急転

 昼食後は何もせずにゆっくりと過ごそうと決めた。

 一人きりの昼下がりも久しぶりだなと思いながらごろごろしていると千誉と祖母がすぐに帰って来た。

「水あげに行ってきただけだから」

 稼ぐ事が目的ではないためか、とてもゆっくりと農業をしているなと思った。

 母親が幼かった頃はこんなんじゃなかったはずだ。

 朝から晩まで畑で作業をしていたと聞いた事がある。

 母親が当時を振り返って辛かったと言っていたのだから、祖父母からすれば子供達の世話をしながら畑で作業をし、加えて明日の生活の事を考えなければならなかった訳で、文字通り命懸けだっただろう。

 今となっては猫しかいなくなった牛舎も幼い事は牛が何頭もいた事を覚えている。

 そう考えると、昔の人が大変な思いをして食べ物を作っていたという話も馬鹿に出来ない。

 それを見越して畑で野菜を作ると言い出した千誉はやはりと言うか聡明なんだろう。

 あるかどうかも分からない宝探しで一喜一憂している自分とは大違いだ。

「ねえねえ、これ、どうなったの」

 千誉が机を指差して言った。

 つい昨日まで大切にクリアファイルに入れておいた紙切れの群れが机に放りっぱなしになっている。

「どうなったんだろうな」

「どこ行くの? 咲ちゃんとこ?」

 立ち上がると千誉が聞いてくる。

「猫でも見に」

 千誉といると宝探しの事を聞かれそうで何となく気まずい。

 一人になりたかった。

「これ見てて良い?」

「好きにしろ」

 もう必要のない物だ。

 ビリビリに破かれた方がかえってすっきりするかもしれない。

 外に出ると暑いものの、風が出ていて気持ちの良い昼下がりになりそうだったが、牛舎の中は劣悪だった。

 風の通り道はなく、熱気は籠り、獣臭かった。

 どこからかやって来た野良猫に餌付けをしてしまった祖母が猫を飼い始めてもう何年にもなる。

 始めは一匹だけだった野良猫が子供を産み、その仔猫が成長して子供を産み…という連鎖の末に祖母の家は猫の巣となった。

 一時は十匹を超えた猫も車に轢かれたり、鴉やタヌキ、狐といった類の餌になったりを繰り返した結果、現在は四匹の猫が牛舎を家としている。

 くしゃみが出た。

 目もかゆくなってきている。

「今日はダメな日か」

 始めは家の中で飼っていた猫が牛舎に巣を移転したのはこの猫アレルギーのせいだ。

 それでも猫は嫌いではなく、気が向いた時に顔を拝みに来ているのだが、不幸にも今日は具合が悪いらしい。

 人懐っこい猫を一通り撫でまわしたところで退却せざるを得なくなる。

 家に帰ってくると、千誉は寝転がりながら紙切れで何かをしていた。

「アレルギー?」

 くしゃみで返事をして千誉の近くに座る。

「何やってんだ」

「んー」

 鼻をかみながら聞くと、気のない返事が返ってくる。

 夢中なのか、あるいは特に意味などないのか。

 それでも紙切れを弄る手が止まらない所を見ると、千誉なりに何かあるのだと納得する。

 傍から見る分には随分と退屈で、気が付くと再び外に出ていた。

 猫を撫で繰り回しに行くのでない。

 足は千誉が自由研究をしている畑に向いた。

 肥沃な黒い土は陽射しをたっぷり浴び、撒かれた水が次から次に蒸発しているせいで湯気が立ち込めている。

 湿度が異様に高い中を進む。

 土の匂いが強く、時折混じってくる青い匂いがほんの少し憂鬱な気分を和らげた。

 千誉が植えたラディッシュはまだまだこれからといったところだったが、祖母が作り続けている野菜たちは随分と立派に実っている。

 とうもろこし。

 きゅうり。

 トマト。

 一緒に植えるといけない野菜は何だったかなんて事を考えながら畑の中を進むと、おもむろにヒマワリが姿を現した。

「こんなのも植えてたんか」

 まじまじと畑を見ていなかったから分からなかった。

 すっかり人間よりも大きくなってしまったヒマワリの群れは揃って同じ方を向いている。

 彼らの視線の先にある巨大なヒマワリは天高く位置し、夥しい熱を振りまきながら満開の花を咲かせている。

 目の前のヒマワリもそれを目指して光合成に勤しんでいるのだろうか。

 今度は下の畑にでも行って日陰を楽しもうかと考えていると、ヒマワリの中に祖母がいるのに気が付いた。

「何やってんの」

「見りゃ分かるだろ」

 しゃがむ祖母の横には薄く積まれた雑草。

 これは確かに見れば分かった。

「炎天下で草むしりなんて暑いでしょ」

「昔ほどじゃないね。基も暇なら手伝いな」

 どこに隠し持っていたのか、祖母が軍手を投げてきた。

 マジかよと思ったが、特にする事もないので手伝う事にする。

「いやいや。暑すぎだって」

 しゃがむと真上から注がれる容赦ない日光に加えて、地面が蓄えた熱と密度の増した水蒸気が全身を包み込んできて不快指数が急激に増した。

「だらしないよ。最後までやりな。諦めんじゃないよ」

 スパルタな事を言う祖母が草をむしる手を止めてこちらをじっと見据えていた。

「最後までやるよ。あそこまでだろ?」

 ヒマワリの隣にはスイカが植えられていて、そこが畑の終点だった。

 普段から手入れが行き届いているおかげで雑草は短くまばらに生えている程度で、これくらいの量をむしり取るのを中途半端に止めるなんて逆に気持ち悪そうだ。

「草むしりの話じゃない。あの人が遺した物を継いだんだ。自分で決めてここまで来たんだろう。何があったか知らないけどね、途中で諦めんじゃないよ。男が廃るよ」

「盗ま…」

「盗まれた?」

 うっかり口を滑らせたのを祖母は見逃さなかった。

 仕方なく事情を話す。

 手掛かりは失われ、宝への道は閉ざされた。

 最後までやり抜くとかそういう次元ではなく、根本的に詰みなのだ。

「だから宝探しはお終い」

「馬鹿言ってんじゃないよ」

 話を続けたくなかったが、祖母がそれを許さなかった。

「紙切れは復元したんでしょ。だったらあの胡散臭い記者を追っかければ良いじゃないか」

「だってあいつ車…」

「車がどうしたってんだ。追えば良いじゃないか。こんな狭い場所が土俵なんだから必死になれば追い付けるよ」

 祖母が断言するように言うと、そういうものなのかもという気にさせられる。

 ただそう思わせるのが遅すぎた。

 時間が経ちすぎている。

「よし。こうしようじゃないか。もしここから逆転して無事に宝を見つけられたら、あの人が遺した遺産を何でも一つくれてやるよ。いくつかはまとまった金になると思うから、ご褒美にはぴったりじゃないか」

 駄々を捏ねる子供に何かをやらせたがる母親のように祖母がそんな事を言い出した。

「遺産ねえ…」

「いいから行きな!」

 気のない溜息を吐きながら呟くと祖母は遂に怒鳴り出して蹴飛ばして来た。

 しゃがんでいる時にまともに食らったのでそのまま地面に転がってしまう。

「失敗した所で諦めるから失敗って言うんだよ。成功するまでやるから成功なんだ。失敗で終わったって諦めなけりゃあ失敗じゃないんだ。いいから行きな!」

 この老体のどこにそんな力があるのかと思わせる力強さでもって起こされると、背中を強く叩かれる。

 そうは言っても東堂がどこにいるかなんて見当も付かない。

「さっさと出発する! でないと晩飯抜きだよ!」

 その場で何も出来ないでいると発破を掛けられ、嫌が応でも動かなければならなくなる。

 何より晩飯抜きは困る。

「…行ってくるよ」

 舌打ちしたくなるのを我慢して、代わりにそう言う。

「どうしろってんだ」

 一人きりになると自然とぶつぶつと祖母に対する悪態が口から出てきた。

 いいから動け。

 年寄りはよくそう言うけれど、それで問題が解決すれば訳ない。

 打開策がないから動けないのだ。

 いや。

 違うという事くらい頭では分かっている。

 自分で足を動かして打開策を見つけろという事なのだ。

 紙切れが一瞬で燃えてしまったあの瞬間の事が思い出された。

 あれですっかり持って行かれてしまっただろう。

 気力もやる気も何もかも、今の自分には何もない。

 それで思ってしまった。

 どうせ夏休みの気まぐれで始めた事なのだから、いつどこで止めても良いのだと。

 だから祖母のあの言葉は気持ちの上で納得がいかない。

 それでも、あそこまで言われて何もしなかったら帰るまでずっと飯抜きだってあり得てしまうのが祖母の性格だから困りものだ。

 狂い咲きの桜に川、そして旅館ふなさか。

 いつの日か思い出して懐かしむなんて事もないのだろうが、これで見納めになる事だけは間違いない。

 せめて、それらを一通り見て、それで帰って来よう。

 暑い中を動き回るのは面倒臭いなと思いながら貴重品を取りに戻ると、千誉が紙切れと共に茶の間にいた。

 隣の居間からテーブルを移動してまで何をしているのかと思えば、ぽかんと天井付近を見つめている。

 これも何かしらの意味があるのだろうか。

 長い付き合いだから深く詮索する事はしないが、それでも何を思っているのか知りたくなる時がある。

 妹の視線を追いかけると、二枚の航空写真が飾られていた。

 時代を考えるとどうやって撮ったのか分からない白黒の写真と昔ながらのカラー写真はどちらもこの家の周辺を上空から撮ったものだ。

 どうせ聞いても気の抜けた返事しか返ってこない。

 元より出掛けるための準備をしに帰って来ただけなのだから会話をするつもりもない。

 さっさと用事を済ませてしまおう。

 ゆったりと寝室に置きっぱなしのスマホと財布を取って戻り、さあ出掛けようとした所で勢い良く玄関口の戸が開けられた。

「誰か!」

「分かった!」

 前後から二つの声が重なった。

 前方では息を切らした咲がこっちを見つめているし、後ろでは顔を輝かせた千誉が同じようにこちらを見つめている。

「あんちゃん!」

「お兄ちゃんお兄ちゃん!」

 切羽詰まったような咲と笑みを浮かべて顔を輝かせている千誉が同時に言う。

 何事だよ。

「どうした」

 千誉は後でも構わないと判断して咲に声を掛ける。

「分かったの!」

 よっぽど嬉しい事があったのか、千誉が話を聞けと詰め寄ってきた。

「千誉。後でな」

 言うと、千誉は見る見る表情を変えてしょんぼりとした。

 構ってもらえずに寂しいのは分かるけど、今は咲の方が重要そうだ。

「どうした」

 血の気が引いた顔を見て、いよいよ尋常じゃない事が起きているのではないかという気になってくる。

「おじいが行っちゃった!」

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