栗岡村の少女
洗い物を終えてから、両親を始めとする親戚が仏間の隅にゴミとして置きっぱなしにしてある物品を漁り始める。
祖父が常日頃から使っていた日用品に始まり、用途不明の道具、俳句が書かれた色紙など、祖母が捨ててしまって構わないと判断した祖父の思い出の品が山のように積まれた中から一つ一つ調べていく。
骨が折れそうだと思ったが一時間も黙々と作業をすると必要そうな資料を一通り集める事が出来た。
資料と言っても、集まった物は日記や手紙、写真に昔の地図といった程度の物しかないが、ないよりはマシと言える。
どれから見ていこうかと考えた末、簡単に精査でき、加えて祖母に聞けば更なる情報が得られるかもしれないという打算から、まずは写真を見ていくことにした。
アルバムを開くと懐かしさを連想させる独特の臭いがした。
収められている写真は祖母と結婚してから撮ったと思しき物ばかりであまり有益な情報はなさそうだが、見ている内に思わず和んでしまう。
花を育てている畑の前で撮った写真なんかは赤ん坊を抱いた祖母と祖父が笑顔で写っていて、祖母から聞かされた話以上に祖父とは仲が良かった事が窺えた。
一通りアルバムに目を通すと、次にアルバムに収められずに箱に入れられていた写真に手を出す。
箱に仕舞われていた写真はアルバムに収められた物よりも昔に撮られたと思われる物ばかりで、若かりし頃の祖父が頻繁に姿を現した。
また、写真は決まって祖父の他に二人の男女がいて仲良さそうにしていた。
その内の一枚、その男女だけが写っている写真を見つけ、何の気なしに裏返すと隅の方に小さく『テツとナツ 川辺にて』と書かれていた。
こうやって小さくメモを残すのがどうやら祖父の癖らしい。
他には風景や建物の写真があったが、収穫らしい収穫と言えば祖父にはテツとナツという友人がいたという事だろう。
写真に目を通した後に日記、手紙、地図と見ていく内にいくつかの事が分かった。
まずはテツとナツの二人について。
テツと呼ばれていた少年の名前は船坂鉄治。
旅館ふなさかの長男で後を継いでこの土地に残ったようだ。
写真を見ただけで豪快な男だという事が分かるガタイの良さと溌溂とした笑顔が印象的だ。
紅一点の彼女は式口ナツ。
着ている衣服が祖父やテツのと比べて随分と綺麗な事に加え、当時の祖父達を撮ったカメラが彼女の私物だという事が祖父の日記に書かれていた事からお金持ちのお嬢様だという事が窺えた。
そして何を隠そう、目的の宝を埋めた張本人がこのナツという人らしい。
てっきり祖父がひっそりと自分で宝を埋めたのかと思ったら、こんな事情があったとは思わなかった。
しかしながら彼女に関する記述はこれくらいのもので、他に分かった事と言えば、ある時を境にナツがこの村から去っているという事くらいだった。
この村を去ってしまった後のナツの行方は知れない。
しかし、栗岡村に残って宿を継いだテツからは何か話を聞く事ができるかもしれない。
「会いに行かないとな…まだ生きてると良いけど。それと紙切れの事も聞きたいな」
それから祖父が遺した紙切れについても分かった事があった。
紙切れ自体は宝を隠したナツが作り、これを祖父とテツに渡していた。
いわく、全て合わせて宝の地図になるそうだ。
つまり祖父が残した宝の地図とだけ書かれた紙切れは一枚だけでは宝に辿り着く事が出来ないという事になる。
紙切れを見つけ、紙切れに書かれた文章の意味を解き明かし、そして宝を見つけ出す。
道筋を思い描くと、わくわくしてくる。
情報を集約し、次にする事が見えてきた事にちょっとした充足感を覚え、今日はこんなものかなと思いながら時計を見ると時刻は三時を回っていた。
夕飯の材料を買いに行くには丁度良い時間だろう。
ついでに旅館ふなさかの前まで行ってみよう。
簡単にこれからの予定を組んだ所で畑に向かうと肥料の匂いが強くなった。
大抵の人は嫌がる鶏糞の匂いに不快感よりも懐かしい気持ちになるのは昔からここでこの臭いを嗅いでいるからなのだろう。
畑では千誉がぎこちない動きで土を耕している。
祖母がその様子を微笑ましく見守っていた。
「堆肥なんかまいて意味あんの?」
まいてから土と馴染ませる時間が必要な気がする。
「やってみたいんだと」
祖母の視線の先にいる千誉は臭い臭いと言いながら古典的に鍬を振るっている。
「それでどうしたんだい」
「買い物行ってくるから」
「あいよ」
短いやり取りをしてから自転車に跨り出発する。
車が行き交う事のない国道を進む。
駅前をボロい田舎だと思ったが、ここに至っては何もない。
思い出した頃に職場兼自宅といった風情の場所が現れるくらいで後は草と木しかない。
徐々に茜色になりつつある太陽に照らされた草木はこれまでに見た事もない色味を帯びていた。
そんな事に気付けるほどにここには何もない。
昔からこんな景色だったのだろう。
祖父も同じ光景を見ただろうか。
そう思うと、大昔にタイムスリップしたような気分になる。
当時はどうだったんだろう。
こんなに整備された道の上を歩く事はあっただろうか。
思い出すのは午前中に感じた地面の凹凸。
その中を自転車で進んだらきっと漕ぎ辛い。
汗を拭う。
衣服に染み付いた柔軟剤が香った。
当時ならどうだろう。
土と汗の臭いがしたのかな。
そんな時代の宝。
どんな物だろう。
当時の少年少女が隠した物だ。
大層なものではない事くらい容易に想像がつく一方でそれを自分の目で確かめたくて仕方がない。
カラカラと空回りしたような音を絶え間なく出す錆びたママチャリで三十分も漕いだ頃にようやく村の中心部に着いた。
先に買い物を済ませるか、あるいは寄り道を先に済ませるか。
そんな事を考えながら、しかし初めて訪れる場所がどのような所なのか気になって特に目的もなく散策する事にした。
人通りはない。
スーパーやコンビニというものはなく、代わりに商店が幅を利かせている。
電気屋は小さい電球しか置いていないんじゃないかと思わせる雰囲気だし、書店は日光を避けるためか半分シャッターを閉めているせいで営業しているかも疑わしい。
そんな中で蕎麦屋の窓からは大きな薄型テレビが見え、コインランドリーに至っては外壁や内装が新品のように輝いている。
昭和の街並みの端々に平成という異物が紛れ込み、全体としてシュールな印象を与える。
「変わったり、変わらなかったりか」
祖父が遺した写真に映された建物がある一方で跡形もなくその痕跡が消えている場所もある。
今も残る建物も誰かが使っていると分かる物もあれば荒れ放題になっている物もある。
新しい物と古い物。
昭和と平成。
生と死。
様々な対比が色濃く現れた空間の中にいると、ここはもしかしたら自分の知らない世界なのではないかという錯覚に陥る。
未だ明るいが、少しずつ影が勢力を伸ばしている。
温い風が頬を撫でる。
寒い訳でもないのに鳥肌が立った。
さっさと用を済ませて帰ろうと思い、来た道を引き返す事にする。
通りを進んでいると、十字路の右側を何かが通り過ぎるのが見えた。
思わず自転車を止める。
それからゆっくりと十字路に近づき、右側を覗き込む。
白いそれは残念ながら幽霊ではない。
麦わら帽子に真っ白なワンピースという、どこか見覚えのある服装の少女が佇んでいた。
近付くと、自転車が発する音に気付いたのか、彼女が振り返った。
手を振りながら近づくと、少女は花が開いたように顔を輝かせた。
「ああ。お兄さん」
少女は頭を下げ、
「困っていたのです」
と安心したように言った。
「どうしたんですか」
困られても何の助けにもならないと思いながらも事情を聞く。
「迷子になってしまって。ふなさかという宿を知りませんか」
「ああ…知っていると言うか何と言うか…」
これから行こうと思っていた場所だ。
「本当ですか。良ければ案内していただけませんか」
困った事になった。
昔の地図でしか場所が分からない上に頼みの綱の地図は置いてきた。
しかし、困っている人を放っておくのも申し訳ない。
「うろ覚えですよ」
「大丈夫です。こう、誰もいませんからね。誰かと一緒の方が安心できるんです」
そこまで言われたら仕方がない。
自転車を降り、少女と共に歩く。
今更名前を聞くのも気が引ける。
向こうもそう思っているのか、彼女から名前を聞かれるなんて事もない。
カラカラという自転車の音だけがこの微妙な間を持たせていた。
何となしに角を曲がり、それから何となしに見上げると、坂の上に白地に赤い字で『旅館ふなさか』と書かれた看板が立っている建物が見えて内心でとても安心した。
「この先にあるみたいですね」
「良かった。予約もしたのに、迷子のまま野宿になる所でした」
胸に手を当てて彼女が言った。
「そんな大袈裟な…」
電話の一つでもすれば旅館の人が迎えに来てくれるだろうに。
さっきも思ったが、やっぱり不思議な人だ。
変な人の方がしっくりくるかもしれない。
同年代の異性らしからぬ言動をするし、独特の空気を纏っている。
彼女の雰囲気は微妙に時間の止まったこの場所に妙にマッチしていて、もしかしたら自分は本当に見も知らぬ場所にやって来てしまったのではないかという妄想すら頭に浮かんでしまう。
「それで栗岡村には何をしに?」
言ってから、夏を終わらせに行くと言っていた事を思い出す。
「夏をね、終わらせに来たんです」
やはり同じ事を言った。
意味の分からない返事であったが、それ以上は何も答える気がないのか会話はそこで終わる。
ちょっと気まずいななんて思いながらゆっくりと坂道を上ると無事に宿に到着する。
自転車を止めて中に入ると、外観と同様に古びたエントランスが視界に入ってきた。
「はいはーい」
呼び鈴を押すと、少年が出てきた。
全身が真っ黒に日焼けし、Tシャツに短パンという服の上から年代物の法被を着ていた。
「いらっしゃい。二人?」
そう言う声は甲高い。
「お電話差し上げた者ですが」
「あ、そうなの? ちょっと待ってね」
法被の少年はそう言い残し、奥に行く。
おじい、予約の人だって。
そんな声が奥から聞こえてきた。
「随分と通る声なんですね」
少女は接客に気を悪くするでもなく、目を細めて言った。
態度は悪いが、不思議と許せてしまう空気があった。
「ですね」
カチカチと時を刻む音がやたら耳に付く。
会話はない。
遅いなと思ったタイミングで法被の少年が駆け足で戻ってきた。
その後から老人が姿を現した。
彼がきっとテツこと船坂鉄治なのだろう。
いかにも頑固親父然とした老人はゆったりと歩く。
「予約の…」
名前を思い出そうとしているのか、頭に手をやりながら、しかしその老人は少女を見て固まった。
「お前、もしかしてナツか」
その一言にドキリとする。
ナツ。
式口ナツ。
言われてみれば、隣にいる少女は写真の彼女とどこか似ている気がする。
いや、気がするだけだ。
よく見れば写真の中のナツとは似ているのはその雰囲気だけで、そもそもの話、考えてそんな事が有り得るはずがない。
どれだけの時間が経っていると言うのだ。
写真に写るガタイの良かったテツは今や老人ではないか。
どんな反応をするのかと思ってじっと彼女を見ていたが、当の彼女は微かに頷いただけだ。
その仕草は年老いた老人の妄言を優しく受け止めているようにも何を言っているのだろうと疑問を呈しているようにも見える。
それにナツというのが本当に彼女の名前なのかもしれない。
夏なのか奈津なのか、どういう字を書くのか定かではないが、女性の名前だと思えばあり得ない話ではない。
誰も何も言わず、何もしない。
おかしな空気が旅館の玄関口に流れると、少年がしびれを切らしたように口を開いた。
「おじい。部屋に案内するんじゃないの」
怪訝そうな顔をして鉄治を見る目はついにボケたのかと疑うような鋭さがあった。
「おお、そうだな。それじゃあお上がり下さい」
鉄治はこちらの事なんでまるで無視してナツだけを見て言った。
「今日は本当にありがとうございました」
ナツはそう言って頭を軽く下げるとそのまま宿に上がり、鉄治の後ろを着いて行った。
「それであんちゃんは何?」
様々な事が頭を駆け巡る中、少年が話し掛けてきた。
「何、とは」
「あんちゃんはどこに泊まってるんだよって話。良かったら家を使わない? 今なら目の前にいる美少女の接客付きだよ」
親指で自分を指して言った。
ボーイッシュな格好に口調からすっかり少年だと思っていた目の前の人物はどうやら少女らしかった。
「ああ。泊まる場所は決まってるから」
少年と口に出さなくて良かったと思いながら答える。
「それじゃあ早く出てった方が良いよ。おじい、怒ると怖いから。客じゃないと分かったら斧で頭をかち割られるね」
妙な空気に呑まれて鉄治から話を聞きそびれてしまった。
「そっか。それじゃあお邪魔しました」
また明日、ここに来よう。
「やっぱ待って。聞きたい事があるんだ」
長居すると頭を割に来るとか言いながら呼び止めるとはどういう了見かと思いながら、少しくらいは付き合ってやろうかと思う。
もしかしたら鉄治が再び現れるかもしれない。
「あんちゃん、高校生だろ。どこの高校に通ってるの」
そう問われ、現在通っている高校を口にする。
「…下宿になるな。ねえ、楽しい? 私さ、今年受験なんだ。でもさ、地元の高校なんかつまんなくて通う気にならないんだよね。ここら辺のの中三、私だけなんだよ。信じられる? どっか遠い所に行きたいんだ」
独り言と質問を織り交ぜながら少女が聞いてきた。
「中学も高校も大して変わらない気がするけどな。少し、やっても怒られなくなった事が増えただけだ」
夜に一人で出歩いても、早弁しても、休み時間に漫画を回し読みしても何も言われなくなった。
中学から変わった事と言えばそのくらいなもの。
「でもさ、友達はずっと増えたでしょ」
「まあ、確かにな」
友達の友達とつるんで遊ぶなんて中学の頃からすれば考えられない事だった。
今日だってナツと出会った。
「それだけで十分。私からすれば十分なんだよ。今の私には同年代の子なんてほとんどいないし、友達と言えばそこら辺の魚くらいのもんだよ」
「そうなのか。かわいそうに」
「いや、冗談だから真に受けないで。ボールが友達なんて言うつもりはないかんね」
それ以上、聞きたい事がないのか、質問攻めは終わった。
鉄治も現れる気配はない。
帰っていいのかな。
カレーの材料を買わないと店が閉まる。
そんな事を考えながら入り口の戸に手を掛けるとまた呼び止められた。
「名前、教えてよ」
「遠藤基」
「もとい? 変な名前だね」
「そういう時は良い名前だって褒めんだよ」
「何年?」
「高二」
「私、船坂咲。花の十五歳。あんちゃんはいつまでいるの? 何しに来たの?」
また質問攻めかともうんざりしてきたけど、黙って帰ろうとすると物理的に止められそうな気がした。
「自由研究しに一週間だけな」
「自由研究?」
「こっちの郷土史を調べんの」
「面白そうだね。よし、私も付き合うよ」
「結構です」
「えー良いじゃんか。私も暇なんだよ構ってよ」
「結構です」
「じゃあ勝手にあんちゃん捜して付きまとう。明日はどこにいる予定?」
マジかよと思いつつも、腕を組んで悪戯っぽく笑うのが妙に様になっていて、つい許してしまいそうな憎めなさを感じた。
好きにしろ。
そう言いかけたところで重い鐘の音が鳴った。
はっと時間を確認し、そろそろ出ないと本当にマズイと悟る。
「行かないと」
不意を突き、駆け出す。
「あ、待って。明日の予定を」
引き留める言葉から逃げるように外に出ると急いで自転車を走らせた。
覚えてろよ、絶対に見つけてやるからなという声が坂を下った先でも聞こえてくる。
本当によく通る声だ。
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