第21話飛ばないで~翼~

「風、強くなってきたな」


 誰に言うでもなくつぶやき、安達は前髪をかきあげた。グランドの土がわずかに舞い上がったせいか空気が埃っぽく、軽く咳き込んだ。


 鈍いんだよね、美空ちゃんも氷川も。

 さっさと気づけよ。お互いを傷つけあってどうする……?


 見ているのがもどかしい。もどかしさのあまり言ってしまった。

 余計なひとことを。


「安達ー!ボールいったぞー」

「オッケー」


 飛んできたやや荒いボールを安達は胸で軽く受け止める。


「……まあ、過ぎたことは仕方ないか」


 口ではそう言いながら、安達は力任せにボールを蹴った。空を切るボール。鋭く貫く……。


「………………」








「風、強すぎ……」


 クシュッ。


「おまけに寒いッ」


 鳥肌のたった腕をさすりながら、近野は走る。よりによってこんな日に外で走り込みとは。走っていれば身体が温まるかと思ったが、あまりの強風のせいで脚の動きが鈍く、感覚もなくなりかけている。


 あーあ。温かいもの食べたいー。


 そんなことをのんきに考えていられたときはまだましだった。


「え……」


 ふと近野は足を止めた。







「風が……止んだ」


 翼はハッとした。


 風が止んだ。

 空気が固まり、そして……。


 世界が眠った。







 辺りを見回す。


「山内先輩!?」


 たった今、トラックの周りを走っていたはずの山内。その後ろにつく後輩たち。


「谷口先輩も……」


 トラックの脇でストレッチをしていた部長の谷口。


「武田!井上!崎本!」


 クラスは違うが部活で知り合った同級生たち。


 みんなみんな、止まってしまった。


 それぞれが変わらない表情で。ある者は笑った顔のまま。ある者は高跳びのフォームのまま。ある者はまばたきで目を閉じたまま。


 この風景が写真だったとしたら、おかしなタイミングでシャッターを押してしまったと思うだろう。


「みんな……時が、止まった……?」


 たった一人、翼だけが。

 その時に存在していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る