第9話隠して~SideB~
「……バカ」
つぶやいたその言葉をかき消すように、勢いよくシャワーを流す。だいぶ古びたそれは、きしむような危うい音を立てた。
そりゃ夏目ちゃんは可愛いけどさ。
近野は熱いお湯で顔をバシャバシャ洗った。顔が火照り、皮膚の表面がヒリヒリする。
「バカバカバカバカバカ…………」
狭い浴室の中で反響する自分の声に、心底嫌になる。
かすれた声が恨みがましくひたすらに安易な暴言を連ねる。まるでそれしか能のない機械のように。
バカしか言わないロボット?欠陥品じゃん。
別の冷静な自分が嘲る。わかっていても止められない。何かを言って気を紛らせないと、どうにかなってしまいそうなのだ。
や、もう既にどうにかなってるっしょ。
「……ムカつく」
挙げ句の果てに自分の突っ込みにまでいらつく。重症だ。
「アッツ!」
なんとなく流しっぱなしになっていたシャワーが急に熱湯になった。火傷したような痛みを感じる。
もうヤダ……。
ずっとこらえていたものが今まさに溢れようとしていた。
近野は頭からお湯をかぶってごまかそうとしたが、自分の気持ちは自分がいちばんよく理解していた。
瞳が、熱い。
壊れかけのシャワーの温度の何倍も。その熱で自分の身体が溶けてしまうのではないかと思うぐらいに。
熱い。
「ソーマ……」
安達とは小学校から一緒だった。美空ほどではないが、近野も安達とはかなりの付き合いなのだ。
家が近所で、小さな頃はよく遊んだ。大雑把で女の子らしさに欠けていた近野は、もっぱら男の子の集団に混ざっていた。その頃は安達のことを名前で呼んでいた。男子と変わらない扱いに開き直って、彼を苗字で呼ぶようになったのはいつだっただろう。
しかし安達は、昔と変わらず近野のことを「マミ」と呼ぶ。きっとなんの意識もしていないのだろうが。そのことが、余計に近野に意地を張らせる。
安達は幼い頃から彼女だけを見ている。恋という言葉も知らない子供の頃から、一人の天使だけを。
近野はシャワーを止め、湯船に浸かった。そのままゆっくりと顎まで沈める。
「幼稚園のときの初恋をまだ忘れてないなんてね……どんだけ一途なの。バカだよあんた」
自分のことを「ファン」などと称してヘラヘラしているが、お見通しだ。
なにしろこっちもかなり長く引きずっているのだ。
……初恋を。
「あんたがかなう相手じゃないって」
安達に向けた言葉のつもりだった。しかしそれが自分にも当てはまることに気付き、自嘲気味に笑う。
どーしてヒトって、無謀な相手を好きになっちゃうんだろうね。
好きな人には別の好きな人がいて、その人にはまたほかに好きな人がいて。
片想いなんて苦しいだけなのに。
あんたなんか好きになりたくなかったよ。ただの友達でいたかったよ。
湯船の表面が波打ち、静かに波紋が広がっていった。
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