第17話願い~空~

 最近いつも同じ夢を見る。

 世界の時が止まってしまう夢を。






 11.5メートル。

 屋上までの高さ。


「夏目さん」


 名前を呼ばれて、美空は自分の手が止まっていることに気づいた。


「夏目さん、大丈夫?なんだか怖い顔をしてる」


 そう言って美空の顔をのぞきこんできたのは、文芸部の三年、松永まつなが。三つ編みにした髪と黒渕眼鏡が特徴的な、いかにも文学少女という感じの女子だ。

 眼鏡の縁に手をかけながら、松永は美空と視線を合わせる。


「悩み事?」

「え……いえ、あの」

「それなら、難しい数学の問題でも考えていたのかしら」


 柔らかい口調で問う松永。

 それがあながち間違いでもなかったので、美空は松永の勘の鋭さに驚く。


「すみません、部活中に……。あの、松永先輩」

「何?」


 文芸部の部員は二、三年生を合わせて五人。四月はまだ部活動登録の前なので一年生は入部していないが、三人入ったらいい方だと見込んでいる。運動部や吹奏楽部などの大所帯の部活に比べて、人数が少ないぶん規模も小さい。

 少人数なため、上下関係もあまりなく和気あいあいとしている。文芸部の先輩は美空が相談事をできる数少ない人材だった。


「時を止めることって、できると思いますか?」

「……時を?」


 突然の質問に松永は驚いた顔をしたが、少し考え込んだあと、静かに口を開いた。


「人の感覚的にということなら、可能……かもしれない。楽しいと感じたときには時間の流れが速く、逆に退屈な時間は遅く感じるというのは有名な話だものね。小説でもよくある表現かな。とても驚いたときに、“一瞬時間が止まったかと思った”なんて」

「……そう、ですね」

「そのすっきりしない顔を見ると、夏目さんの求めていた答えではなかったみたいね。でもごめんね。私にはこれが限界。物理的に不可能なことは苦手なの」


 文芸部員とあって松永も文章を書くが、彼女の専門は純文学。とりわけ近代文学寄りの思考をしている。大衆文学に多いファンタジーは得意分野から外れていた。


「でも、それは私の苦手な分野なだけであって、完全に否定するわけではないの。夏目さんはファンタジーが好きでしょう?ファンタジーにはファンタジーの魅力がある。それにね、世界ってひとつじゃないの」

「どういう意味ですか?」

「私たちの住むこの世界とは別に、他にも世界があるの。これはファンタジーに限らないから、私も納得してることなんだけどね……見えないものってどこかに存在しているんじゃないかな」

「見えないもの……」

「例えば“時間”。まさに私たち人間の目には見えないものでしょ?でも確実に存在する。見えないからこそ、人間はその概念に名前をつけたの。よく考えてみて。時間というものは私たちと全く同じ次元にあると思う?」


 美空には理解が難しい考え方だった。わからないなりに考えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「時間は……私たちのすぐ側に、あります」


 何をしている間も一生ついて回る“時間”。誰にでも、どこにでも存在する。


 美空の答えを聞いた松永は微笑み、うなずいた。


「そう。夏目さんの考えはそうなの。それなら、次は私の番。私はね、時を止めることはできると思う。……ただし条件付き」


 最後の言葉を付け足すとき、松永はいたずらっぽく笑った。


「とてもマイペースな人か、もしくは神様。彼らなら自由に時を操れると思う。他の人は、よっぽど強い意志を持っていれば……可能性はある、かな。時を止めようなんて、なかなか誰も思わないだろうけど」


 美空はうつむき、松永の言葉を心の中で繰り返す。

 とてもマイペースな人か、もしくは神様。それか強い意志。


 この世界とは別の、他の世界。

 きっとそこに流れる時はこことは違う。


 時を止めようなんて、きっと誰も思わないだろう。

 ……彼女以外は、きっと誰も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る