それぞれの事情
水遊びが一段落すると、千誉が宝探しは順調なのかと聞いてきた。
「順調なら川で遊んでなんかいられないな」
幸運な事にスマホが濡れていない事に安堵しながら答える。
「それじゃあさ、昨日までの事を教えてよ」
「だったら実際に行ってみようよ。あったんでしょ。手掛かりが」
咲が山の方を親指で気障ったらしく指して言った。
「その前に裾くらい絞って行け」
すぐに乾くとは言え、ずぶ濡れの少女を連れ回すのは気が引ける。
絞れる水気を絞り切ってから開花を待つ狂い咲きの桜のある場所に移動した。
「何もないよ」
桜が咲いている訳でも、ましてや宝がそこら辺に落ちている訳でもない。
今は緑が熱線を遮ってくれているおかげで涼むのに丁度良い場所でしかないのだ。
「そりゃあな」
「ここで何が出てきたの」
昨日の行動をトレースしたいのか、千誉がここに埋まっていた物を見せるように要求してきたので、スマホに収めた画像データを見せてやる。
昨晩も見た物を見せられた千誉が顔を上げると、露骨にがっかりしていた。
「これだけ?」
「これだけ」
「まあ、そうだよね。凄い財宝がこんな場所にある訳ないか」
それから急に冷めたように言った。
「そうだよね。ある訳ないよね」
気楽な調子で咲が相槌を打つ。
盛大に溜息を吐いた千誉は桜の根元に座り込む。
途端、会話が途切れた。
川で派手に遊んだ疲れをのんびりと感じる事の出来る、爽やかな倦怠を皆も感じているのか、誰も何も言わない。
風が吹くと静けさが際立った。
どこかで鳥が鳴いた。
そこかしこで聞こえる虫の音に耳を傾けていると大きな欠伸が出た。
「行こう」
ぼんやりと陽射しで照らされた葉の裏側が綺麗だなと思っていると、ムスッとしながら咲が口を開いた。
いつの間にそんなに機嫌が悪くなったんだと思ったが、それは正に今しがただと気付く。
鉄治が石段を登って現れた。
心臓に悪い緊張感を感じた。
鉄治を無視して咲が歩き始め、その後を追いながらも千誉は新たなに現れた老人を警戒している。
ナツは一歩も動かないでいた。
動けないでいたのかもしれない。
鉄治もナツの姿を認めるとその場で立ち止まった。
対峙する二人の表情は固い。
その中を歩く事など出来るはずもなく、自然と二人の成り行きを見守らざるを得なくなる。
咲だけが自分のペースで石段を降りて行ったためすぐに姿が消し、こちらの様子が気になる素振りを見せながらも千誉も石段を降りて行ってしまった。
狂い咲きの桜の前。
二人の様子を見ているしか出来ないこの状況が気まずくて仕方がない。
「ナツ。お前、本当にナツか」
その一言にどんな意味が含まれているのか、おもむろに鉄治が尋ねた。
ナツは何も言わない。
自分の事をナツと呼ぶように求めた少女。
その彼女が鉄治の問いかけに口を閉ざしている。
どうしてだろう。
自問してみるが、事情や理由があるから何も言わないのは明白だ。
ワンピースをぎゅっと掴みながら何も言わないナツは苦しそうな顔をしながらも鉄治を見据えていた。
必死に弁明を考えているようには見えない。
むしろ答えるべき答えがあるにも関わらず、それを言葉にする事が出来ないでいるもどかしさに喘いでいるように見えた。
「そうかい。まあ、そうだわな。俺も八十過ぎの爺だしな」
何かに合点が行ったのか、気の抜けた調子で鉄治が呟いた。
その表情はナツとは対照的で穏やかなものだった。
鉄治は足元を確かめるようにゆっくりと一歩ずつ足を進めながら御堂の方へと歩いて行った。
ナツはその間も、鉄治の姿が見えなくなった後も微動だにせず、ずっとワンピースの皺を濃くさせて俯いままでいた。
嗚咽こそないものの、一歩も動かずに俯く姿はどう見ても泣いていた。
自分は彼女の涙を止めるために何をすべきだろう。
そう考えて、今もやはり何も出来ない自分が不甲斐ない。
風が静かに吹いた。
夏の熱気は彼女の涙を乾かせるだろうか。
咲が引き返して来たのは、この状況に何も出来なくて泣きたくなったその時だった。
「ナッちゃん。どうしたの」
悲鳴にも似た声を出してナツに近寄る咲。
背中をさすってやりながらこちらを見るが、この状況を説明する術を持たない自分には首を横に振るのがやっとだった。
「あんの爺ぃ」
咲は何を勘違いしたのか顔を真っ赤にして怒り出した。
「咲。違う」
「何が」
噛みつくように言われ、何も言えなくなる。
「違うんです」
「何が」
気遣うように優しい口調で咲は言うが、険しい視線は御堂の方を向いていた。
「悪いのは私」
突き放すように咲から離れ、目元を拭い、麦わら帽子をいつも以上に目深にかぶり直して言った。
「でも」
「私なの」
ナツが歩き出し、石段を降りて行く。
「ちょっと」
ナツの姿が見えなくなると咲が聞いてくる。
「そう言われても」
「男のくせに頼りない」
二人で向かい合って無言で会話した挙句の事だから当事者以外が何か言えるはずもない。
「ほら。行くよ」
咲が手を引き歩き出す。
すぐに追い付くと咲はナツを宥め、そしてアイスでも食べようと言い出し、近くの商店に皆を連れ出した。
移動の最中も人数分のアイスを買っている間も咲はナツに話し掛け、口数こそ少ないものの暇さえあれば千誉はナツの手を握っていた。
男同士だとこうはならない。
不器用にそれじゃ意味ないだろというような一言を投げてお終いだ。
それか今みたいに黙って傍にいる事くらいだ。
だからこういう場面では女の友情が殊更に強いと実感させられた。
それでも無敵という訳ではない。
どれだけ言葉を重ねてもナツはうわの空だった。
会話をしているが、それが頭に届いているかは疑わしい。
棒だけになったアイスを口に咥えながら咲と千誉の励ましを聞く。
いつになったら満足するのだろうと思いながら考える。
あの時。
ナツと鉄治が向かい合っていたあの数分にも満たない時間。
そこに何があったというのだ。
その場に居合わせた身だからこそ意味が分からないと胸を張って言える。
分からないのだ。
そこだけ切り取っても分かりっこない。
バックグラウンドを知らない自分がどれだけ考えたって正解にはたどり着けない。
当人から聞き出す以外に道はない。
導き出した結論は身も蓋もないものだったが、これは宝探しをする上でも関係ありそうな気がする。
しかし、これ以上、踏み込んで良いのか。
興味半分で始めた宝探しに他人のプライベートを踏み荒らすほどの価値はあるのか。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
いつしか空は茜色に変わっていたが、向こうから重そうな雲が勢力を拡大しつつあった。
棒を店先に置かれているゴミ箱に捨てる。
「問題があるとすれば…」
何の気になしに呟くとナツが視線だけをこちらに向けた。
内側を晒したくなくて張りつけた笑みが夕日に照らされて不気味だった。
問題があるとすれば。
この少女とあの老人が素直に答えるかだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます