第19話飛ばないで~翼~

「氷川くん」


 美空に呼ばれた。おそらく彼女から話しかけてくるのは初めてだ。そう気づいた翼はなんだか不思議な気持ちになった。


 夏目にとって俺ってなんなんだろう。


 その答えはもちろん美空本人にしかわからない。いや、もしかしたら彼女自信にも理解できていないのかもしれない。

 お互いを思う不思議な感情。


「何?」

「私、ね。あの……氷川くんに話したいことがあるの」


 細く震えた声。美空の頬は青ざめたような色をしている。


「夏目?大丈夫……?」


 心配になって翼は声をかける。しかし美空はゆっくりとうなずいた。


「大丈夫だよ。大丈夫……。あのね、私の秘密、聞いてくれる?」

「秘密……」

「氷川くんに聞いてほしいの。何も言わなくていいから、聞いてほしい。自分勝手でごめんね。でも」


 美空がまだ何か言おうとしているのを遮り、


「わかった」


 翼は言った。


「いいよ、話して」

「……私、本当はこの世界にいちゃいけないの」

「………………」

「………………」


 静寂が訪れた。翼も、それから美空も何も言わなかった。

 まるで二人の時が同時に止まってしまったように。

 しかし時は再び動き出す。

 翼がやっと口を開いた。


「どういう、こと?」

「………………」

「どういう意味?夏目は何を言ってるの?」


 美空が顔を上げる。


「わからない……。私にもわからないの。でもこの世界は私を疎外しようと必死なの。それだけはわかる。私は独り、別のどこかに生きてる。私は本当の私じゃない。誰も理解してくれないけど、私は私じゃないの……!」

「時間の流れが……ずれてるから?」


 うめくような低い声で翼が聞いた。

 美空はハッとした表情になる。


「……知ってたの?」

「俺じゃない。安達がそう言ってた」

「安達くんが?」


 力なくうなずく翼。


「安達は知ってたんだ……」

「氷川くんも気づいてたの?」

「………………」

「私が頭のおかしな人間だと思う?そんなのただの妄想だって」

「………………」


 何も答えられない。ひどく頭を殴られたようなショックに陥っていた。翼はおよそいつもの自分らしくない虚ろな目で立ち尽くす。


「氷川くんは、きっと独りぼっちになったことがないから、わからないかもしれない」


 美空は震える声を隠すようにうつむく。


「本当は、一緒にいてくれる人がほしかった……」


 一緒にいてくれる人……?


「でも、そんな人がいるわけなかったんだね」


 美空はそのまま翼に背を向ける。それは翼が今まで味わったことのないほどの拒絶。美空は心を閉じた。


 翼が彼女にそうさせたのだ。彼女が唯一心を開きかけていたはずの翼が。


 どうしてだろう。

 俺、自分がわからない。わかんねーよ。


 こんな風に傷つけたくなかった。でも彼女の問いにすぐに答えられなかった。なぜためらってしまったのだろう。


 自分は美空の味方だと伝えたい。でも今さらそんなことを思っても、遅いのだ。


 美空は翼の前から静かに立ち去った。翼はそれを引き止められなかった。

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