一日一万円

@toshiyo-f

第1話

 今日は娘の音楽発表会だった。平日のイベントは困る。一日休むということは、一万円を支払っているのと同じことである。娘は発表会を楽しみにしていた。いつもはもたつく着替えもサクサク終わり、会場へと急いだ。


 事前に何席必要か申込用紙が配布された。その時点で見る気はなかった。参加意志がなかった。生活が懸かっている。しかし、行事の日は預かりはして貰えない為、どのみち仕事を休まざるを得ず、強制参加となる。


 一日、一万円。


 直前になって席番号が配布された。一番前の中央に近い席だった。申し込まなければよかった。誰かがこの席に座れたかもしれないのに。そう思った。


 娘を会場に送り届けたあと、私はすぐに会場を出た。開演まで時間があったからではない。静かな抗議だ。子供たちもある程度の目標が必要だろう。指導する側にも目標があった方がいいだろう。子供の成長も楽しみだろう。結構なことだ。しかし、一日一万円である。


 認定こども園とはいいながら、元幼稚園で平日のイベントが少なくない。言葉にできないモヤモヤしたものを抱えたまま、駅前のドーナツショップでコーヒーを啜り、煙草をふかしていた。


 コーヒー270円。


 登園拒否や体調不良等、子供の都合で休むことに不満はない。むしろ、付き合えるのは今のうちだから、付き合おうとさえ思う。何だろう?この差は。何かが私の心に引っ掛かっていた。


 休むことで収入にマイナスが出ない家庭から一律、一万円を徴収するシステムなら、この不満は出ないし、どういう集まりであるのか、わかり合えたかも知れない。ぼんやり、そんな考えが浮かんだ。そして、一万円を何とも思わない程度の経済的余裕があったなら、この考えは浮かばなかったことも確かだった。


 娘は私を探すだろう。そう思うと、涙が止まらなかった。別に、可哀想な状況にして悲観に浸っていたかった訳じゃない。子供のため、親子のためのイベントなんだろう。一万円払ったのだから楽しめばいいだろうか?それも出来なかった。食べられないものを出されて一律、一万円支払ったとしても、絶対に食べない。勿体無かろうがなんだろうが、食べたくないなら、箸をつけようと思わない。そんな心境だった。


 煙草を買う金はあるんだ?そう思われても構わない。害虫扱いされようが吸う。煙と一緒に言葉を飲み込むための道具だ。煙草は実に多くの言葉を飲み込ませてくれる。


 限界ギリギリ、カツカツとまではいかない。多少の余裕はあるが、今後の成長も考えると足りない程度だ。緊急性が無い状態を保っていると言えるだろうか?一日、一万円。生活が懸かっている。一万円の休日。


 開演から一時間が過ぎた頃、会場に戻った。まだ続いていた。観覧者の前を横切って入っていくのも迷惑だから、ただ時間が過ぎるのを待った。娘が一生懸命練習していた曲が聞こえてきた。楽器不可の安いぼろアパートで「お家で練習してね」と持ち帰らされても、開けることを許されなかった楽器で演奏している。彼女はドレミで歌うことで練習していた。知っているよ。頑張っているね。涙が止まらなかった。


 子供の演奏に感動した訳じゃない。悲劇のヒロインを演じている訳でもない。自分のためでもあるが、自分の為だけに働いている訳じゃない。子供と一緒に暮らしていくために、生活費を稼いでいるのだ。一日、一万円で。


 誰の為のイベントなんだろう?


 最も辛いのは5月だった。連休が多いのにイベントも多くて収入がグッと減る。翌月が辛い。年末年始も来る。苦しい。個人的な事情だが、半年の病欠で有給付与条件を満たしていないために、休みの負担が大きい状況にある。一万円に笑って、一万円に泣く。そんな暮らしをしている。


 生活が辛いから参加できない。ハッキリ言った事もある。しかし、開催趣旨をさも素晴らしそうに理想と掲げる説明ばかりで、なんの助けにもならなかった。情操教育の為に観覧料を支払って親子で観劇?素晴らしいね。特別料金、親子で2000円。


 12000円の間違いだよ。


 保護者の参加を呼び掛ける数時間の日程も一日分の休みになってしまう。私の仕事は一日分のまとまった時間を必要とする業務で、同じ職場の職員はそれぞれ違う装置を担当しているから、交代出来る人も掛け持ちを頼める人もいない。その日運転出来ないなら、翌日に持ち越すしかない。開始時間が午後近かったり、午後から始まる場合、少なくとも半休になる。移動時間も含めれば半端な時間になってしまい、出勤する意味が無くなるからだ。それでも、そこそこ生活出来る給与の仕事が見つかっただけ助かっていると思っている。


「強制ではないので参加出来なくても構いませんよ。娘さんが平気なら。」


 耳を疑う保育士の言葉。不参加の理由を説明して、お母さんは仕事だからと納得しても、お友達が親に甘えて幸せそうに過ごす中で何も感じない訳がないだろう。娘の世話をしたくないから預けに来ている訳じゃない。「どうせ大した仕事してないのに子供の為に休めないの?母親の仕事は出来ないのね。」と言われたも同然に聞こえた。保育士はどれ程の権限を持っているというのだろうか?


「子供の為、子供の為って言いながら、先生の業務発表会じゃないですか。一緒に過ごす時間が作れるなら保育所休んでますよ。」と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。働かなくても暮らしていけるなら働いていない。


 発表会が終わって、娘を迎えに行った。迎えが来ない事が浮かんでいるような不安げな表情だった。見つからなかったのだろう。居なかったからね。娘は「カルピスソーダが飲みたい」と言った。本当に必要な訳じゃない。ただ、ほんのちょっと愛情を確認したいだけだ。わかってる。


 カルピスソーダ160円。


 小銭ではあるが、食料品や雑貨など、こういった小さな消費が積み重なってウン万円となっていく。その余裕を万単位で削られていく、一日一万円の休日。将来のための貯蓄?そんなこと考えられるレベルに無い。無責任だろうか?無計画だろうか?保証された人生なんて無いくせに。なろうと思って今の状況ではない。みんな、その時その時、自分に精一杯だろう。


 今日は音楽発表会だった。

 私はクズ親だった。それだけだ。

 ただ、それだけだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一日一万円 @toshiyo-f

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ