第10話小鳥~翼~

 校庭のトラックの周りに人が集まっている。

 ざわつきの中に混じる歓声と称賛の声。


「スッゲー」

山内やまうち先輩を負かすなんて……」

「こりゃ新エース誕生だな」


 人だかりの中心にいるのは、二人の男子生徒。ひとりは膝に手をつき、下を向きながら呼吸している。もうひとりに至っては、荒い呼吸で地面に座り込んでしまっている。


「氷川……お前」


 三年の山内が、苦しそうに身体を起こす。


「速すぎるだろ……マジかよ」


 山内は地区大会の優勝経験を持つ陸上部のエース的存在だ。次の大会でも優勝候補として真っ先に名前が挙がっていた。この学校で短距離選手として彼の右に出る者はいない。


 その山内をあっさりと負かしてしまったのは、彼の一学年下、二年の氷川翼だ。


 肩で大きく息をしながら、山内がなだれかかるように翼の肩を抱いた。


「……生意気すぎるくらいはえーんだよ」

「そう吠えるなよ、山内。たまにはいい経験だろ」


 部長の谷口たにぐちがリーダーらしく山内をなだめた。しかしそのすぐ後に、にやっとして言う。


「氷川、まだ随分と涼しそうな顔じゃないか。相手に不足ってわけか」

「違いますよ!」


 だいぶ呼吸の整ってきた翼は、慌てて否定する。


「今日は調子がいい方です。俺、大会とかじゃあんまり記録出ないし」


 実際、翼はあまり大会で上位の記録を残したことがない。前の学校でも上級生顔負けの俊足の持ち主だったが、それが数字という記録に現れないのだ。

 理由は翼自身もわかっている。


「俺の走り、すごく無駄が多いんです。顧問にもよく注意されてました。お前はダイナミックすぎるって」


 ダイナミック。その言葉があまりにも的を射ていたので、周りの者は一斉に吹き出した。山内までもが肩を震わせている。


 正にその通りだった。翼の走り方には特徴がある。

 躍動感に溢れて。風を巻き込んで。そして自分で新しい風を生み出す。


 風と一緒に走る。

 翼の求める感覚。

 風になりたい。爽快に駆け抜ける。天も地も、全ての境界線を越えて。


 その背中には、地上の誰かが求める大きなものを背負って……。

 どんな風をも操る白くて大きな羽(つばさ)。大空を駆ける脚。


 翼は思い切り息を吸う。


「でも俺、走るのが好きです。たぶんここにいる誰にも負けないぐらい」

「おっ、言ったな!」

「やっぱお前生意気!」


 谷口と山内が翼を小突いた。しかしその顔は笑っている。

 周りの部員たちもつられたように翼を囲んで、思い思いのことを言う。


「俺だって負けねーし」

「先輩にたてつくとは、相当な度胸だな」

「氷川お前、マジ最高」

「走り方のコツ教えてよ」


 名前も知らない部員たちに揉まれるように声をかけられて、翼は照れたように微笑んだ。


「えっと……とりあえず今日から陸上部員になります、よろしく」


 どこからともなく拍手が巻き起こり、翼は新しい自分の居場所を見つけた気がした。


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