強奪

「手を合わせよう」

 鉄治から紙切れを譲り受けた咲は外に出るとそう言い出した。

「これから宝探しをするんでしょ。私達、仲間でしょ」

 怪訝そうな顔が出ていたのか、咲がこっちを見るなりわざわざ説明をしてくれた。

「いや、別にいいだろ」

 こっちはもう何日も前から宝探しをしてんだから。

「良くない。私が本気で宝探しをするの。そのために必要なの」

 右手を掴まれ、強引に手を差し出されるとその上に環奈が手を乗せた。

 目が合うと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「楽しそうだから」

「そうそう。ナッちゃん分かってる」

 環奈の手の上に自分の手を乗せると、咲が頑張るぞと何の捻りもない一言を声高に叫んだ。

 よく通るその声は確かに人をやる気にさせるものだったが、だからと言ってそれに乗って続くのは恥ずかしい。

「おーっ」

 咲の一人よがりな宣言になるものと思っていたら、なんと環奈がノリ良く続いていた。

 晴れやかに言うその姿は一昨日までの環奈とは一味も二味も違った。

 事情を話せた事で心を開けたのか、あるいは抱えていた物の一部が取り除かれたからなのか。

 どちらにせよ、好ましい事には違いない。

 これが沓沢環奈という少女の本当の姿なのだ。

「あんちゃん」

「おー」

 ジト目で睨まれ、仕方なく乗ってやるが咲は満足しなかった。

「元気が足りない! もう一回! 頑張るぞ!」

「おーっ」

「おー」

「もう一回!」

 最終的に四回のリテイクを重ねた末に咲は満足した。

「まあ頑張ってこいや」

 この流れをずっと見ていた鉄治が最後に締めて、ようやく宿を経つ事が出来た。


「あんちゃんさ。もっと空気読んでよ」

 写真を撮りたくて紙切れを貸すように要求すると咲が不満と共に紙切れを渡して来た。

「読む価値のない空気は読まないの」

「私のモチベーションが違ってくるの。価値あるでしょ。将来の可愛い後輩の面倒見れて嬉しいでしょ」

 どうも咲は本当にこの村を去るつもりらしい。

 紙切れの写真を取る間、環奈と咲が世間話をしていた。

「来年高校?」

 光の調整に手間取ったが、無事に紙切れを撮る事が出来た。


 聳える冬 全て見える場所に眠る やがて夏が目を覚ますだろう


 最後の紙切れに書かれていた内容だ。

 思えば、どこに向かって歩いているのだろう。

 何となく咲の歩く方向に従って歩いているが、当の咲はそこら辺を散歩するような気配しかない。

 無難に考えたらどこか見晴らしの良い場所という事になるのだろが、咲には何か心当たりがあるのだろうか。

「そうだよ」

「じゃあ私と同じだ」

 紙切れを咲に手渡したところで動きがぴたりと止まった。

「え?」

「え?」

 咲と声が被る。

 同時に驚きの声が上がった事に驚いたのか環奈が立ち止まった。

「え?」

「年上かと思ってた。あんちゃんくらいかなって」

 咲が素直な感想を言うと環奈は目を丸くした。

「ねえ?」

 同意を求めるように咲が聞いてきたので頷く。

 自分の周りにいる異性と比べても大人びていたから、ひょっとしたら年上なのかと思っていたくらいだ。

「本当に中三?」

「そんなに老けてます?」

 思わず学年を聞くと環奈は不思議そうに質問で返して来た。

「老けてるっていうか…」

 顔立ちこそあどけなさが残っているが、その身に纏う空気には幼さを感じられない。

 自分が中三の時の事を思い出してみる。

 大人ぶりたい友達に勧められて洋楽に手を出したり、夜遅くまで遊んでいたりした。

 その一方でゲームの話をしたり、小学生が口にしそうな下ネタで笑い合ったりもした。

 そして結論に至る。

「というか、咲が子供っぽいだけ」

 咲の場合はむしろ小さな子供がそのまま大きくなった印象がある。

 中三にもなって川で水遊びをする女子中学生なんか見た事もない。

「あ、ですよね」

 同意して、それからしまったという顔をした。

「え、ちょっとナッちゃん?」

「だって。だってね、同じ歳の子でこんな風に外で走り回る子なんて見た事ないよ」

「うっわー。嘘でしょ。私、泣いちゃうよ」

 おどけたように言う咲に釣られて思わず笑ってしまう。

 環奈の意外な実年齢が明らかになり、立ち話から未だ見ぬ目的に向けて歩き始めた瞬間にそれは現れた。

 出方を窺うような動きをするものがあったので視線で追うとそれは人だった。

 線は細く、目深に被った帽子から束ねた長髪がはみ出ていた。

 その風体のせいで一瞬だけ細長い木のように見えてしまったのが悪かったのかもしれない。

 よろよろと動きながら近づくそれは唐突に咲にぶつかった。

「すいません。急いでまして」

 咲はよろけるが、そいつは何事もなかったかのように歩いていた。

 女かと思ったが、声質で男だと分かった。

「ああ、良いよ良いよ」

 転びこそしなかったものの痛い思いをしたのか、咲は肩をさすっているが嫌な顔をせず、笑ってその場を流した。

 すれ違いざまにすいませんと礼を欠く最低限の謝罪の言葉を置いて男は立ち去る。

 おやと思うと自然と足が一歩出ていた。

 どこかで見た気がすると思ったのだ。

 嫌な予感がした。

「落としたのかな…」

 咲の一言に反応して男が急に走り出した。

 直感は確信に変わる。

 男を追いかけるべく駆け出す。

「あ、泥棒!」

 事態を把握した咲が声を上げた。

 男がこちらを振り返った。

 東堂某。

 胡散臭い雑誌記者。

 がりがりの身体、へらへらとした歩き方に反して足は速く、普段からこんな追いかけっこを繰り広げているのではないかと思わせる走り方だった。

「待ちやがれ!」

 怒号が聞こえたと思ったらあっという間に咲に追い越された。

「ふぎゃっ」

 しかし、慣れない服装が災いしたのか、咲が目の前で盛大に転んだ。

 思わぬ障害物に自然と足が止まる。

 その間にも東堂は逃げて行く。

「あんちゃん!」

 何を言わんとしているのかを一瞬で理解し、咲を飛び越して東堂を追いかける。

 東堂は既に角を曲がり、姿が見えなくなっている。

 もう駄目か。

 まだだ。

 踏み出す足に力を込めて角を曲がる。

 車が目の前にあった。

 エンジン音が聞こえる。

 動き出した。

 ヤバい。

 そう思った時には時間の流れが緩慢になっていた。

 一瞬の間に様々な思考が駆け巡る。

 避けろ。

 ぶつかれ。

 死にたいのか。

 紙切れを取り戻せ。

 最終的に脳味噌が結論付けた意思はしかし、本能によって否決された。

 肉薄する車から逃げるように路肩に飛び込む。

 感覚的にはハリウッドの大作アクション映画のよう。

 車に掠ったのか、足の先に軽い衝撃が走った。

 腹から着地してすぐに車を確認すると、軽快なエンジン音を上げてゆっくりと走っていた。

 追ってこれるものなら追ってこい。

 そう言われたようで頭に血が上った。

 起き上がって走り出す。

 しかし、車との距離は縮まるどころか離されていく。

 当然と言えば当然の話だが、悔しかった。

 やがてスタミナが切れると足を止めざるを得ない。

 荒い息をそのままに見つめる先には誰もいない。

 朝一に見えていた雲もどこかに行ってしまい、どこまでも続く青空が余計に憎たらしく見えた。


「くそったれ」

 悪態が口から漏れた。

「あんちゃん」

 走り去って行った車の軌跡を見つめる以外に出来る事がなく、その場に立ち尽くしていると咲と環奈がやって来た。

「逃げられた」

「お兄さん。名刺、貰ってましたよね」

 そう言われて思い出した。

 財布の中にとりあえず収めておいた名刺を取り出して電話を掛ける。

 やはりと言うべきか、東堂は出なかった。

「いや、いいよ」

「良くない」

「いいんだって。だって写真撮ってたでしょ」

 謎解きはそれでも十分に出来るからと言う咲はそれで納得している様子だった。

「駄目だろ」

 それを口にした所で解決しない事は分かっていたが、それでも気が収まらない。

「咲のじいちゃんが託した物だろ」

 これまでに見てきた中で一番に汚れている紙切れ。

 それは同時にそうなるまで紙切れに触れてきたという事だ。

 何かにつけて思い出し、取り出しては過ぎ去った掛け替えのない日々を懐かしんでいたのだろう。

 きっと誰よりも鉄治が三人で交わした約束を胸に刻み込んでいた。

 それを諦めるなんて絶対にしてはいけない事だ。

「諦めちゃ駄目なんだ」

「…無駄に熱いんだね」

「余計なお世話だ」

「おかげでこっちまで熱くなってきたよ」

 そうだよねと自分に言い聞かせるように咲は自分の頬をぺちんと叩いた。

「取り戻そう。きついけど、自転車の方が早い」

 言うや否や咲は踵を返して走り出している。

「おい」

 謎は解けたのかと聞きたかったが、皆まで言わずとも咲には伝わっていた。

「大丈夫。全てが見えて、そんでもって聳えるなんて山以外にはあり得ないから」

 獲物を狙うような野性的な笑みを湛えて咲が断言した。

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