出会い

 夏期講習に出ないならと渡された多くの宿題はこれなら夏期講習なんか受ける必要なんかあったのかと思いつつも九割方済ませた。

 虫や蛇に噛まれた時の対処方法は調べたし、薬局でいくつか薬も買った。

 準備は万端。

 期限は両親が祖母の家にやって来るまでの一週間。

 それを過ぎると現代の高校生らしい生活に帰らなくてはならない。

 短いタイムリミット。

 あるかも分からない宝探し。

 俄然、胸が躍る。


「しかし、車を使わないと遠いもんだな」

 祖母の家までは車だと二時間もあれば着いてしまうが、電車とバスを使っての移動となるとなぜか五時間もかかってしまう。

「待ち時間が長いもんね。あと一時間くらい」

 夏の暑さにうんざりしながら独り言のつもりで呟くと千誉がバスの時刻表を見ながら答えた。

 ウソだろと思いつつ、自分で時刻表を確かめると本当にそれくらいの時間待たなければなからなかった。

 電車を降りた瞬間から感じていた古臭さは駅の外に出ても変わらない。

 トタン屋根の民家にすっかり寂れてしまったガードレール。

 人通りはなく、シャッターの降りた店も多い。

「どうやって時間を潰すの?」

「分からん」

 次のバスがやって来るまで一時間。

 じっと待つには暑く、どこかうろつくと余計に暑くなる。

 冷房の効いた店に入ろうにも肝心の店が見当たらない。

「コンビニは。コンビニ」

「好きだな」

「面白いじゃん」

 これから祖父の遺した宝を探しに行くのにコンビニかよと呆れてしまったが、しかし名案でもあった。

 二十四時間営業だから閉まっている心配はないし、立ち読みでもすれば時間も潰せる上に店内はクーラーも効いている。

「はい採用」

「じゃあ早く行こう」

 早くも千誉が動き出している。

 妹に引っ張られるように歩き始めてはてと思った。

「コンビニなんてあんのか」

「探せば出てくる」

 おっしゃる通りと言ってあげたいが、炎天下を彷徨う気にはなれなかった。

「せめて見つけてから言えよな…」

 街並みと同様に駅も古く、駅の中にはコンビニはなかった。

 駅の敷地を出るとすぐにメインストリートと思しき通りに出るが、メインストリートとは名ばかりの言っても二車線の車道を囲んでいるのは肉の某や何とか電器という看板のある建物が連なっているだけで華もなにもない。

 田舎らしく、背の高い建物なんかこれっぽっちも見当たらない。

 精々、三階建ての建物が限界だ。

 そして予想通り、コンビニらしき建物は見当たらない。

 今から向かう祖母の家はここよりも更に何もないのだから笑えてくる。

「あった!」

 それでも目的の場所を見つける辺り、流石と言わざるを得ない。

 千誉があっちを指差してこっちを見ているが、目的のコンビニがどこにあるのか分からない。

「どこだよ」

「あっち。あの信号の」

「あー…もし、あのオレンジの看板がそうだと言うのなら」

「言うのなら?」

「遠い」

 千誉は通りの外れにぽつりと立っているコンビニ特有の高いポールを指差していたが、ポールの先端にあるオレンジの看板に描かれているはずの鳥の絵がよく見えない所を見るにそれなりの距離があるだろう。

 歩いている内に溶けてしまいそうだ。

「じゃあ一人で行ってくる。荷物持ってて」

 言いながら荷物を押し付けてどんどんと身軽になる千誉。

「中にいるから」

 話を聞いているのか、千誉は既に駆け出していた。

 

 直射日光を避けるように駅の中に引き返す。

 駅の中も暑いが外と比べたら幾分もマシだった。

 ベンチに腰かけ、千誉が戻ってくるのを待つ事にする。

 壁に取り付けられた真新しいテレビは甲子園を映しているものの、野球を見て面白いとは思えず、すぐに視線を別な場所に移す。

 駅員もキオスクのおばちゃんも暇そうだ。

 ぽつりと駅を訪れる人は決まって高齢の人で、足取りが少しおぼつかない。

 だからだろう。

 麦わら帽子に真っ白なワンピースという出で立ちの少女が忙しなく歩き回り、駅の外に出て行ったと思ったら落胆したような顔をして駅に戻ってくるのがやけに浮いていた。

 あまりにも浮いていたものだから彼女の行動をずっと目で追っていると、その少女と目が合った。

 どこか気まずく、そっと目を逸らして甲子園を見る。

 一際大きな歓声が湧く中、高校球児が互いに駆け寄ると礼をしたりしていた。

「もし」

 校歌が流れる中、その少女が話し掛けてきた。

「栗岡村に行きたいのですが」

「はあ」

「どうすれば行けますか」

 その問いに何と答えたものかと考える。

 時間が掛かっても歩けばいつか辿り着くだろう。

 タクシーにでも乗れば高いが指定の場所に向かってくれる。

 電車を乗り継ぐつもりならそもそもの話、駅員にでも尋ねてほしい。

「バスなら一時間もしない内に来るみたいだけど」

 それでもこうして話し掛けてくるという事はそれ以外の手段を使うと言うのだろうと思い、そう答えた。

「一時間…」

 そんなにかかるのかと唖然としたように呟いた少女は当たり前のように隣に座ってきた。

 他に人が座っていないのだから一つくらい離れて座っても良いだろうにと思っても口には出さない。

 ちょっとドキドキしつつも平静を装う。

「どちらまで?」

 じっとこちらを覗き込みながら少女が聞いてくる。

 自分の身近にいる異性が絶対にしない仕草を平気でしてくるものだから、いちいちドギマギさせられる。

「栗岡村までです」

「まあ」

 指先を軽く合わせるように手を合わせると、少女は花のように笑った。

「でしたらご一緒しませんか」

「まあ、別に」

「良かった。バスなんて乗りませんから、勝手が分からず困っていたのです」

 不思議な人だ。

 服装も話し方も仕草も演技でもしているんじゃないかってくらいにわざとらしいのに、とても自然で、おまけにバスに乗った事がないときた。

 箱入り娘か何かだろうか。

 世の男はこういう女に弱いと聞くが、実際はどうなんだろう。

 会話らしい会話はない。

 テレビから流れてくる乾いた金属音と時々湧く歓声が断続的に耳に届く。

 横目で少女を見る。

 同年代だろうか。

 うっすらとはしているのかもしれないが化粧っ気は感じられない。

 麦わら帽子から伸びるカラスの濡れ羽のように輝かく長い髪と真っ白のワンピースの組み合わせが映えている。

 持ち物と言えば大きめの鞄と日傘が一つずつ。

 スマホを弄る事もなくテレビ画面を見つめる彼女は昭和の映画なんかに出てくる両家のお嬢様を連想させた。

 金属音と共に歓声が上がると、選手を褒め称えるように拍手をする。

 少女がはっとしてこちらを見る。

 目が合うと、彼女は赤面して俯いた。

 こっちまで照れくさくなってテレビを見ると、ピッチャーがアクロバティックな動きで捕球していた。

 それから数回、攻守交代を繰り返した後に千誉が帰って来た。

「ただいま」

「おかえり」

「妹さんですか」

「ええ」

「誰?」

「分からん」

「一緒に栗岡村まで行くんです」

「遠藤千誉です。よろしくお願いします」

 兄に対する態度を一変させ、千誉がよそ行きの声で言った。

「こちらこそよろしくお願いします」

「そう言えばお兄ちゃん。もうバス来てたよ」

「は?」

 慌てて時間を確認するが、発車時刻まであと十分ある。

「まだ時間あるじゃん」

「早く来て準備してるんじゃないかな。五分前行動」

「びっくりさせんなよ。十分前な」

「乗ろうよ。レトロだよ」


 妹に急かされ立ち上がると、隣の彼女も一緒に立ち上がった。

 駅を出ると、ワゴン車を更に大きくしたようなフォルムの車が停留所の前に停まっている。

「確かにレトロだ」

「懐かしい」

 車内に乗り込むと吊り革もシートも長年使い込まれた事が分かる色褪せ方をしていた。

 乗客は皆無で自分たち以外には誰も乗ってはいない。

 最後尾に千誉と並んで座ると、反対側の窓際に彼女が座った。

「お兄ちゃん、交代」

 言うや否や千誉が窓側から膝の上をまたぐようにして通路側に移動した。

 発射しますという聞き取りづらいアナウンスと共に景色が緩やかに動き出す。

 通りを抜けると海が見えてくるが、すぐに視界から消え、代わりに生い茂る木々が姿を現した。

 景色が代わり映えしなくなった辺りで千誉の様子を伺うと、千誉は興味津々と言った様子で未だ名前も知れぬ彼女を見ていた。

 その彼女は外の景色などには目もくれずに手帳に目を落としている。

「気になるなら話し掛けてみろよ」

 話し掛ける声は自然と小さい。

「大丈夫かな。さっきから一枚もページ捲ってないよ」

「瞬きはしている。死んではいない」

「じゃあ大丈夫だ」

 冗談に本気で納得した千誉がじっと手帳を見つめる彼女の方に寄って行く。

 千誉に気付くと、彼女は柔和な笑みを浮かべた。

「お姉さんは何しに行くの」

「夏を終わらせに行くの」

 少しの間があって彼女がそう答えた。

「夏を…え?」

 困ったようにこっちを向いて助けを求めてくるが、だからと言って出来る事は特にない。

「お姉さんにも色々と事情があるってこった」

「そっかあ…じゃあさっきから何を見てたの」

「秘密」

 悪戯っぽく答えた彼女はこっちを見て微笑んだ。

 面白い妹さんね。

 そんな意味合いに笑みだったのだろうが、不意に笑顔を向けられて身体が熱くなる。

「妹さんは何をしに行くの」

 今度は反撃とばかりに彼女が質問を始めた。

「おばあちゃんの家で野菜を作るの。自由研究なんだ」

「へえ。それは凄いね」

「凄くない。作るのは夏休みの間だけ。育てるのは収穫出来そうなラディッシュ。凄いのはいくつもの野菜を作り続ける農家の人だよ」

「今の子は凄いな。そんな事まで考えてるのか…」

 どこか遠い目で呟く彼女も十分に今の子だろうに、彼女の持つ独特な雰囲気は彼女を見た目以上に大人っぽくさせていた。

「それじゃあお兄さんも自由研究で?」

 高校生にもなって自由研究なんて課題があったら、生徒たちから大ブーイングが起こるに違いない。

「そう言えば、お兄ちゃんは何しに来たの? 急に行くって言い出したよね」

「自由研究」

 祖父が遺した意味不明な紙切れ片手に宝探しに来ただなんて言ったら笑われそうで、そう答える事にした。

「高校にも自由研究あるんだ」

「今時の高校は凄いんだね」

 千誉も彼女もなぜか本気にしてくれたようで、それ以上の追及はなかった。

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