にとっての宝はもしかしたらこの気持ちの 正体に気付けた事なのかもしれない。

「…あれ?」

 色々な事があったが、最終的には良い夏になりそうだ。

 そう思って、良い気分で食べようと最後までとっておいたハマチを巻いてやろうと皿に目を移すと、そのハマチが消えていた。

 どこに行ったのだろうと目を泳がせると千誉がそれに合わせて視線を逸らした。

「おい」

「だって食べないと思ったんだもん」

 ねー、と言って咲と千誉が顔を合わせた。

「もんじゃねえ。家族でもない人がいる時は大人ぶってそういう事しないだろ」

「大人ぶってないし。食べもしないのに皿に置いておいたお兄ちゃんが悪いんだし」

 咲に毒されて千誉から可愛げがどんどん消えて行く。

 強く信じ、まっすぐ、全力で生きる。

 手始めに千誉に全力でお返しをして一泡吹かてやろうと決意するが、敵は手強く、千誉の好物を奪うのは困難を極めた。

 何かしたいと思うのは簡単でも、それを成すのは思った以上に難しいらしい。

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