タンサク

〈迷宮〉という名称は、いまからおおよそ七十年ほど前に出現してきた異空間、ないしはその異空間に至る入口のことを指す。

 そしてその〈迷宮〉を現在管理しているのは日本政府、より具体的にいうとその政府の一部である不可知領域管理公社、ということになる。

 探索者たちには、ただ単に「公社」と略されて呼ばれることが多い。

〈迷宮〉への出入りも、この公社によって厳重に管理をされていて、三十三ある〈迷宮〉の周囲に巡らされているゲートも、すべて人間の手によって設置されたものであった。

 このゲートには、現在では身分証も兼ねている探索者用IDカードを読み込むためのリーダーが置かれ、IDカードを所持しない者は出入りできないようになっている。

 その周囲は、自動小銃などの日本国内としては例外的なほどに重武装をしている警官などによって警備されていた。

 迷宮の周辺でなんらかの暴行を働こうとする探索者を鎮圧しようというのなら、これでもまだ武力としては物足りないくらいでなのである。

 なにしろ、累積効果の恩恵を受け、各種のスキルを使いこなす探索者は、迷宮の影響を受ける場所では超人的な能力を発揮するのだ。

 実際、そうした強力な探索者が迷宮付近で暴れ、惨事を招いた例は少なからず存在する。

 だから、ゲートを警備する側も、それなりに真剣であった。


 そうして厳重な警戒状態にあったゲートを、鵜飼瑠美が率いる十数名の探索者たちはなにくわぬ顔で通過していく。

 こうしたゲート前の状況はどこの迷宮へいっても大差がなく、武装した警官たちについても、彼らが必要以上に気にかけるということはなかった。

 そうしてゲートを通過して迷宮に入るのも、彼ら探索者たちにとっては「いつものこと」であり、今さら緊張をすべき事柄ともいえなかった。

 ゲートに設置された非接触型のリーダーにIDカードを翳して通過していく彼らは、同じように駅の改札を通過して通勤なり通学なりをしていく人々の姿と、なんら変わりがない。

 そうして迷宮に入るのが、彼らは探索者の日常であり仕事なのだから、当然といえば当然のことなのだが。


 噂に聞いていたとおり、〈泥沼〉の足場は非常に悪かった。

 泥というよりは水分を含んだ緩い粘土に腰まで浸かりながらゆっくりと進むような形であり、もし鵜飼瑠美が用意してくれた保護服を着用していなかったら、この〈泥沼〉を出てからすぐにシャワーを浴びる必要が出てきたことだろう。

 この保護服は最新技術で複合素材の繊維を加工した、何種類かの布地を重ねて作ったものであり、物理的な攻撃に対して、あるいは上下の温度差や強い酸性やアルカリ性などにも耐性があり、難燃性さえ持っている。

 迷宮で新発見されたレアメタルや物質を研究して来た成果も含めて開発されたものであり、当然のように研究開発費も値段に上乗せされているのでかなり高価でもあった。

 とはいえ、ユーザーである探索者たちも自分たちの命を守るために、そうした高価な保護服を選んで購入する傾向があるわけだが。

 今回、鵜飼瑠美が用意してくれた保護服は、ブーツから首までの全身をすっぽりと覆い、気密性が極めて高い構造になっている。

 ジッパーの部分も、固体、液体を問わず、物質がこの保護服の内部に入りこむことはほとんどない、と説明されていた。


「そのかわり」

 鵜飼瑠美は、そうつけ加えることも忘れなかった。

「この服を着たときにかいた汗も、なかなか外には出ていけないってことになりますけどね」

 蒸すのはもちろんのこと、保護服の布地自体が肌に密着するので、皮膚呼吸もほとんどできないものと、そう想定していた方がいい。

 当然、着心地は、極めて悪い。

 そうした欠点もあるため、長時間に渡る継続着用は推奨されていない。

 メーカー側は、

「一回の連続着用は三時間以内に収め、それ以上長時間に渡って着用をしたい場合は途中で十分な休憩を取る」

 ことを推奨している。

 要するに、ハイテク素材の柔らかい、気密性の高い甲冑を身につけているようなものだった。


 そんな高い機能性を持つ保護服に身を包んでいてもなお、粘土のような泥濘に下半身を浸して歩き回る行為は、決して容易なものではなかった。

 なにしろこの〈泥沼〉は、一本足を踏み出すごとにしっかりとまとわりついてきて、動きを阻害する。

 普通に歩き、移動をするだけでも着実に体力を消耗していくのであった。

 軍司も、これまでに培って来た探索者としての能力、つまり累積効果の恩恵を受けていなかったら、最初の数分でこの場から脱出することを提案していたことだろう。

 それくらい、この〈泥沼〉と呼ばれる特殊階層の環境は、人間にとって厳しいものだった。

 発見されてからこれまで、あまり探索者たちの注意を引いてこなかったという事実についても、実に納得ができる。

 保護服のおかげで直接この泥水が肌に接することはないにしても、それでも下半身全体が重たい泥水に包まれている状態で歩き続けるという行為は、予想以していた以上の重労働に思えた。

 軍司は昨年の夏から迷宮に出入りをしはじめてそろそろ七、八ヶ月になるわけだが、その間に蓄えて来た累積効果のおかげで、どうにかこの重労働に耐えることができている。

 今、この場にいる連中の中で、一番の軽輩はこのわしじゃろうな。

 パーティの皆に遅れないように先を急ぎながら、軍司は思う。

 このパーティは、ナガレであったり普段は〈印旛沼迷宮〉以外の迷宮で活動していたりするのだが、とにかく、それなりの実績と実力がある探索者を、鵜飼瑠美が個人的なコネを駆使して集めて結成されている。

 軍司が遅れないようについていくのが精一杯なこの〈泥沼〉の中を、他のパーティの連中は特に苦にした様子もなく、涼しい顔で進んでいた。

 探索者の場合、累積効果の量、すなわち迷宮内部でのエネミーの撃破実績がそのまま身体能力の強化に反映するので、キャリアの長さがそのまま実力差に比例していることが多い。

 探索者をはじめてまだ一年にもならない軍司は、この中ではペーペーの初心者もいいところなのだろう。


「早川さん、大丈夫ですか?」

 遅れがちな軍司の動きに気づいたのか、同じ後衛組の扶桑文佳が声をかけてくれた。

「まあ、なんとかの」

 軍司は、なるべく苦しげな声を出さないように気をつけながら、答える。

 きついことはきついのだが、すぐにでも脱落をするようなこともない。

「もう少しすれば最初の休憩に入りますから、もう少し頑張ってください」

 ダブレットを片手に持ったまま、扶桑文佳はそういった。

 この女性は、手にしたタブレットを使用して進行した道順も記録している。

 ほとんどマッピング専用に開発をされたアプリに任せた作業ではあったが、そうした記録なども、パーティの後衛組の仕事になる。


「ヒル」

 唐突に、すぐそばを歩いていた後衛組の一人が呟いて、片手をかざした。

「いるから、気をつけて」

 かざした手をよくみると、親指と人さし指とで全長五センチほどの軟体動物を摘まんでいる。

 その後衛組が少し力を込めると、ヒルの体はあっさりと圧し潰されて、体液を滴らせた。

「保護服があれば、特に心配をすることはないでしょうけれども」

 扶桑文佳が、そういって頷いた。

「見逃しがちな、そうした小さなエネミーも、ときとして脅威になり得ますからね」


 軍司たちがそんなやり取りをおこなっている間にも、先行して移動している前衛組が、何度か遭遇したエネミーを撃破し続けていた。

 遭遇するのはほとんど全長二メートル前後の亀型のエネミーであるようだが、ときに、全長五メートルを超える大型の鰐型エネミーが出てくることもあるようだ。

 いずれにせよ、前衛組は手慣れた様子であっさりとそうしたエネミーを、ごく短時間のうちに撃破している。

 少し離れて前衛組についていっている後衛組は、ともすればそうした戦闘行為があったことにさえ気づかないほどの、ごく短時間のうちに収まる戦闘であった。

 そうした亀だの鰐だのといったエネミーは群れを作る性質がないらしく、出現するのは単体であることが多い。

 そうした事情も手伝って、歩みを止める必要すらないくらい、短時間のうちに倒している。


 やはり、パーティを構成する探索者各員が、選りすぐりなんじゃろうな。

 危なげがないパーティの様子を見ながら、軍司はそんなことを思う。

 

 二時間ほど〈泥沼〉の階層をそうして探索してから、パーティは一度迷宮の外に引きあげて、休憩に入った。

 いくら累積効果によって身体能力が強化されているといっても、下半身を沼地に沈めながらの強行軍は心身を疲弊させる。

 集中力が散漫になると思わぬ事故にも繋がりかねないし、無理のない範囲内で、細切れに探索作業を続ける方が堅実であると、パーティのリーダーである鵜飼瑠美が判断をしたのだ。


「はい、みんな、ご苦労さん」

 この探索事業の立案者である鵜飼瑠美は、そういってパーティのみんなを労った。

「ここで一度、二時間の休憩を取ります。

 そのあと、もう二時間ほど〈泥沼〉に入って、今日の探索はおしまい。

 これからしばらく、一日四時間の探索を、〈泥沼〉階層の全貌が明らかになるまで、おこなう予定です。

 ふーちゃん。

 今ので、どれくらい進めた?」

「進んだ距離は、四十キロちょい」

 タブレットの画面に目を落としながら、扶桑文佳が即答した。

「一時間あたり、二十キロ前後進んでいることになるわね。

 ずっと泥の中を歩いてきたことを考えると、割といいペースなんじゃない?」

「そんなもんかな」

 鵜飼瑠美は小さく呟いた。

「ま、先は長いから。

 っていうか、いつ終わるのか、実際にこの階層をすべて踏破してみないことにはわからないから、気長に構えて探索を続けていきましょう。

 それでは、今から二時間後までに、またこことに集合ということで。

 いったん、解散!」


 一時間あたり二十キロ、というハイペースで泥の中を進めるのは、全員が累積効果の恩恵を受けているせいであった。

 相応の経験を得た探索者は、迷宮の外では考えられないほどの身体能力を発揮する。

 それも、経験が豊かであればあるほど、受ける恩恵も大きくなる傾向があった。

 そしてこのパーティの中で一番版経験が浅いのは、まず間違いなく、軍司自身ということになる。

 そのせいもあり、軍司はそそくさといつもの店に立ち寄っていつものかけそばを手繰ると早々に駐車場に置いてある自分の車の中に入り、スマホのタイマーをセットしてから、すぐに仮眠を取ることにした。

 それくらい、疲労困憊だった。


 休憩後、集合した再び迷宮に入る。

 今度は、一回目よりもエネミーとの遭遇率があがり、何度か前衛組の戦闘をつぶさに観察する機会にも恵まれた。

 多くの探索者たちは、武器を使うなり、スキルを使うなり、つまりは軍司が知る探索者たちと同じような戦い方をしていたのだが、その中で、鵜飼瑠美だけが異彩を放っている。

 なんと鵜飼瑠美は、ほとんどその四肢と五体のみを使って、エネミーを撃破していたのである。

 蹴りや、拳を使った打突がほとんどであったが、たまに亀の甲羅に手をかけて、力任せに引き剥がしたり、自分よりも遥かに巨大な鰐の体を蹴りひとつで空中高く跳ねあげたりしていた。

 そうして空中に持ちあがって無防備になった鰐の胴体に、軍司は〈狙撃〉を何発か食らわせている。

 珍しく、エネミーとの射線上に味方の探索者が存在しなかったからだ。

 そうした鵜飼瑠美の戦い方をはじめて目撃した軍司は、あまりにも非常識な光景を目の当たりにして、〈狙撃〉をしたあと、その場に棒立ちになってしまう。

 いくら累積効果の恩恵がある探索者とはいっても、鵜飼瑠美は、外見上、どちらかといえば小柄な女性に過ぎない。


「彼女のスキル構成は、特殊ですから」

 軍司の視線に気づいた扶桑文佳が、それとなく説明をしてくれた。

「確かに肉弾戦に特化した探索者というのは珍しいのですけど、あの子はもともと、総合格闘技の方でもかなりいいところまでいっていた経験があるので。

 あの戦い方が、性にあっているのでしょうね」

「総合、格闘技?」

 思わず、軍司は訊ね返してしまう。

「一言でいうと、殴る蹴る以外にも、寝技や関節技まで許可されている競技です」

 扶桑文佳は冷静な声で説明をしてくれた。

「あの子の場合は、最初に空手をやっていて、そこから総合の方に流れていったそうですが」

 いずれにせよ、軍司などにはなかなか想像つかない世界であることは、確かなようだ。

 最近では、女もかなり強くなっているようじゃの。

 などと、そんなことを思ってしまう。


 二度〈泥沼〉の階層に潜り、〈印旛沼迷宮〉から帰る。

 その途中でスーパーなどで食材を調達すると、夕食の準備をはじめるのにちょうどよい時間になった。

 そうして〈泥沼〉に潜っているうちに累積効果が溜まってきたのか、それとも軍司自身の体が慣れてきたのか、おそらくはその両方なのだろうが、とにかく何日も同じような作業を繰り返していくうちに、軍司も初日ほどには疲労を感じないようになっていく。

 基本は毎日同じ作業の繰り返しであり、違いといえば、日に日にエネミーと遭遇する頻度があがっていくような気がすることくらいか。

 とにかく、同じ迷宮でも様子が知れている、既知の領域に特定の目的があっていくのと、こうして階層を調査すること自体を目的とすることでは、かなり勝手が違った。

 前者は所定の目的を果たしてしまえばさっさと〈フラグ〉を使用して帰ってしまえるのだが、後者の場合は、基本的には変化の少ない、単調で、退屈であるとさえいえる仕事になる。

 迷宮に入る者のことを「探索者」と呼ぶことからもわかるように、そうして迷宮内の様子を詳しく調査をするのが、探索者本来の仕事なのだが。

 そうした探索者の本義が薄れてきているのは、迷宮が発見されてからすでに数十年単位の時間が経過し、特に軍司が普段利用しているような浅い階層の様子などが、関係者たちに広く知られるようになっているからだった。

 ちなみにこの〈泥沼〉に出没するエネミーの強さは、通常の迷宮で換算すれば、第五十階層前後に出没するするエネミーのそれに匹敵するという。


 そうして他のパーティメンバーと何日か〈泥沼〉に通ったある日、すぐ後方でくぐもった爆発音が発生した。

「エネミーが、ポップした」

 同じ後衛の、名前も聞いていない女性の探索屋が短く呟いた。

「そして、〈地雷〉に引っかかった」

「〈地雷〉?」

 慌てて背後を振り返りながら、軍司は思わず訊き返してしまう。

「この世良さんの、スキルの名前です」

 扶桑文佳が、早口に教えてくれる。

「地面設置型で、発動条件がある程度設定できる攻撃スキルです」

 緊迫した口調でそういいながらも、扶桑文佳は自分の〈フクロ〉から材質不明の赤い、長大な杖を取り出して構え、目を閉じた。


 そんなやり取りをしている間にも、爆発音が続く。

 そのたびに、亀型とか鰐型エネミーの血肉が泥といっしょに吹き飛び、周囲を赤黒く染める。


「駄目」

 あの女性の探索者、世良が平静な語調で告げる。

「エネミーが、多すぎる。

 設置をした〈地雷〉だけでは、倒しきれない」


 そのすべてを聞くよりも早く、軍司は〈狙撃〉により、まだ健在なエネミーを次々と倒していく。

 問題なのは、〈地雷〉の悪発によってエネミーの肉片や泥などがあたりに飛び散り、見通しが効かない場所が多いということだ。

 こうした環境では、すべての残ったエネミーを〈狙撃〉で始末することができない。


「よっしゃあ!」

 歓声をあげながら、同じ後衛組の田坂がエネミーの方向に突進していく。

 着膨れしたプロテクターの重量を感じさせない、身軽さであった。

「おれまで攻撃をするなよ!」


「ファイヤーバード!」

 しばらく目を瞑っていた扶桑文佳が、顔をあげて叫んだ。

 それと同時に、手にしていた赤い杖が光を発し、そこから鳥の形をした炎がいくつか飛び出す。

 炎でできた鳥はそのまま扶桑文佳の頭上を二、三度旋回してから、まだ残っているエネミーのめがけてまっしぐらに飛んでいき、そのまま体当たりをする。

 そうして瞬時にエネミーの体を焼き尽くしてから、炎でできた鳥は次のエネミーの方へと飛んでいく。

「ファイヤーバード!」

 扶桑文佳が叫んで、もう一体、炎の鳥を赤い杖の中から出現させた。

 先の鳥と合わせて、これで二体目。

 あの炎の鳥は、どうやら扶桑文佳が制御しているわけではなく、独自の判断によって敵と味方を区別し、敵を殲滅するべく動いているらしい。

 一体を出すのに多少の時間は必要になるようだが、一時的に強力な味方を増やす、かなり使い勝手のいい〈スキル〉らしかった。


 重厚なプロテクターを何重にも身につけているのにもかかわらず、田坂の動きは素早かった。

 速すぎて目で追えないほどだ。

 世良の〈地雷〉スキルや扶桑の〈ファイヤーバード〉攻撃をかいくぐってさらに突進してくるエネミーたちを、ほとんど一撃のうちに粉砕して倒しては、次のエネミーへとむかっていく。

 移動速度も早かったし、手足の動きも、すぐには見きれないないほどに、早い。

 手にしていた得物を振りきるたびに、エネミーの肉体が弾けて血肉が散乱し、泥水と混じる。

 田坂の全身に、エネミーの返り血と撥ねた泥とが張りついていた。

 あれが、十年以上も探索者を務めてきた人間の動きか。

 その様子を横目で見ながら、軍司は思った。


 軍司もまた、他の探索者の邪魔にならないように気をつけながら、遠目にいるエネミーを選択して〈狙撃〉スキルにより倒していく。

「数が、多過ぎるの」

 自然と、そんな言葉が軍司の口から漏れた。

 休憩前の探索では、そもそもエネミーとの遭遇率がそこまで高くなかったし、一度に出現するエネミーの数も、ずっと少なかった。

 これほど倒したあとも、なおも迫ってくるエネミーが多いということは。

 総数でいえば、百体以上が揃って攻めてきているのではないか。

 気になって、ふと背後、つまり鵜飼瑠美たち前衛の探索者たちの様子をうかがってみると、そちらでも戦闘中のようだ。

 別口の、やはりそれなりの数のエネミーに対応中で、彼らにしてみても、後衛の方にまで支援をするほどの余裕はないらしい。


 前後で挟まれておるのかいの。

 じわりと、軍司の脳裏に焦りの感情が浮かんだ。


「気を散らさない」

 すぐ横で、世良の声がする。

「今は、目の前のエネミーに集中する」

 そういう世良は、〈フクロ〉の中からなにかを取り出しては、エネミーの方に投げつける、という行為を繰り返していた。

 どうやら〈投擲〉のスキルを持っているらしく、投げつけている物も、手の動きも、見定めることができないほどに素早い。

 そして必中であり、世良がなげたなにかが命中をしたエネミーは、その場で爆散に近い形で地と肉とを周囲に撒き散らして沈黙した。

 どうやらこの世良も、相応に年季の入った探索者であるらしい。


「やあやあ。

 まいったねえ」

 寄って来たエネミーをどうにか片づけたあと、鵜飼瑠美は探索者たちに告げる。

「初日からこんだけ一気に来るとは思わなかった。

 撃破数は稼げるけど、このままだと肝心の探索の方が進まないな」

「今の遭遇戦だけで、エネミー五百体以上を始末している計算になるんだけれど」

〈フクロ〉からタブレットを取り出した扶桑文佳が、そう報告する。

「正確な数字は、外に出て映像資料を確認しないことには出せないわけけど」

 映像資料とは、個々の探索者のヘルメットに備えることが義務づけられている、ビデオカメラの映像のことである。

 基本的にそうした映像データは公社が管理することになっているのだが、探索者側からの要請があれば、閲覧もコピーも自由にすることができる。

 パーティの貢献度を確認して報酬の割り振りの参考にするため、あるいは戦術を見直すためなどの理由により、そうした映像を求める探索者は意外に多い。


「まあ、その辺の処理は外に出てからやって貰うとして」

 鵜飼瑠美はそう続けた。

「エネミーの相手だけならばともかく、階層探索は持久戦だからね。

 今日は一旦外に出て、もう一度準備をし直してから、明日、また挑むことにしよう。

 装備や心構えその他、もっとガチモードでかかっていかないと、十分な対処できない。

 この〈泥沼〉は、どうやらそういう階層らしい」


 半身を泥水に漬けた状態で、記録を録りながら迷宮内を彷徨うだけと、そうしながら頻繁にエネミーとの戦闘を繰り返すのとでは、探索者の負担も大きく変わってくる。

 初日からこの様子では、無理に先に進もうとするよりも、一度に迷宮を脱して仕切り直した方がいい。

 パーティリーダーとして、鵜飼瑠美は、そう判断をしたのだった。


 翌日、翌々日、さらにその翌日もまた、似たような探索になった。

 初日の、休憩を挟んだ二度目の探索と同じように、異常なほどにエネミーがポップしてはパーティに寄って来る。

 そうしたエネミーを片っ端から相手にしながら進み、じりじりと〈泥沼階層〉のマップを完成させていった。

 鵜飼瑠美が集めたこのパーティのメンバーは、軍司を除いてはそこそこに経験を積んだ者が多かったため、エネミーとの遭遇率の高さについても、

「この階層は、そういう階層なのだ」

 と腹を括ってしまえば、さほど苦にはならない。

 また、初日にこそ苦戦を強いられていた軍司にしても、強力なエネミーを撃破したその分の累積効果を得たおかげで、日を追うごとに体が楽になり、〈狙撃〉スキルの威力も大きく、有効射程も長くなっていっていた。

 鵜飼瑠美が当初描いていた予定よりは遥かに遅々とした進行ではあったものの、その速度を除けば、まずは順調な推移であったといえる。


「どうせ、実際に終えてみるまで、どれくらいかかるのか予想できない作業なわけだし」

 鵜飼瑠美は、そうこぼす。

「ここまで来たら、焦ってミスをするよりも、じっくりと構えて着実に仕事をこなしていく方がいい」


 軍司など、一般の探索者が迷宮に入る目的は、おおむね、ネエミーを狩り、その肉体なり、あるいはドロップ・アイテムなりを採取することにある。

 だから、目的となるエネミーが出没する階層についての知識がありさえすれば、その階層自体がどのような形状をしているのか、知る必要もなかった。

〈フラグ〉を使い、目的のエネミーとの遭遇するまで適当にその階層内部を歩き回り、そして帰りも〈フラグ〉を使用して迷宮から出てくれば、それで用は済むのである。

 しかし、今回の目的は、この〈泥沼階層〉の全体像を把握することにある。

 通常の階層、ならびに一部の特殊階層は、人が出入りをするたびに通路の形状をリセットして変化させる性質があるのだが、この〈泥沼階層〉は、どうやらその例外にあたり、何度入り直しても通路の形状は固定されているらしい、ということが、これまでの調査でわかっていた。

 だから、この〈泥沼階層〉の地図を作ることは有効だったし、仮に〈泥沼階層〉の全体図を作ることができれば、あまり高額ではないにせよ、公社からも報奨金が支払われることになっている。

 それ以上に魅力的なのは、この〈泥沼〉のように通路の形状が固定されているタイプの特殊階層をはじめて踏破した探索者の前には、かなりレアな、従って高価な、なにがしかのアイテムが姿を現す可能性が高い、ということである。


「こういう迷宮がなんのために出現したのか。

 いろいろいわれているけどよお」

 あるとき、なにかのおりに、田坂がそんなことをいった。

「あくまでおれの感じでは、なんか試されているような気がするんだよな。

 おれたち人間が、どこまでことができるのか。

 この迷宮を使って覗き見しているやつらが、どこかにいるような気がする」

「異星人だか異世界人だかが作った、ゲームかテーマパークの一種ではないか、とかいっているやつらもいるな」

「テストだかゲームだかテーマパークだか知らないが、それでも毎日のようにロストするやつが出ているしな」

「ああ。

 おれたち探索者にしてみれば、遊びどころじゃない」

 パーティ内の若い連中が、それぞれに勝手なことをいい出す。

 七十年ほど前に、東京近郊に三十三ヶ所出現した迷宮という現象について、自然に発生したものなのか、それともなんらかの知性体の意思を受けて発生した人為的なものなのか、これまでさんざん議論されてきたが、今だに結論が出ていなかった。

 人為と自然発生、いずれの説を取るにしても、決定的な証拠となりうるものが発見されていないので、それぞれに仮説を提出するところまでで、それ以上の検証はできずに止まってしまっているが。


「そんなことよりも、田坂のおっさんは」

 ある若い探索者が、そういった。

「さっさと借金を清算しないとな」

 エネミーの群れを始末したあと、ドロップ・アイテムを拾うための時間を利用して、小休憩を取っていたときのことである。

「この間も、ガラの悪いのがおっさんのことを探しにこの迷宮まできてたぞ」

 そんなことをいい合って、笑いあう。

 専業の探索者は、仮に一般的な意味での信用がなかったとしても、そこそこに日銭が稼げる。

 そのため、無許可の、いわゆるヤミ金とか呼ばれる業者の受けがよかった。

 そのような業者にしてみれば、元金はそのままにして、利子のみを毎日のように返してくれる存在こそが一番ありがたく、そこそこ長く専業でやってこれている探索者などは、実にいいカモであるともいえる。

 もっとも、そうした事情は探索者側にも知れ渡ってもいるので、実際にその手の金融業者を利用する探索者は、実はかなり少なかったりするのであるが。


「はいはい、そこまで」

 鵜飼瑠美が大きな声で告げた。

「アイテムの回収が終わったから、作業再開するよー!」

 ドロップ・アイテムを回収するのは、〈鑑定〉系のスキルを持っている探索者の担当となっている。

 特に〈泥沼〉に落ちてその底に沈んだアイテムなどは、そうしたスキルに頼ることでもしなければ、回収することは難しいからだ。

〈鑑定〉系のスキルは比較的ポピュラーなスキルでもあったので、このパーティの探索者の中でもおおよそ三分の二ほどのがこの手のスキルを生やしていた。

 アイテム回収に従事していない残りの者たちは、回収をする間、周囲を警戒している。

 そして回収作業が終わりだろう、彼らは再び泥濘の中を進みはじめる。


 基本的に毎日同じような仕事の繰り返しであり、しばらく単調な日々が続いた。

 いや、探索者に限らず、特殊な例外を除けば、たいていの仕事は単調なルーチンワークの繰り返しなのであろうが。

 とにかく、彼らはこの階層を完全に制覇することを目指して、毎日迷宮に入り続ける。

 そうこうしているうちに一月が終わり、二月に入り、軍司は鵜飼瑠美に相談をして、何日かこのパーティから抜けることにした。


「ああ」

 鵜飼瑠美はあっさりと頷いた。

「そういや、お孫さんの受験だとかいってたっけ?」

「滑り止めと本命合わせて、二日ほど迷宮に来れんようになる」

 軍司は、そう説明をする。

「わしはなんもできんが、せめて送迎くらいはしてやろうと思ってな」

 おそらく、軍司などが送迎をせずとも、公共の交通機関を使えば静乃も特に困ることはないはずであったが、あくまで軍司の気持ちとして、その程度のことはしてやりたかったのだ。

「はい、わかりました」

 鵜飼瑠美はそういって自分のスマホを取り出し、カレンダーアプリ上の軍司が告げた日付を書き足した。

「その日とその日は、早川さんはお休み、と」

 もともと軍司は、このパーティにとって必須の人材というわけでもない。

 それに、他の若い探索者たちも、交替で休みを入れている。


「お休みは、いいんだけど」

 鵜飼瑠美は、そう続けた。

「ひょっとすると、その日までには、〈泥沼〉の探索自体が終わっているのかも知れないっすよ」

「終わりが、見えてきたんか?」

 軍司が、訊き返した。

「まだ、確証が取れたわけではないんだけどね」

 鵜飼瑠美はそういって、スマホの画面に表示させたマップを示す。

「ほら。

 これが今まで、〈泥沼〉の中を何百キロも這いずり回って記録してきたマップになるんだけど、この中心部分だけが空白になっているでしょう?

 この部分まで埋めることができれば、そらくはマップもコンプリートということになると思うんだけどな」

 でも、実際にはどうなるか。

 と、鵜飼瑠美は浮かない表情で続ける。

 ここになにかがある、あるいは、いる。

 それがいいものなのか悪いものなのかは、実際にそこまでいってみないことには、わからない。


 静乃は私立の女子高と公立の進学校を受験するという。

 どちらも高校としてのランクは高く、周辺地域では難関校として知られている学校だった。

 そして静乃は、学校の教師によると、そのどちらにも十分に合格できるほどの成績を収めているという。

 軍司としては、

「誰に似たんかいの」

 と、思わないでもないが、孫娘が優秀であるのに越したことはない。


 静乃が受験をする二校のうち、先に受験日が来るのは私立の女子校の方であった。

 軍司は日課のシロの散歩と朝食を済またあと、静乃を愛用のバンに乗せ、時間の余裕をかなり持って、朝早くからマンションを出る。

 試験がはじまるかなり前に女子校の前で静乃を降ろし、軍司自身はしばらく喫茶店やファミレスで時間を潰したあと、適当なコインパーキングに車を停め、静乃から連絡が来るまで、仮眠を取った。


「うまくいった。

 と、思う」

 帰りの車の中で、静乃はいった。

「次が本番だけど」

 軍司としては、その言葉を信用するしかなかった。


 軍司がパーティに復帰すると、パーティの連中はどことなく浮ついていた。

「どうやら、もうすぐで終わるらしい」

 田坂が、軍司に教えてくれる。

「マップがな、真ん中の部分だけ、ぽっかりと空いているんだとよ。

 他に妙な抜け穴とかがなければ、そこを埋めて〈泥沼〉は終わりだろうってな」

 このパーティの探索者たちにしても、連日の強行軍にはうんざりしていたところだったのだろう。

 それももうすぐ終わるともなれば、浮き足立つのもよくわかる。


「あとは」

 しかし坂田は、浮かない口調でそうつけ加えた。

「鬼が出るか、蛇が出るかってところだな」


 さらに数日が経過し、静乃の本命高校受験日の前日となった。

 軍司は鵜飼瑠美に声をかけ、

「前にもいっておいたが、明日、休むんで」

 と、確認をしておく。

「ああ、はいはい。

 早川さんは、確かそうだったね」

 鵜飼瑠美はどこか気のないそぶりで返答をした。

 疲れでも出ているんかいの、と、軍司は思ったが、どうやらそういうことでもないらしい。


「いや、休むのはいいけど、明日でこの探索、終わってしまう可能性もありますよ」

「もう、そこまで進んでいたんか?」

 軍司は、訊ね返す。

「うん。

 マップの空きも、もう残り少ないし」

 鵜飼瑠美は、そう応じる。

「ただ、最近、エネミーが強くなっている気がするからなあ。

 明日一日で終わるかどうか、実際にはかなり微妙なところ。

 ま、探索が終わったら終わったで、早川さんにもすぐに連絡いれますよ」


 結局、その連絡が来ることはなかった。

 前のように一日の休みを取り、静乃の受験につき合ったあと、軍司はパーティに復帰する。

「そんなに手強いんか?」

 迷宮に入る前に、軍司は同じ後衛組の田坂に声をかけた。

「手強いというより、数が多過ぎる」

 田坂は、いつになく真剣な面持ちで答えてくれた。

「数が多過ぎて、そして途切れない。

 まるで、なにかを守っているかのように」

「ボスいうんが、おるんか?」

 軍司も、表情を険しくしていった。

「特殊階層には、そういうんがおる、聞いた」

「いるかも知れねえな。

 いや、きっと、いる」

 そういって、田坂は何度も頷く。

「そういう前提で、覚悟を決めておいた方がいい。

 実際にいってみてなにもなかったら、そのときになってはじめて気を緩めればいい」


 特殊階層にポップする強大なエネミーのことを、ボスと呼ぶ。

 すべての特殊階層にこのボスがポップするわけではないのだが、このボスと呼ばれるエネミーは、その階層に出没する他のエネミーと比較すると格段に強大であり、また、特殊な能力を備えていることが多かった。

 一言でいえば、非常に倒しにくいエネミーでなのである。

 そのエネミーを倒すためには、攻撃をしかける探索者の側は、それだけ多くのリスクを背負うことになる。

 ここ最近、鵜飼瑠美が浮かない顔をしていたのも、おそらくはこの懸念事項があったためだ。

 このパーティの立案者兼リーダーとしては、立場上、仲間の探索者の被害が少ない方がいいに決まっている。


 実際に迷宮に入ってみると、確かに田坂がいっていた通り、エネミーの数が多過ぎて、途切れない。

 というよりは、〈フラグ〉によって移動した先からして、その前後の通路にびっしりとエネミーが待ち構えていた。

 軍司たち探索者は、その通路に出現をした次の瞬間から、それぞれのスキルを駆使して前後にひしめいていたエネミーを駆逐して行く必要があった。

 特に後衛組の仕事は、世良を護衛して〈地雷〉を使用する余裕を与え、エネミーの迫撃を防ぐことに集中する。

 この世良の〈地雷〉というスキルは、世良が触れたある一点を起爆点として設定し、そこに触れたエネミーを例外なく爆破する、という性質を持つ。

 世にも珍しい待受攻撃型のスキルであり、おそらくはこの世良のみが持つ、ユニークスキルであるといわれていた。

 今回のような状況では非常に重宝をする便利なスキルといえたが、そのかわり、起爆点をひとつ設置するのに数十秒以上の時間が必要となる。

 今、軍司たちがいる、道幅が十メートル近い通路をその〈地雷〉により完全に閉鎖しようと思えば、数十分から一時間以上の時間が必要となったであろう。

 現在の軍司たちには、そこまでの余裕はなかった。

 世良には、通路の完全閉鎖には遠いものの、背後から追ってくるエネミーを何割か間引く程度の〈地雷〉を設置してもらうことになる。

 そのための余裕をつくり、世良が起爆点設置作業に専念できる環境を作るのが、軍司たち後衛組の、当面の仕事であった。


 そうして丸一日をかけてじりじりと前進し続けて、軍司たちのパーティはある地点に到着した。

 唐突に、視界が開ける。

 そこは通路ではなく、大きな広場になっていた。

 その広場の中央に、なにか巨大な物体がうずくまっている。


「いったん離脱!」

 鵜飼瑠美はそう叫び、続けて、

「できない!

〈フラグ〉スキルが、ロックされてる!」

「つまりは、ここまで来たら、アレを倒し切るまでは逃げるなってことでしょう」

 前衛組の若い探索者が、いった。

「このまま、一気に押し切ってやろうじゃないですか!」

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