第6話独り~空~

 どうしたらいいか、わからないの。

 強く噛んだせいで、じわじわと唇が痛む。さらに目尻がひりひりと熱を持ち、視界をぼやけさせる。

 翼が真っ直ぐに自分を見つめている。静かな光をたたえるその瞳に吸い込まれてしまいそうだった。


「夏目……」


 彼の声が美空の心に染み込んでいく。


「大丈夫?」


 翼が尋ねたのと、


「夏目ちゃん、泣いてんの!?」


 と近野が大きな声を出したのは同時だった。


「どーして?なんで夏目ちゃんが泣くの?意味わかんないしっ」

「マミ、よせよ。そんな言い方」

「はあ!?」


 なだめようと口を挟んだ安達を、近野は真っ赤な目でにらみつけた。


「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないの?……ああ、いい。わかってるし。あんたが夏目ちゃんを好きなことぐらい呆れるぐらい知ってるし。つーかさ、早く夏目ちゃんのご機嫌でもとってあげたら?」


 近野の不機嫌ぶりはいつも以上だ。普段なら軽く受け流す安達も、黙り込んでしまった。


 喧嘩?


 美空は曇った瞳のまま、彼らの様子を傍観していた。時が流れていく。その感覚も麻痺しつつある。目の前で起こっている出来事は本当に現実なのか。モノクロの映像を見せられているように、なんの感情も浮かんでこない。

 そんな沈黙を破ったのは、


「保健室!」

「…………」


 突然叫んだ翼の声だった。


「夏目、調子悪いんだろ?無理しない方がいいよ。保健室行こう」


 美空はハッと目が覚めたような感覚に陥った。世界に色彩が戻った。


「ううん、大丈夫」


 首を振って、微笑む。


「心配かけてごめんね。あの、近野さん」


 近野がびくっと肩を震わせる。

 美空はその微笑んだ表情のまま、ちょこんと首を傾げた。


「私、泣いてないよ」

「ああ……そう」


 低い声でつぶやくように返事をし、近野はうつむいてしまった。


「美空ちゃん、本当に大丈夫?」


 安達が優しく声をかけてくる。


「うん」

「それならよかった。体調悪かったら言ってね」

「ありがとう、安達くん」


 美空は思った。

 私の居場所はここにはない。


「夏目」


 誰にも知られちゃいけない。


「……夏目?」


 たった独りで。


「何?氷川くん」


 たった独りで生きていきたい。違う。誰にも求められないのなら、私は自分で孤独を選ぶしかない。それだけのこと。


「いや、なんでもない」


 春の空は、まるで夢の中のようにぼんやりと遠くまで続いていた。

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