マダン

 血塗れになった鵜飼瑠美が泥水を凍らせた氷の上に倒れている。

 その左肩の部分には、本来あるべき位置に、そこにあるべき腕がない。

 ああ、これは、あのときに見た光景だ。

 軍司の中の冷静な部分が、そんなことを思う。

「早川さん!」

 うしろから、扶桑文佳の声が迫って来た。

 振り返ると、なにか長い物体を手にした扶桑文佳が、大股に歩いてくる。

「瑠美のことはこっちでやりますから、早川さんは別の人の手当を!」

 そういわれても。

 そのときの軍司はそんなことを思い、戸惑う。

 これほどの重傷を負ってもなお、手当を施せるものなのか。

 肩という心臓に近い部位を大きく破損しているせいか、鵜飼瑠美の出血はひどいものだった。

 フェイスガード越に見える顔色も、紙のように色を失くしている。

 血塗れで痙攣している鵜飼瑠美の姿から軍司は、こんなときに不謹慎だとは思ったが、不思議な官能美のようなものを感じていた。

 軍司の男性はすでに年齢のせいでものの役に立たなくなっていたのだが、心理的にはまだまだ熾火のような欲求がくすっぶっており、それはときおり、不意に頭をもたげて軍司を刺激することがある。

 このときが、そうだった。

「前にも説明したことがあると思いますが」

 鵜飼瑠美のかたわらに膝をつきながら、扶桑文佳がいった。

「この子のスキル構成は少し変わっていますから。

 こんな状態でも、運がよければ助かる可能性はあります」

 そういいながらも、扶桑文佳はてきぱきと手を動かし、拾ってきた腕を鵜飼瑠美の肩口にあてた状態で〈フクロ〉の中からダクトテープを取り出して固定し、さらに止血用のスプレーを傷口周囲に丁寧に噴射してから、鵜飼瑠美の胸部に緊急用の麻酔注射器をつきたてる。

 その状態で、鵜飼瑠美の体を丸ごと自分の〈フクロ〉の中に収納した。


「爺ちゃん爺ちゃん」

 肩を揺すぶられて、軍司は目をさます。

「着いたよ」

 孫の、颯の声だった。

「ん」

 軍司はまぶたを二、三度しばたいたあと、よっせと小さく掛け声をかけて立ちあがる。

 そして孫二人と一緒に、北総線印旛日本医大駅のホームに降りた。

 車が使えんいうんも、なかなか難儀なことよの。

 習志野からこの駅まで、乗り継ぎの時間も含めて小一時間ほどかかる。

 目的地の〈印旛沼迷宮〉までは、この駅からさらに離れた場所にあり、駅前からさらにタクシーで移動しなければならなかった。

 自分で車を運転して移動していたときは、マンション近くの駐車場から〈印旛沼迷宮〉まで、急がなくても小一時間ほど運転をすれば着いたものだったが。

 通勤ラッシュの時間帯などはできるだけ避けるようにしていたが、これまで電車などの公共の交通機関というものにあまり縁がなかった軍司にしてみれば、ここに来て電車通勤を強いられることはそれなりのストレスにはなっていた。

 静乃や颯をともに改札をくぐってタクシー乗り場の列に並び、いつものように、

「〈印旛沼迷宮〉に」

 と目的地を告げる。


 この春に探索者としての資格を取得した颯は、週末や長期休暇の時期になると、軍司や静乃と同行して迷宮に入るようになっていた。

 夏休みには〈狙撃〉スキルまでをおぼえ、初心者の探索者としてはまずまずの成長をみせている。

「爺ちゃん」

 タクシーの車中で、颯がいった。

「おれも、そろそろ〈魔弾〉のスキルをおぼえたいんだけど」

「〈魔弾〉か?」

 軍司は、言葉を濁すしかなかった。

「あれは、おめにはまだ早過ぎっべ」

 軍司は、自分が〈魔弾〉を習得したときのこと、それに、静乃に〈魔弾〉のスキルを生やし方を教えたときのことを思い出していた。


「身内のもん、身近なもんがあの世さ逝くと、残されたもんさ、どうしたって気が重くなる」

 軍司はそのときのことを回想する。

「仕方がなか。

 こればかりは、おのれではどうすることもできん。

 受け止める、受け流す、おのれで選んで、おのれでどうにかするしかなか。

 ただ、〈魔弾〉いうスキルは」

 そうしたおのれの身内に巣食う、重たい気持ちを使うもんだ。

 と、そう、軍司は続けた。


 探索者が習得するスキルとかいう代物。

 迷宮に入り、エネミーを倒していけば自然と生えていくものだから、

「スキルとは、実はなになのか?」

 と改めて自問する探索者はかえって少ない。


 軍司がかなり早い時期から〈狙撃〉を使えるようになったことからもわかるように、スキルの習得には、それまでの、迷宮外での経験も含めて、その探索者がなにをやってきたのかという経歴が色濃く反映する傾向があるようだった。

 探索者が次にどういうスキルを生やすのか、ある程度の傾向は掴めても、確実に予測する方法は今のところない、とも、聞いている。

 それに、探索者自身がまるで予想していなかったような、どう使えばいいのかわからないような、奇妙なスキルを生やすことも、ままあるという。


 そうしたことなどを含めて考えた結果、軍司は、

「〈スキル〉とはすなわち、探索者自身の意識や経験を色濃く反映した願望が、無意識裡のものも含めて、迷宮の力によって具現化したものではではないのか?」

 という予想をつける。

 探索者自身が想定しないようなスキルが生えることがあるのは、その探索者自身が自覚していない、無意識裡に気にしているような事柄が反映したせいなのではないか、と。


 以上はあくまで軍司個人が勝手に予想をした内容に過ぎないわけであるが、スキルという現象が迷宮から派生した付属物であることは、まず間違いがない。

 なぜならば、迷宮から数百メートルも離れてしまえば、スキルも累積効果もろとも無効化し、まったく使えなくなるからだ。

 ではなぜ、迷宮は、あるいは迷宮を作った何者かは、わざわざ人間側が有利なように、そうしたスキルなり累積効果なりを与えているのか?


 おそらくは、人間にもっと迷宮の奥深くに入って貰いたいんじゃろうな。

 軍司は、勝手にそう思っている。


 深層にいくほど希少な、それだけに高価なドロップ・アイテムがドロップする傾向があることからも、その予想は大きく外れてはいないはずだ。

 ドロップ・アイテムと同様に、累積効果やスキルなども、より多くの人間を迷宮の奥へと誘い込むための、餌なのだ。

 こうした予測は、軍司は他人に説明したことがない。

 なんの確証もない、証明がしようがない予測に過ぎないし、それに、この程度の推測であるならば、探索者の誰もが思いつき、胸に秘めているものだと、軍司はそう感じていた。


〈泥沼階層〉の攻略を経験した軍司は、自分の非力さを痛感した。

〈狙撃〉のスキルはなかなか使い勝手がいいスキルだといえたが、それだけではいざというときに困る場合があるということを、思い知らされたからだ。

 すでに説明をしたようなスキル観を持っていた軍司は、

「自分にとってもっと使い勝手がいいスキルを自発的に生やすことも、できるんじゃなかろうか?」

 と思いはじめる。

 そこで、〈泥沼階層〉攻略後の軍司は、しばらくシロだけを同伴して迷宮に入り、新しい、自分にとって都合がよいスキルを手に入れようと試行錯誤を繰り返していたのだ。


 軍司の予想に反して、新しいスキルはなかなか生えてこなかった。

 やがて静乃の高校の入試結果が発表となり、静乃は春から無事に志望した高校のに通えることが決まった。

 そのあとも軍司は迷宮の中で試行錯誤を重ねたが、やはりできるの通常の〈狙撃〉のみ。

 静乃が中学を卒業し、毎日のように迷宮に同行するようになって、軍司は一時的に新スキルの開発を中断する。


 静乃が高校のに通いはじめるまでの間、静乃とシロと、二人とも一匹で毎日のように迷宮に入りながら、軍司は静乃に〈狙撃〉のスキルを教えた。

 これは、軍司がすでに〈狙撃〉を使えたこと、それに静乃が軍司の猟に同行して、何度か軍司がライフル銃を撃つ場面を目撃していることなどから、さほど苦労もせずに成功する。

 やはりスキルの習得には、イメージいうんか、そのスキルを使えばなにが起こるのか、なにがどうなるのか、具体的な結果を予想できる方が、おぼえやすいんかの。

 静乃に〈狙撃〉を教えながら、軍司はそんなことを思う。

 ようは、イメージの問題なのだ。


 受験が終わり再び迷宮に出入りをするようになった静乃は、始の形見である例のモデルガンを当然のように持参するようになっていた。

「ジ様の、指鉄砲のようなもんだ」

 軍司がそれについて問いただすと、静乃はそう返答する。

「こいで狙うと、遠くの的でもよく当たるような気がする」

 要は気休めということらしかったが、軍司としても別に咎める必要も感じず、静乃のしたいようにさせている。

 その気休めが多少なりとも役に立ったのかどうか、静乃はすぐに〈狙撃〉のスキルを生やして使いこなすようになった。

 威力や有効射程距離などはまだまだ軍司の〈狙撃〉には及ばないものの、そうしたものは経験を積みさえすればいくらでも成長が望める要素である。

 そのことは、軍司自身がよく知っている。


 やがて静乃が高校に通いはじめるようになり、軍司はまたシロとだけで迷宮に入るようになった。

 それを機会に、軍司はまた新しいスキルの開発を再開する。

 軍司が考えているのは、基本的な性質や性能は〈狙撃〉そのままに、射線上に障害物を透過して直接目標物に打撃を与える、そんなスキルであった。

〈泥沼階層〉の最後に出てきた、あの無数の蛇を頭に生やしたあのエネミーが出てきたとき、味方の探索者たちが遮蔽物となって〈狙撃〉スキルを使用することがかなり遅れてしまった、という後悔があったからである。

 そもそも〈狙撃〉のスキルにしたって、猟銃のように物理的な弾丸を撃つわけではない。

 スキルとかいう理解不能な攻撃方法により、ライフル銃で射撃をしたときのような効果を再現しているだけであった。

 だったら、射線上の障害物を丸っきり無視して、その肝心の効果のみを狙った対象物に与える、そんなスキルが存在していても、別に不思議ではないのではないか。

 毎日のように迷宮に入るようになり、迷宮の内部でしか通用しない論理に毒されつつあった軍司は、そのように考えたのだ。


 新スキルの開発、とはいうものの、そもそも、軍司はどうすれば思うようなスキルを生やすことができるのか、その具体的な方法を知らない。

 いや、軍司だけではなく、この世の誰でも、そんな都合のいい方法は知らないのではないか。


 だったら、思いつく限りのことを試してみるしかなか。

 軍司はそう思い、実行した。

 周囲の警戒はシロに任せ、軍司は〈フクロ〉の中から大柄なエネミーの死体を取り出して、壁際に置く。

 このエネミーの死体を素通りして壁に直接着弾できるようになれば成功、ということになる。

 具体的にどうすればいいのかまではわからなかったので、まずは弾丸がその死体を透過して壁に命中するイメージをひたすら念じて〈狙撃〉のスキルを使うことにした。

 これは、数日間試して見た結果、エネミーの死体に弾痕を残しただけで終わったが。

 どうやら、軍司が思い浮かべるような新スキルは、気の持ちようでパッと習得できるような、そんな代物ではないらしいことだけがわかった。


「ほんなら、なにが違うんだかの」

 数日の徒労を経験したあと、軍司はそう自問する。

 スキルというのは基本、そう意識をすることがトリガーとなって発動をするものだ。

 一部の特殊なスキルに関しては、特定のドロップ・アイテムを一定時間装備し続けなければ習得できないようなスキルもあるらしいのだが、〈狙撃〉と、軍司が想像しているような新スキルとは、そうした特殊なスキルとは根本的な部分で違っているようにも思う。

 なぜならば、〈狙撃〉と軍司が習得したいと思っている新スキルとは、

「なにもないところから銃撃のような効果を発揮する」

 という一点でほとんど同質であり、ただその効果の現れ方にほんの少しの相違があるだけなのだから。

〈狙撃〉さ、あれほど容易くできるんであれば、途中の弾道なしに直接狙ったところさに当たる新スキルさも、もっところっとできてもよかんべなあ。

 などと、軍司は思う。

 そんな新スキルが思うように発現せず、〈狙撃〉の方はさして苦労もせずに使うことができる。

 この差はどこから出てくるのか。


 四月も半ばを過ぎ、五月の連休が近づいた頃になっても、軍司の悪戦苦闘は続いていた。

 なにか根本的な部分で、考え違いをばしているのかもしれん。

 半月以上も一人で試行錯誤をした末、まるで成果をあげられなかった軍司は、そう思い当たる。

 容易く使うことができる〈狙撃〉と、そうではない新スキルとでは、迷宮的にはまったく別の物なのだ。

〈狙撃〉を使うときには必要がない、なんらかの代償、燃料というか弾丸や弾薬というか、そうしたものに相当するなにものかが必要となるのではないか。

 いや、必要であると、そう仮定して動くべきではないのか。

 だとしたら、その代償、代価ぬ相当するものは、なになのか?


 軍司は、それをしばらく考え続けた。

 その結果、

「それは、標的に対する感情なのではないか」

 と、そのように思い当たる。


〈狙撃〉のスキルを使うとき、いいや、それ以前の、迷宮に入る前から、遠くの獲物を狙い猟銃を構えるとき、軍司は余計な雑念を自分の中から振り払って、余計なことを考えないようにする習慣があった。

 そうした雑念があると、どうしても弾道が逸れがちであったからである。

 そうした習慣が、この場合、かえって仇になっていたのではないか?


「試して、みっか」

 四月も終わりに近づいたある日、軍司はそう思いたった。

 他に試すべきことも思いつかなかったので、試すことにためらいは感じない。


 その日、迷宮内に入り、いつものように壁際にエネミーの死体を起き、離れた場所まで移動をする。

 そして、エネミーの方に指鉄砲をむけて、軍司は目を瞑る。

 なにを思い、念じればいいのか?

 短く考えたあと、軍司は、

「的を憎むことは、できんなあ」

 と結論する。

 猟師をしていた時分から、軍司は標的となる動物たちに対して一種の畏敬の念を抱くようにしていた。

 余計な殺生をおこなう分、そのようにして心を落ち着かせなければ、自分の気持ちが荒んでいく一方になる。

 第一、それでは、狙いがブレる。

 だったら、どうすればいいのか?


「自分の中にあるものさ、引っ張ってくるしかね」

 軍司は、そう結論する。

 長いこと生きていれば、やり場のない怒りや悲しみ、憤りなど、外には出したくないうしろ暗い気持ちなどは自然に蓄積してくるものだ。

 新しいスキルを使うために、迷宮がなにかを必要とするのなら、そんな、むしないほうがいい、しかし確実に軍司の一部ではある、余計なもんをすべてでも迷宮にくれてやればいい。

 そう思い、軍司は瞑っていた目を見開いて、改めて思い出してみる。


 晴を亡くしたときのことを。

 震災のときに、息子夫婦と孫の始が帰ってこないと知って胸のうちがざわついたときのことを。


 思い出すだけで、体が重くなるような気がする。

 そうしたことごとを様々と思い出してた上で、

「迷宮よ」

 と、軍司は心の中で、何者かにそう呼びかけてみた。

「こんな供物が欲しいのならば、いくらでもくれてやるべ」


 ざわり、と、自分の中から、なにかが抜けていくような感覚があった。

 こんなら、いけるな。

 そう直感し、軍司はなにかを指先から発射するような想像をする。

 すると、確かに〈狙撃〉をこおなったときのような手応えを感じ、エネミーの死体のむこうから着弾音が響いて来た。

 エネミーの死体には、傷ひとつついていない。

 慌てて移動し、エネミーの向こう側にいってみると、確かに迷宮の壁面が焼け焦げ、煙をあげているのが確認できた。

 軍司の新スキルは、確かにエネミーの死体を素通りして、壁面に到達していたのだ。


 その日のうちに何度か新スキルの試射をして、それが錯覚や思い違いではないことを確認したあと、軍司は帰宅してから静乃に新スキルについて説明と報告をした。

「ジ様さ、そげなこと、やってたんか」

 静乃は感心したような呆れたような、微妙な反応をしてくれる。

「最近なにやら、様子がおかしいようだとは思っとったけんども」


 ゴールデンウィークの連休に入り、軍司は持たない〈鑑定〉スキルを持つ静乃に、新スキルの名前を読んで貰う。

「新スキルさ、〈魔弾〉いうらしいんね」

 静乃は軍司に告げた。

「魔法の魔に、弾丸の弾。

 そいで、魔弾。

 ジ様にしては、洒落た名前じゃね」

 軍司が〈魔弾〉の射手になった瞬間である。


 その連休が終わらぬうちに、軍司は静乃に〈魔弾〉の習得方法を伝え、静乃は難なく〈魔弾〉を使いこなせるようになった。


「手ほどきしておいてこういうのもなんじゃが、こいつは滅多なことでは使わん方がいいスキルかも知れんの」

 静乃が〈魔弾〉を使えるようになった直後に、軍司はそんなことをいう。

「なにかこのスキルは、他のスキルとは根っこから違ったもんのように思える」

「うん。

 わかる」

 静乃は軍司のことば頷く。

「このスキル、使うたびに、なにかがごそっと抜けていくような感覚がある。

 でも普通は〈狙撃〉だけで十分に対応できるはずだから、この〈魔弾〉を普段から頻繁に使うことは、そんなにないと思う」


「だったら、いつになったら教えてくれるわけ?」

 タクシーの車中で、颯が不服そうな様子で口を尖らせる。

「そうさな」

 軍司は、シロが永眠をしたとき、この颯が声をあげて泣いていたときのことを思い浮かべてから、そういった。

「おめさは、一生おぼえられん方がいいのかも知れんな」

 おそらく、この颯にしてみれば、あれが一番最初に体験をした、身近な存在の死であったのだ。

 まだ若い、若すぎるほどのこの颯には、自身の内にあるそうした感情を深く見つめるのは難しいだろう。

 いや、年齢にかかわらず、そんなことをしないですこやかに過ごせるものならば、それにこしたことはないのだ。

「なにそれー」

 軍司に軽くいなされたと思ってか、颯はますます不満顔になった。


 タクシーが〈印旛沼迷宮〉に到着すると、三人はその足でゲートへとむかう。

 この六月にシロの最後を看取り、ごく最近に軍司は免許を返上して身近な足を失ったわけだが、そうした変化は別にして、この三人で迷宮に入ることは珍しくはなかった。

 シロが抜けた穴を埋めるように、三人とも、もとから持っていた〈察知〉スキルの効果範囲がより広くなり、より遠くからエネミーの存在を感知できるようになっている。

 三人とも〈狙撃〉スキルを攻撃の主体に据えた、つまりは遠距離攻撃に傾いたスキル構成になっているため、このような変化はかえって都合がよかった。


「今日は十階層以上にいこうよ」

「駄目だ。

 無理をせず、慎重に」

「身の丈にあった階層を選ぶ、でっしょ?

 聞き飽きたよ、それ。

 でもこの三人なら、もっと深い階層にいっても十分に安全圏だと思うけど」

「そんでも、なにがあるかわかんね。

 もっとずっと、臆病すぎるくらいでええんだ」

 迷宮に入るたびに、この颯とは同じような問答を繰り返しているような気がする。

 まだ若い、いや、それを通り越して幼い颯は、先へ先へと逸る気持ちが強いのだろうな、と、軍司は思う。

 だが、孫二人を連れて迷宮に入っている引率役の軍司にしてみれば、説明したとおり、慎重に慎重を重ね、くれぐれも万が一のことが起きないように気を配らなけれならない。

 そこだけは、どうあっても譲るつもりはなかった。


 今ではいっぱしの探索者を気取っているこの颯も、この春に探索者としての資格を取得し、迷宮に入りはじめたばかりの頃はひどいものだった。

 猟の手伝いをして獲物の解体などを手伝ってきた静乃とは異なり、颯はなにしろ生き物とじかに触れる機会をあまり持っていなかった都会っ子だ。

 生物の生死に触れる機会が極端に少なかったせいもあるのだろう。

 決定的に、流血沙汰に対する耐性というものがなかった。

 エネミーを倒せば多少の差こそあれ血は必ず流れるものだし、そのたびに情けない悲鳴をあげてわーきゃー騒がれたのでは、とてもではないか探索者としてやっていけやしない。

 そこで軍司は当時の颯に対して、

「殺生するんのがいやなら、探索者になんのはやめとけ」

 と、しごくまっとうな助言をした。

 いうまでもなく、探索者として活動することは颯にとって義務でもなんでもない。

 向かないことにいつまでも拘泥し続けるのは、本人にとってもいい結果にはならないはずだ。

 颯と同じ年頃のわらしらならば、もっと今風の遊びに興じているのではないか。

 ならば颯さも探索者なんざやめて、同年輩のそうしたわらしらといっしょになって遊んでおればええ。

 というのが、軍司の考えである。

 この豊かな時代に、なにが面白くて年端もいかないわらしがいやなことに手を染めてまでして銭コさ稼がねばならん。


「いや、でも、じいちゃんもねーちゃんもやってるし」

 しかし、肝心の颯はというと、そうした意見に対してすぐに頷くことはなかった。

「そういえば、ねーちゃん。

 ねーちゃんは、なんで平気なの?

 エネミーを殺したり、バラしたりすること」

「なんで、っていわれても」

 静乃は首を捻る。

「なんでだろ?

 改めて考えてみると、よくわからない。

 でも、うん。

 やっぱりあれ、慣れていたからだと思う。

 田舎で罠猟とか解体の手伝いなんかもしてたし」

「慣れ、かあ」

 颯は目に見えてしょげかえった。

「じゃあ、数をこなすしかないわけかあ」

「本気でやるつもりがあるんなら」

 軍司はそう提案した。

「迷宮に入る前に、まずは解体の方さ手伝って、血に慣れるこったな」

「そうだね。

 それがいいかも」

 静乃も軍司の提案に頷いてみせる。

「最初にそっちで慣れておけば、エネミーを倒すたびにいちいち騒がなくなると思うし」

 当の颯だけが、なんとも微妙な、浮かない表情を浮かべていた。


 そんなわけで、颯は探索者デビューの初日から早々に迷宮から追い出され、翌日から順也が契約している食肉加工と買取を担当する業者のトラックの荷台に押し込まれ、数日、エネミーの死体を解体する作業に従事することになる。

 その初日は早々に中座して荷台から降りて胃の内容物すべてを駐車場の隅にぶちまけ、そのあと軍司の車の中でぐったりとして休んでいたそうだが、それで挫折せずに午後からはまた静乃とともに作業に戻ったという。

 それから三日ほど颯は静乃とともに解体作業に従事し、血に対する耐性を身につけた。

 二人がそうして解体作業に従事している期間中も、軍司はシロを連れて迷宮に入っている。


「どうじゃ?

 なんとかやっていけそうか?」

 三日間の解体作業を終えた帰りの車中で、軍司は颯に訊ねてみた。

「なんとか、慣れた」

 心持ち硬い表情をして、颯はいう。

「最初はなんか、すっげぇ気持ち悪かったんだけどね。

 自分で動脈を切って血抜きして、どんどん体から体温が抜けていくのを感じるのとか。

 でも、何度か同じこと繰り返して、血抜きして内臓も抜くと、もう生き物というよりは肉にしか見えなくて。

 ああ、おれ、今まで生きていたモノを食べてきたんだなあ、って思って。

 これまではその殺す作業を誰かにやって貰っていただけで、間接的にいっぱい生き物を殺して、それを食べて生きて来たんだなあ、って」

「生き物さ、他の生き物さ食らうもんだ」

 軍司は短くいった。

「畑さやっていたって、作物さ荒らす虫さ、ぎょうさん殺さにゃならん。

 この世さ、殺し殺されて、そいでよう回っておる」

「菜食主義者って人がいるけど、あの人たちの思想はともかく、なにも殺さずに生きるっていうのは現実にはほとんど無理なんだよね」

 助手席の静乃が口を挟んできた。

「動物さえ殺さなければいいって、じゃあ植物ならばいくら食べてもいいの?

 なんで?

 同じ生物じゃない?

 ってことになるわけでさ」

「山さ出入りしていれば、いやでもわかる」

 軍司はハンドルを握りながらそう続ける。

「食ったり食われたりすることが、あの中では当たり前だ。

 それに、鹿やら猪やら適当に間引いいていかねば、そこいら中を食い荒らしてかえって山すべてが荒れる。

 終いにゃ食いもんに事欠いて、里さ降りて作物を荒らすようになる」

「個体だけだけを見るんじゃなくて、食物連鎖までを視野に入れておかないと、見落とすものがいっぱいあるってわけだね」

 進学校に通う優等生らしく、静乃は難しいことをいい出した。

「もちろん、その必要もないのに無闇に生物を殺すのはよくない、って訓戒は、それなりに正しいとは思うけど。

 でも、それも程度の問題で、絶対に生物を殺してはいけないっていう思想は現実的ではないし、あんまり拘りすぎると害の方が大きいと思う」

「それ、外の、田舎の山とかのはなしだよね?」

 後部座席にいた颯が、身を乗り出してくる。

「じゃあさ、エネミーは?

 迷宮の中にしか出てこないエネミーって、その生態系ってやつには元々組み込まれていないんじゃない?」

「やつらは、どこからやって来るのかは知らんが、まるでわしらに狩られるためかのようにいくらでも湧いて来よるからなあ」

 軍司はのんびりとした口調でいった。

「わしらが迷宮に入らなければ、まったく湧いて来ないじゃねえか?」

「実際にはわかんないけど、そうなのかも知れない」

 思案顔になった静乃が、そういった。

「迷宮に入った探索者の人数や実力に合わせて、エネミーの数や強さがある程度調整されているような気もするし。

 とにかく、あの中でのことはなにもかもが特殊で、生態系とかそういう外の常識は通用しないような気がするな」

「探索者のためにエネミーがポップするって?」

 颯は、呆れたような感心をしたような、複雑な表情になっている。

「そんな。

 それじゃあ迷宮が、人間の都合のために働いているみたいじゃないか!」

「実際、そういう説もあるしね」

 静乃はいった。

「人間、いや、人類を進歩させるために数々の試練や罠を用意し、迷宮内での行動や成績によって、場合によっては最新の科学技術でも解析できないようなドロップ・アイテムさえ与える。

 どこかにいる人間以上の何者かが、家畜に飼料をあたえるように、乳幼児に知育玩具を与えるように、人類をさりげなく育てて誘導しようとしている、ってそんな説が。

 いずれにしろ、迷宮内にいくらでもポップしてくるエネミーは、やはり通常の生物とは分けて考えるべきだと思う。

 いくらでもポップしてくる以上、生態系とか乱獲の心配をする必要はないわけだし、深く考えるだけ無駄」


 そうした解体作業の日々を過ごしたあと、颯は多少、ましになった。

 なにかしら吹っ切れたのか、それともエネミーを殺すという行為に慣れただけか。

 とにかく、無闇に感情的になることが少なくなり、探索の邪魔になることが減った。


 命、といえば。

 軍司は〈泥沼階層〉攻略時の犠牲者たちの葬儀のことを思い出す。

 攻略が完了したあの日から数日後、立て続けに犠牲となった探索者たちの葬儀がおこなわれた。

 最終的に、あの攻略によって命を失った者は三名になったわけだが、その直接的な死因は大量出血による失血死であった。

 死亡した三名の出身地はバラバラで、葬儀がおこなわれた場所も習志野からかなり離れていたが、軍司は喪服と道路地図帳を引っ張り出して、前後しておこなわれた三つの葬儀すべてに顔を出し、少し多めの香典を包んでいる。

 ごく短い間であったとはいえ、同じパーティの仲間であった探索者たちに軍司ができることは、もはやそれくらいしかなかったからだ。

 聞くところによると、現役の専業探索者の葬儀がおこなわれることは、他の死因ならば別として、迷宮での探索が原因となって死亡した探索者の葬儀というのは、極めて珍しいのだという。

 迷宮で命を落とす探索者の大半は、ロスト、つまり、迷宮内で行方知れずとなるパターンの方が圧倒的に多かった。

 死因がはっきりしていて、医師にしかるべき処置をされた上で、それでも及ばずに死亡する例は、実は案外少ないのだという。


 だからといって。

 軍司は、そう思う。

 残された者たちの気持ちは、やり切れなさは、決して減るもんじゃないじゃろうがの。


「やあやあ」

 最初の葬儀の会場で、知った顔に声をかけられた。

「早川さんも来てくれたんだ」

 ほんの数日前に、肩の根元から腕を千切られたはずの鵜飼瑠美が、平然とした顔をして喪服を着て立っている。

「おめ」

 軍司は目を見開いて絶句した。

「その、腕はどうしただか?」

「ああ。

 ふーちゃん、説明していなかったのか。

 いや、あのときはそんな余裕なかったか」

 軍司が左肩に視線を注ぐ中、鵜飼瑠美は左手をひらひら振って、その健在ぶりを示してみせる。

「わたしのスキル構成、結構独特で」

「そいは、何度か聞いた」

「早川さん。

〈オートヒール〉ってスキル、聞いたことがある?」

「自分の体が傷ついたら、勝手に治していくってスキルか?」

 軍司は確認するる。

「噂では聞いたことがあるが、実際にそのスキルを持っているのに会ったことはねえ」

「うん。

 結構レアなスキルだからね」

 鵜飼瑠美はそういって、何度か頷く。

「わたしのはその機能強化版、わたし自身は〈スーパーオートヒール〉って呼んでいるけど。

 しかもわたしのそのヒールは、よくある代謝機能促進型ではなくって、時間遡行型らしくてさ。

 わかりやすくいうと、そのスキルが発動する条件さえ整えてやれば、そして時間さえかければ、たいていの負傷は勝手に治してくれるんだわ。

 もっとも、その〈スーパーオートヒール〉でも体外に出ていった血液までは回復させてくれないから、失血死だけが心配だったけれどね。

〈泥沼〉のときも、一時はこれは駄目だな、って覚悟したし」


 この鵜飼瑠美が軽装でありながらいつも前衛に出ていたこと。

〈泥沼階層〉でのあのときの、扶桑文佳の処置と、それに落ち着きぶり。

 これまでなんとなく訝しく思っていた事柄が、その説明によってぴったりと解消されたような気がした。


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