2013年、アキ
ビョウイン
「探索者、いうんになろうと思うてな」
顔も名前もおぼえていない同級生が、そういった。
「探索者いうたら、あれ、迷宮とかいうもんに潜るあれか?」
まだ少年といっていい年頃の、そう、ちょうど今の静乃くらいの年齢の軍司は答える。
昭和三十年年代。
まだ四十年は、超えていなかったと思う。
とにかく、そのの頃の軍司は、迷宮だの探索者だのについて、「胡散臭い」という漠然とした印象しか抱いていなかった。
その当時、軍司が勤めていた町工場の近辺には、ゴロツキとも日雇いとも区別がつかない、普段なにを仕事にしているのか不明な若い衆がそれなりにたむろしていた。
迷宮とはそういった連中が日銭を稼ぐ場所のひとつである、程度の認識しか、当時の軍司は持っていない。
基本的に、他にまっとうな生業を持っている人間がわざわざ迷宮探索を仕事にすることはなかった。
今にして思えば、当時と今とでは、各種の装備や防具の性能や堅牢さひとつとっても、大違いなはずなのである。
当時の探索者は冗談ではなく、それこそ生死をかけて金銭を得る、博打のような職業であったはずだ。
ただ、当時の軍司たちのように、田舎から出てきて日なが一日単調な下働きばかりしていた若者たちからみれば、命がけで稼いできた日銭をぱーっと使って憂さ晴らしをするそうした探索者たちの姿は、派手で華やかに見えたのかも知れない。
あの頃は、と、醒めた現在の軍司の意識は思う。
わしらだけではなく、この国全体が、まだまだ、貧しかったな。
と。
それで当然だと、誰もが思っていた。
そんな時代じゃった。
のちに統一戦争と呼ばれることになる半島での戦乱が集結しても、一度に弾みがついたこの国の好景気はなかなか収まる気配を見せなかった。
特になんらかの物品を製造して海外に輸出をする事業が軒並み好調で、なんであれ製品を作りさえすれば飛ぶように外国に売れていった。
為替が固定されていたことと、それに軍司たちの戦争末期に生まれた世代、そのあとに続く戦後ベビーブーマー世代とが生み出した、安価に使える膨大な労働力とが、あの当時のこの国の経済を支える最大の武器となった。
その好景気は、石油ショックなどをいくつかの紆余を経ながらも、八十年代にバブルが弾けるまで続く。
軍司たち、地方から集団就職によってやってきた労働力は、当時、「金の卵」などと呼ばれて持て囃された。
今にして思えば、
「なにが、金の卵じゃ」
と、嗤いたくもなる。
わしら集団就職組は、喜んで低賃金で働く、昔ながらの丁稚奉公みたいなもんじゃった。
使う側にしてみれば、確かに都合がよく、使い勝手がよい存在であったたろう。
軍司自身は小さなオモチャ工場に勤め、一日中、手動のプレス機を操作して、ブリキのロボットかなにかの部品を作り続ける日々を送っていた。
その、顔も名前もなかなか思い出せない同級生は、そもそも田舎にいた時分からさして仲がよかったわけではないのだが、確か、浅草かどこかにある料理屋の下働きにでもなっていたはずだ。
現実には、その同級生が直に軍司になにがしかの相談をした、という事実はない。
そもそも、そこまで親交が深い相手でもなかった。
ただ、そいつが失踪をして、かなり期間を開けてから、
「そういえば、あいつ」
といった形で、共通の知り合いから漠然とした消息を知らされただけのことである。
「探索者になったそうじゃ」
探索者になってから、そのあと、どうなったのか。
探索者らしく迷宮の中で姿を消したのか、それとも、早々にその稼業からは足を洗い、別生計の道を見つけたのか。
そうした消息は、ついぞ聞いたことがなかった。
いや、そいつだけではなく。
これほどの年月が経過すれば無理からぬことなのだが、当時、いっしょに集団就職で上京してきた同級生たちも、今ではすっかり連絡が途絶えている。
軍司のように普通に所帯を持ち、子や孫をもうけている者も多いのだろうが、あの顔も名前もおもいだせない同級生のように、いつの間にやら巷間に紛れてひっそりと姿を消してしまった者も、決して少なくはないはずだ。
探索者とはいわず、あの頃はずいぶんと人命が安い時代じゃったからの。
「早川さん」
うとうとしていると、看護婦に声をかけられる。
「起きていますか?
検温の時間です」
「ん」
ベッドの上で、軍司は曖昧に頷く。
看護婦ではなく、今は、看護師といわねばならぬのだったな。
軍司にいわせれば、時代が経つに連れて、どうでもいい仔細なことばかりが喧しくいわれるようになっている気がする。
体温を計りながら、軍司はぼんやりとそんなことを思った。
なぜ軍司が入院生活を余儀なくされているのかといえば、二千十三年九月の某日、〈印旛沼迷宮〉から自宅のマンションへと帰る途上、自損事故を起こしていたからであった。
その日の夕方、軍司がハンドルを握っていると、そのすぐ前の路上に、さっと一瞬だけなにか白い影のようなものが横切った。
ように、軍司には見えた。
この年の六月にシロを見送ったばかりの軍司は反射的にハンドルを切り、結果、軍司の車は鼻面から減速せずもせずに電信柱に激突した。
軍司は作動したエアバッグの中に頭を押しつけた、ところまでは記憶がある。
そのあと、おそらくは近所の人が通報でもしてくれてたのであろう。
すぐにパトカーやら救急車やらのサイレン音が遠くから聞こえて来るのを薄れゆく意識の中で確認っし、軍司は意識を失った。
そして、気がついたらこの病院のベッドの上にいた、という次第である。
ベッドの上で事情聴取に来た警官やら息子の順也なりに当時の状況を確認すると、どうやら交通量が少ない道であることが幸いして後続の車両などはなく、被害を受けたのは事故を起こした軍司自身だけだったようである。
不幸中の幸い、というやつじゃろうな。
と、軍司は思う。
別に訪ねてきた保険会社の者とか順也とかとも相談をした結果、破損した車はそのまま廃棄処分にし、軍司自身も運転免許を返納することに決めた。
少し前から運転時の反応が遅れがちになっていたことは軍司自身も自覚していたので、これもいい機会だと思い切ることにしたのだ。
今回はたまたま自損事故で済んだが、次に事故を起こせば、それこそ他人様に大層な迷惑をかける。
そんな怖い思いをするのであれば、軍司としては、多少の不便を強いられることは承知の上で、車を運転すること自体をすっぱりと辞めた方がいいと、そのように思ったのだった。
事故の後処理などについては、訪ねてきた保険会社の者がいうままに処理をして貰うことにした。
車が衝突した電柱の修理代は事故を起こした軍司が負担をしなければならないそうだが、そちらもほぼ保険金で補填が可能であり、軍司自身の負担はほとんど必要がないという。
あとは軍司の健康面だけが心配の種として残ったわけだが、こうした事故はえしてあとから後遺症が出る可能性もあるらしく、
「これを機会にしばらく検査入院をしておけばいい」
と、順也に勧められるままに、こうして数日病院に厄介になっている。
たまたま軍司が担ぎ込まれた病院のベッドが空いていて、各種の検査に必要な設備も揃っていたから、という事情もあったのだが。
ああ、年齢が年齢だしの。
と、軍司は思う。
あちこちにガタが来ているのは確かであるし、これを機会に隅々まで調べてもらうのも、悪いことではなかろう。
事故のあとも、軍司は健康体であった。
少なくとも、自覚する限りでは、ということだったが。
こうした事故のあとに発症をしがちな、ムチウチの症状さえ出ていない。
そうした健康体の軍司が数日間予期せぬ検査入院をすることになった。
それで一番困ったことはといえば、そうした入院生活は予想外に退屈であった、ということにつきる。
これまで働きづくめの生涯を送ってきた軍司にしてみれば、これほど長い時間をただ寝そべって過ごすというのは、これがはじめてだったのだ。
午前六時に起こされ、検温や洗顔などを済ませたのち、午前七時に朝食。
昼食が配膳されるのは正午で、夕食は午後の六時。
そして、消灯時刻は午後九時であった。
入院患者向けのスケジュールは毎日ほぼ決まっており、よほどのことがなければ、それが狂うことはない。
軍司の場合、そうした日々のスケジュールの合間になんらかの検査がおこなわれるわけであるが、これも、軍司が特に急ぐ用事がないということと、それに、検査に必要な機器が空いているときに適宜利用させて貰うという取り決めを最初にしていたため、散発的に呼び出されるだけであった。
人間ドッグとして検査をおこなえばせいぜい二日か三日で終わるような行程を、今回の場合はさらに数日かけてゆっくりとおこなっている形となる。
当然、なにもしない、用事がない空白の時間が、それだけぽっかりと空くことになった。
そのため軍司はここ数日、暇を持て余している。
昔のことのをやけに思い出すようになったんも、そいのせいかの。
と、軍司は思う。
そうでもなければ、その昔、どうやら探索者になったらしいとかいう噂を小耳に挟んだだけの同級生のことも、ここまで鮮明に思い出すこともなかったじゃろ。
その、顔も名前もも出せない同級生は、そもそも郷里にいた頃からさほど深い関係ではなかった。
同郷の、同学年の人間として、かろうじて名前を知っていた程度の間柄でしかない。
むしろ、消息を絶った前後から、共通の知り合い経由で漠然とした噂としてその名前を聞く機会が多かったくらいである。
あの者自体が気になる、いうより。
と、軍司は思う。
あの頃、職場も学校も放り出して、自分が探索者にでもなっていたら、いうんが、頭の隅にでも引っかかっておるのかの。
朝から夕方まで工場さでがちゃこんがちゃこんと機械さ回し、夕方からは学校さいく。
あの頃は毎日、その繰り返しだったの。
今と比べれば娯楽らしい娯楽は皆無に等しく、かろうじて貸本屋だのラジオだの映画だのがあった。
いまどきの若い子ら、たとえば静乃だの颯だのに同じ生活を送ってみいいうても、まんず無理じゃろうなあ。
それくらい、地味で単調な日々だった。
なぜ軍司がそんな地味で単調な日々に耐えられたかというと、その当時はそれが当たり前であり、当時の大人たちも含めて大概の人間がそうした単調な日々を当然のものとして受け止めていたからであった。
そのばずだ、と、軍司は思う。
あの頃は。
誰もがみな、貧しかったな。
街も駅もどこもかしこも薄汚れていて埃っぽく、道を歩けば酔っ払いの小便と反吐の匂いが漂っていた。
今は、なんだかんだいって、どこへいっても清潔で小綺麗になっており、街ゆく人々も当時と比べればよほど豊かであるように思える。
しかし、あの頃は。
貧しいは貧しいなりに、誰もが、なんらかの希望を持っていたような気がする。
すべてが綺麗で豊かになったように見える今の方が、貧しく薄汚れていた当時よりの人々よりも表情が暗いように見えるのは、たいどうしたわけか。
現代を覆う閉塞感、というものの正体が、本当に貧しかっあの時代を知る軍司にしてみれば、なかなか了解ができない。
食事と検査の合間の時間、大部屋のベッドの上で、軍司は漠然と考え事をする。
生来頑強にできているのか、軍司はこれほど長く病院に滞在した記憶がない。
病院というものになんらかの関わりを持つときは、だいたい見舞客としてだった。
晴の出産と、それに死去するときの入院時。
それと、最近では、〈泥沼階層〉攻略直後に、静乃が倒れたと聞いて急いで駆けつけたとき。
それに、それからしばらくして、田坂を見舞ったときくらいか。
あのときは、散々な目にあった。
パーティ総数の三分の一くらいが瀕死の重体を負い、残りの半数近くもなんらかの手傷を負っていた。
あの蛇頭の女型エネミーをどうにか倒し、あの階層自体はどうにか攻略し終えたものの、そのあとの始末がかなり大変だった。
あの蛇頭に四肢のいずれかを引きちぎられた者が、最終的に八名ほど。
残りの探索者たちは、そうした重傷者の手当てにしばらく忙殺された。
手足の出血部手前を止血用の結束バンドで止血し、そこいらに転がっていた手足も拾った上で止血する。
その上で、緊急用の即効性麻酔注射を負傷者にうって、片っ端から〈フクロ〉の中には収納していく。
そうした四肢欠損の被害者には、リーダーの鵜飼瑠美や田坂なども含まれていたため、臨時で扶桑文佳が指揮を取ていた。
扶桑文佳は残った探索者たちに声をかけ、指示を与えて動かす。
そうした重傷者が実際に命を永らえることができるかどうかは、処置の早さとそれに負傷者自身の生命力にかかっているので、まごついたりしている余裕はなかった。
生死が危うい重傷者を全員〈フクロ〉の中に収容したあと、軽症者たちの応急処置も済ませて、扶桑文佳はタブレットに付属するカメラで動画撮影をしながら、大広間中央に出現したドロップ・アイテムの検分にかかった。
この際には、手が空いた探索者数名にそれぞれのスマホで動画撮影をさせている。
大人数のパーティでは、こうしたドロップ・アイテムをめぐる分配によって揉めることが多かった。
そのため、ドロップ・アイテムに関する記録は多ければ多いほど、信頼性が増してトラブルになることを回避できるのだった。
「レアメタルのインゴットが数種類。
それも、大量にある」
目の前のドロップ・アイテムをみて、扶桑文佳はそう呟く。
これだけ大量にあれば、一財産といえた。
ざっとこのインゴットの分を計算しただけでも、全員に公平に分配したとして、一人頭二億円相当以上の儲けになる。
それはいいとしても。
そうしたインゴット以外のドロップ・アイテムを見て、扶桑文佳は複雑な表情を浮かべた。
「これって」
一体なんの、性質の悪い冗談だ?
と、扶桑文佳はフェイズガードの下で顔をしかめる。
レアメタルのインゴットの横には、どうやら人間用の義肢らしき物体、それが、サイズ違いで五種類ほど、両手両足分が揃った状態で置かれていたのだ。
持ち帰って詳しく調べて見ないことになんともいえないが、これが単なる人間の手足の模型などではなく、義肢として使用できる代物であるとすると、かなりの大騒ぎになるかな。
と、扶桑文佳は考える。
武器や防具以外の、ある程度複雑な構造の仕掛けを内包したドロップ・アイテムが出現することは、極めて珍しいのだった。
公社としては、多少の高値を提示しても引き取ろうとすることだろう。
もっとも、これらが本当に義肢として使用できるのであれば、公社に売り払うよりももっと手近なところで必要とする人々が出てきそうではあるが。
パーティが迷宮から出てからも、扶桑文佳はしばらく忙しくしていた。
公社への報告と、負傷者の処理、特に重傷者がいることを伝え、集中治療室が手配でき次第、〈フクロ〉の中から順番に四肢を欠損した重傷者とその手足を医師たちに託す、という仕事が残っていたからだ。
ドロップ・アイテムの分配に関しては日を改めて相談すると約束した上で、扶桑文佳はパーティを解散する。
一ヶ月以上の期間をかけて〈泥沼階層〉を攻略し終えた直後にしては、どの探索者も元気がなく、疲れ果てた様子だった。
解散宣言をしたあと、軍司は〈フクロ〉の中から自分のスマホを出して、慣れた動作でまっさきに時刻合わせをするアプリを立ちあげようとする。
〈フクロ〉の中に入れたものはどうやら時間が停止するらしく、その中にスマホを入れておけば、内部の時計に設定された時刻と外界のそれとは、当然齟齬が発生する。
そのため、こうした時刻合わせは必須の作業になっていた。
そこで画面を見て、軍司はいつになく大量の着信があったことをはじめて知った。
最初のいくつかは孫の颯から、残りの大半は順也の嫁さんからだった。
着信は通話とメールの両方であったが、メールの方が多い。
そのうちのひとつを開いて中の文面を確認し、軍司は顔色を変え、相変わらず忙しそうにしている扶桑文佳に一声声をかけてから、猛然と駐車場へと急いだ。
そこには、
「静乃が倒れて病院に担ぎこまれた」
といった内容が、書かれていたのだ。
大広間での立ち回りがあった分だけ、軍司が迷宮から出てくる時間も、いつもよりずっと遅れてしまっている。
颯やら順也の嫁さんやらは、いつまでたっても連絡が取れない軍司にやきもきしながら、何度も連絡をつけようとしたのに違いがない。
駐車場の自分の車に戻ると、軍司はメールに記載されていた静乃が担ぎこまれたとかいう病院の所在地を確認し、急ぎ車内に置きっぱなしにしてあった千葉県の道路地図を開いて道順を確認した。
大まかな道順を確認したあと、軍司は車を発進させ、一路病院へとむかう。
しかしその途中で軽い眩暈を感じ、目がかすんだので、慌てて通りかかったコンビニの駐車場に車を止めた。
いかんな、と、軍司は思う。
思ったよりも、疲労が溜まっているらしい。
通常の〈泥沼階層〉の探索が終わったあと、あの大広間での大立ち回りを経験したことは、この老いぼれの体には大層な負担であった、ようだ。
急ぎたい気持ちも強かったが、ここで事故などを起こしてもつまらない。
まずは休憩して、気持ちと体を休めることにしよう。
軍司は店内に入ってエネルギーバーを数本とカフェイン飲料を購入し、車内に戻ってそれらを飲食してから五分ほど休憩する。
そのあとは休憩を取ることもなく、逸る気持ちを抑えながら静乃が入院している病院まで一気に車を走らせた。
病院の駐車場に車を止め、受付で静乃の病室について訊ねる。
「面会時間があと十五分ほどで終わってしまいますが」
と注意されたが、構わずその病室へとむかう。
「あれ、ジ様」
静乃が入っていたのは大部屋であったが、そこの室内に入った途端、静乃の、思いのほか呑気な声が聞こえて軍司はおもいっきり脱力した。
「なしてまた、息さ切らして」
静乃は思いのほか、元気なそうだった。
静乃のベッドの脇には、順番也の嫁さんと颯の二人がいた。
結論からいうと、単なる過労だということだった。
「受験が終わって、気が緩んだんでねえか?」
静乃本人は、意外とあっけらかんとしていた。
「点滴もして貰ったし、大事をとって一晩泊まっていくようにいわれたけど。
別に心配する必要もねえべ」
三人にかわるがわる説明をして貰ったところ、ことの次第は以下の通りであった。
今日の夕方、颯は軍司や静乃が住むマンションを訪問した。
順也の家から軍司のマンションまではごく近く、歩きでいってもさして苦にならない距離にある。
それに、順也の嫁さんがなにかと軍司たちを気遣って、惣菜などを颯に持たせておすそ分けしてくれることも、日常茶飯事であった。
しかしその日は、マンションの呼び鈴を押しても静乃が出てくることはなく、しかし、マンションの内部には電灯が灯っており、留守にしているようにも見えない。
異常を感じた颯はその場で順也の嫁さんに連絡して、来て貰うことにした。
非常時のことを考慮して、順也の家にはマンションの合鍵をひとつ、預けてあったのだ。
マンションの中を確認してみて、なにも異常がなければそれでよし。
まだ中学生でしかない静乃の身にもし万が一のことがあったとしたら、後悔のしようもない。
在宅していた順也の嫁さんはすぐにマンションに駆けつけ、合鍵を使ってその中に入る。
すると、静乃がキッチンのところに倒れていた、という。
「あとは救急車を呼んで。
そんな大事になったわりには、実はなんでもなくて」
決まり悪げな表情で、静乃が説明を締めくくる。
「本当に大事になっておったら、笑ってもいられんね」
安堵と困惑が入り混じった複雑な気持ちを抱きながら、そういって軍司は頷く。
「おめはこのまま、一晩ここにお世話になってこ」
「明日の学校に間に合うかな?」
「別に遅刻したって、よか」
軍司はいった。
「なんなら、休め」
受験も終わったし、そう真面目に通学に拘る必要もないだろうに。
あれは、静乃が受験を終えたばかりの頃だったから。
軍司はそう思い返す。
そうか。
あの〈泥沼階層〉の攻略から、もう一年半以上も経つのか。
あのあと、静乃は第一志望の公立進学校へと進学し、今では高校二年生に、颯も中学に進学し、この春から探索者の資格を取って週末や長期休暇のときは迷宮に出入りをするようになっている。
若いもんは短い時間でするすると変わりよるからな、と、軍司は思う。
あの震災によって息子夫婦と孫の一人を失ってはいるものの、軍司はまだしも家族運に恵まれている方だ、とも。
あの田坂邦彦のように、血縁者のすべてを失うことはなかったのだから。
あの大広間での戦闘の直後、軍司は左足の膝から先を欠損した田坂の手当を担当した。
手当、といったところで、〈フクロ〉の中から救急治療セットを取り出し、探索者の資格をとったときに教わった通りに止血用の結束バンドで患部の根元を強く縛り、傷口を塞ぐめのゲル状の物体をスプレーで吹きつけただけなのであるが。
そのあと軍司は、出血多量で白い顔をしている田坂の胸もと、その心臓近くに、即効性の麻酔注射をつきたてた。
この緊急用注射器は、ミクロン単位の極細の注射針で麻酔薬を体内に送り込むしかけになっており、保護服の上からでも使用可能な代物だった。
また、注射器を扱う者が医療行為に不慣れな素人でも失敗しないような構造になっている。
まさしく、今回のような場合に使用するために開発された器具であるといえた。
失血により半ば意識を失いかけていたらしい田坂は、軍司が胸部に注射器を突きたてると、そのショックで大きく身震いして、
「……はる!」
と叫ぶ。
その叫びを聞いた軍司はぎくりとした。
晴、というのは、何十年も前に他界した軍司自身の連れ合いの名前であったからだ。
「……はる、か。
うみ」
田坂はその直後もそんなうわごとのような単語を切れ切れに呟いたあと、目を閉じて動かなくなる。
呼吸音は聞こえてきたし胸も上下していたから、今度こそ麻酔が効いて意識を手放したようだった。
それを確認して、軍司は田坂の体を〈フクロ〉の中に収納した。
〈フクロ〉の中に生物を収納することは可能であった。
軍司自身、ウシやらシカやらのエネミーをまだ息があるうちに〈フクロ〉に収納することは、ごく日常的におこなっている。
ただ、生きた人間を〈フクロ〉に収納しなければならないときは、できるだけその人間が意識を失っている方が好ましいとされていた。
真偽のほどは定かではなかったが、生きた人間が意識のある状態で〈フクロ〉の中に入ると、
「酷い悪夢を見る」
のだという。
そんな噂が、探索者の間では囁かれていた。
もっとも、人間を〈フクロ〉の中に収納すること自体、今回のような緊急事態でなければまずしない行為であるし、このようなときはたいてい、〈フクロ〉の中に入れられる人間は麻酔により強制的に意識を喪失させられている。
仮にその噂が本当であったとしても、別に問題はない。
その、はずであるのだが。
後日、しばらく経って落ち着いてから、左足の膝から先を失って入院していた田坂を見舞いにいったとき、田坂はそれに関連することを口にしていた。
「〈フクロ〉に入ったせいかどうかはわからないが、確かに嫌な夢はみたな」
そういって、そのときの田坂は顔をしかめた。
「大昔の、妻子の夢を見た」
「震災のときに、なくしたんか?」
「ああ、そうだ。
遥と海といってな」
田坂は顔を伏せて、そういう。
「遥はともかく、海はまだ三歳になったばかりだったんだぜ」
そういう声が、湿っていた。
おそらくこの男は、いつまでも家族のことを忘れられない気質なのだろうな、と、軍司は悟る。
そうした喪失をこっそりと胸に秘めて、すぐに日常に戻ることができる者も、大勢いるのだろう。
だがこの男のように、いつまでも過去のことを過去のものとして処理できず、ゆっくりと破滅していく気質の者も、相応に多いのではないだろうか。
一見して平然としている者が傷を負っていないとも思わないのだが、この田坂のように、過去の凶事をうまくやり過ごすことができない不器用な者たちも、この世の中には一定数いるように、軍司には思えた。
それに、と、続けて軍司は考える。
このわしとて、あの震災のおりに、静乃までを失うことがあったとしたら、さてどこまで正気でいられたものか。
今のこの田坂よりもずっと荒れ果てた生活を送っていた可能性は、かなり大きいのではないだろうか。
今のわしが、わしのようでいられるのは、偶然と巡り合わせのおかげでしかないのかも知れんの。
と、軍司はそう結論する。
田坂と直に顔を合わせたのは、その見舞いのときが最後となった。
ナガレとして別の迷宮に移っていったのか、それとも体に欠損がでるような重症を負ったことで懲りて、探索者稼業そのものを辞めてしまったのか。
その辺の事情について、軍司は知らない。
周囲の探索者たちに問い合わせをしてみれば、ある程度のことは調べられるはずであったが、軍司はあえてそうしないことを選択した。
ただ、軍司の方から聞くまでもなく、田坂がその後、あの大広間でのドロップした義肢のモニターに志願をしたという噂は、どこからともなく聞こえてきた。
〈泥沼攻略〉が決着してしばらくして落ち着いた頃、この攻略の立案者でありパーティリーダーでもあった鵜飼瑠美は、レアメタルなどの分けやすいドロップ品はできるだけパーティの人員で均等にいき渡るように分配し、余った分や分割しにくいアイテムについては、他のパーティーメンバーの了解を得た上で、死傷した者たちに優先的にその権利を与えた。
特に例の義肢は現在の人類の技術では再現できない、いわゆるオーパーツに該当するアイテムであり、公社として研究対象としてすべてを預かりたかったらしい。
しかし鵜飼瑠美はその公社の意向に異議を唱え、今回の攻略で四肢のいずれかを欠損した探索者たちに、本人が希望をすればそうした義肢を使用できるよう、交渉を持ちかけた。
今回、〈泥沼階層〉を完全に攻略したことは快挙であるにしても、パーティの側も少なからぬ被害を被っている。
立案者兼リーダーとしては、その被害を少しでも軽減しようと働きかけることは、当然であると主張した。
「どの道」
それに加えて、鵜飼瑠美はこうつけ加えたという。
「あの義肢が本当に使い物になるのかどうか、実証する必要はあるわけでしょう?
それを、縁があるうちらの関係者がやって悪い道理がない」
パーティ内であのときに四肢の欠損が出た者は、最終的に四名になった。
あの蛇頭のエネミーに手足を引きちぎられた探索者はもっと多かったのだが、その四名以外の三名は大量出血が原因で死亡し、最後の一人である鵜飼瑠美はどうにかエネミーにもぎ取られた左腕を再接合することに成功した。
ドロップ・アイテムの義肢はサイズ違いのものが五種類であったが、今回被害を受けたのは腕か足かのいずれかであるので、欠損が出た探索者すべてにその義肢を与えたとしても、研究用途に回す試料は十分に残るはずであった。
それに、迷宮内で発見したドロップ・アイテムの所有権は、基本的に発見したパーティーに帰属する。
鵜飼瑠美の提案に、明瞭に反論できた者はいなかった。
田坂は、この義肢のモニターのひとりになったわけである。
そのドロップ・アイテムの義肢は、現在の人類の技術ではその組成さえ明確にできなかった。
軽く、丈夫で、そして、使用者の生体部分に密着してしばらくすると、ぴたりと貼りついて固定される。
それどころか、一度ついた義肢は使用者の意のままに動かすことができ、動力源なども特に必要としなかった。
外から見た感じでは、象牙かなにかのような、白くてすべすてとした表面を持った物質であったのだが、その組成と同じく、作動原理もいまだに不明のままだった。
外見的には人間の手足に極めて近く、頑丈で軽量。
そしてつけていることさえ、普段は意識をしないでいられる。
そんな夢のような義肢が、あの攻略で多大な犠牲を払った探索者たちに優先的に配られることになった。
また、この先研究が進み、あの義肢に使われている素材なり機構なりが幾分なりとも解明され、それがなんらかの製品に応用されることがあったら、その権利料の幾分かもパーティ全員に分配されることになっている。
犠牲は出たものの、あの特殊階層の攻略事業としては、まずまずの結果であったのではないか、と、軍司は思った。
あの攻略では負傷者だけではなく、三名の死者さえ出しているわけであるが。
迷宮内の未踏の場所、どんなエネミーが出没するのか定かではない場所にわざわざ乗り込んでいくのであるから、どの探索者たちも、ある程度のリスクは覚悟していることが前提であるはずだった。
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