第7話隠して~翼~

「なんだったんだろーな」


 翼は椅子に座り、長い脚を組んだ。向かっているのは自宅の勉強机。目の前には手付かずの問題集。


 美空の秘密。


 追及しないと決めたはずなのに、翼の頭にはあのときの美空の様子が焼き付いて離れない。彼女はまるでこの世界に存在していなかった。魂を何かに吸い取られてしまったかのように。

 美空は飛び立とうとしている。


「兄ちゃん」


 ドアが開いて、弟の考希こうきが顔を出した。翼が無言でいると、


「あ、ごめん。ノックすんの忘れちゃった」


と顔を赤くした。


「別にいいよ。なんの用?」

「あのね、電話。安達って人から」


 三つ下の弟は、小柄で声が高い。しゃべり方や態度が小学五年生にしては幼く、いわゆる可愛い男の子の部類だ。


「わかった、ありがと」


 翼は携帯電話を持っていない。そのため連絡手段は家の固定電話のみだ。

 電話は階段を下りてすぐの廊下にある。考希に「好きな漫画読んでていいよ」と言い残し、受話器を取りに行った。


「もしもし?」

『あ、氷川?』


 すぐに反応があった。


「ん、そうだけど。どうしたの」


 というかうちの家族全員氷川なんだけど。

 心の中でそんな突っ込みを入れると、


『おー。繋がった繋がった』


 電話の向こうからはいつもの軽いノリが返ってきた。


『いやー、なんか家電にかけるのって久しぶりでさ。ちょっと緊張した』


 そういう安達はおそらく携帯からかけてきているのだろう。


「いきなり電話なんて、何?緊急の用事?」

『まーね。結構重要なこと』


 軽い調子で重要とか言われても。真実味に欠けるなー。

 苦笑する翼。


 ところが。


『美空ちゃんのことだよ』

「…………」


 翼は無意識のうちにごくりと唾を飲み込んだ。

 夏目の、こと……?


『今日みたいなこと、時々あるんだ』

「……え?」

『マミはよく知らなかったみたいだけどさ。俺、美空ちゃんと幼稚園から一緒なんだよね。その頃から美空ちゃんは天使みたいに可愛かったんだけどまあ、とりあえずそれは置いといて、美空ちゃんがああいう風になっちゃうこと、これまでも何回かあったんだ』


 どう答えていいかわからなかった。

 あのとき安達の口数が少なかったのはそれでだったのか、とそれだけが思い当たる。


『美空ちゃん、たぶん氷川のこと好きだよ』


 唐突に安達が衝撃的なことを言った。

 なんで今それを言うのか、とか何を根拠に、とかいろいろ不審に思ったが、何よりありえないから、と冷静に否定する自分が真っ先に立つ。


 夏目が俺を?ありえない。


『氷川……お前って絶対鈍いよ。超鈍感。美空ちゃんファンの俺が言うんだから間違いないって』

「からかってるだろ」

『お前をからかうために電話するほど暇だと思われてるんだ?わー、なんかショック』


 だからその口調が既にからかってるだろ。


「もうふざけるのはいいから。で、本題に戻って」

『だからずっと本題のままだって。俺、そんなに信用ないの?マミだけじゃなく氷川まで』


 若干すね気味の安達。


『まあ話を戻すと』


 戻すってことはやっぱずれてたんじゃん。

 翼はそう思ったが、指摘しないでおいた。


『氷川は美空ちゃんの心を開ける。美空ちゃんを救える唯一の人間なんだ』


 キザな台詞は安達の得意技だったが、その大袈裟な台詞は違った。いつもの軽さが感じられない。それはきっと、その言葉が悲観的だったからだ。


「何言って……」

『俺は違う』


 安達は噛み締めるように言葉を発する。


『美空ちゃんは人間を恐れてる。あんな天使みたいな子が本当にいると思う?美空ちゃんは仮面を被ってる。本当の自分を隠してるんだ。もちろん俺の前でも』

「仮面?」

『隠しきれてないとも知らずに、あの子はずっと秘密を抱えてる』

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