パーティ

 暑かなあ。

 ンだなす。


 ひどく懐かしい夢を見て、軍司は目を醒ます。

 十年以上の前、二十年まではいかないか。

 少なくとも、静乃が生まれるよりもずっと前だったはずだ。

 どうも、いかんな。

 と、軍司は布団の上でゆっくりと首を振る。

 ここまで年を取ると、過去の記憶がゴッチャになりおる。

 古い思い出が不自然に鮮明であったり、その逆に最近のことがひどくあやふやだったり。

 とにかく、数年から数十年に渡る過去への距離感というのが、年々不確かなものになっていくような気がする。


 軍司は物音を立てないように気にかけながら身を起こし、時刻を確認してキッチンへとむかった。

 そこでは静乃が机に突っ伏したまま熟睡をしており、軍司は無言のままブランケットを取ってきて、静乃の背に掛ける。

 休めンならば、休むがええ。

 軍司は、心の中で静乃に語りかけた。

 静乃は例の震災からこれまで、ずっとどこかでピンと張り詰めた様子であったことを、軍司は感じ取っていた。

 新学期がはじまり、受験の日程がいよいよ近づいて来た今、しばらく張り詰めていた静乃の心身も、そろそろこれ以上の緊張に耐えきれなくなっていたのだろう。

 休めンならば、休むンがいいンだ。

 軍司は、そう思う。

 まだ若い静乃は、そもそも肉親や身近な人間に先だたれることに対して、免疫というものを持っていない。

 数多くの肉親や知人の死を経験し、その記憶を澱のように身内に留めている軍司自身のような老人とは、根本的に異なるのだ。

 静乃は、おそらく、自分の心中をいまだに整理しきれていないのだろう。


 軍司は物音を立てないように気をつけながら身支度をして、リードとポリ袋と水の入ったペットボトルを持ち、順也の家へとむかう。

 庭先でシロの首輪にリードを取りつけ、まだ暗い街中へ、いつものようにシロを散歩へと連れ出した。

「おめも、おれも、互いにもういい年寄りじゃの」

 リードを手にしながら、軍司は小さく呟く。

 最近のシロの足取りは、以前にも増してよたよたとして、めっきり頼りのないものになっている。

「お迎えさ来る前に、やり残したことがねえようにせんとな」


 鵜飼瑠美から連絡が入ったのは、静乃が再び学校に通い出して、何日か経ってからだった。

 メールで指定された日時に〈印旛沼迷宮〉のロビーに顔を出すと、鵜飼瑠美や田坂邦彦を含む数人の男女が集まっていた。

 皆、二十代から三十代といったところか。

 じじいは、わしだけかいの。

 つい、自嘲的な考えを持ちながら、軍司はいつものようにシロを連れてその集団の近くまで移動をして、所在なげな様子でその場に立ち尽くす。

 軍司など視界に入らない風で仲間うちの雑談を続ける若者たちを、軍司は眩しく思った。


「やー!

 ふーちゃん、久しぶり!」

 騒がしいその一団の中でも一際声が大きかったのは、鵜飼瑠美であった。

「元気にしてた?」

「去年の十月に、二人目を産んだばかり」

「本当?

 おめでとう!

 なんだ、知らせてくれればいいのに」

「なによ、何年も音沙汰がなかったくせに。

 今回は、〈爪〉の人とかサルさんとかには声をかけていないの?」

「うーん。

 連絡してはみたんだけど、返信がないんだよね。

 その二人と、それにアイさんも。

 あの野郎ども、揃いも揃って地に足がついていないから」

「確かに。

 唐突にふらりと音信不通になるよね、あの人たち」


「おれか?

 おれはあれ、これでもいわゆるオールラウンダーってやつよ」

 若い連中に混ざり、軍司といっしょに平均年齢をあげている田坂邦彦も、鵜飼瑠美に負けじと声を張りあげている。

「探索者歴も、もう少しで二十年に手が届く。

 おそらくこの中でも最古参になるんじゃねえか?」


「早川さん!」

 しばらく軍司が所在なげに棒立ちになっていると、鵜飼瑠美の方が近寄って声をかけてきた。

「なんだ、来てたんなら、声をかけてくれればいいのに!」

「んん」

 気後れしていた軍司は、不明瞭な音を喉から出した。

「そいで、今日呼ばれたんは?」

「そうそう、それそれ」

 鵜飼瑠美は大きく頷き、〈フクロ〉の中からなにやら荷物を取り出して、軍司に手渡した。

「今日は〈泥沼〉攻略要員の顔合わせと、それに、これを渡したかったの」

「これは?」

「例の、〈泥沼〉用の装備。

 サイズは、おそらく合っていると思うけど、試着をしてみて合わないようだったら早めに連絡をください」


 俗に〈泥沼〉と呼ばれる特殊階層は、その名の通り、全体に泥濘が広がる湿地帯のような階層である。

 その泥濘の深さは浅いところで膝上ほど、深いろことろでは一メートルを軽く超えて、一定していない。

 足場が悪い沼地がどこまでも広がっている階層である。


「で、そんなところで下着や靴下を汚すのも馬鹿馬鹿しいんで、こうして人数分の一体型保護服を用意したんだけどね」

 と、鵜飼瑠美は説明をしてくれる。

 軍司は、ダイビングをする人が着用するような、全身をぴったりと覆う保護服を身につけた自分の姿を想像して、げんなりとした気分になった。

 自分のようないい年寄りに、似合う格好ではない。

 ちなみに、軍司自身が普段着用しているのは、一番安い価格帯の、初心者用の保護服であった。

 基本的に近距離での戦闘をほとんどすることがない軍司にしてみれば、保護服や防具に余計な金をつぎ込む必要がないのだ。

 そうした安物の保護服はデザイン的にもオーソドックスなものであることが多く、材質を別にすれば、ガテン系の職人が着用するような作業着と大差ない外見していて、従って軍司としても着用するのに抵抗がない。


「まあまあ。

 早川さん」

 軍司の表情からなにかを読み取った鵜飼瑠美が、馴れ馴れしく軍司の肩を叩きながら、そういう。

「抵抗があるのはわかるけど、これも自分の身を守るためだと思ってさ。

 これ、これでも最新モデルだからね?

 ちょいとやそいとの攻撃は通じないようになっているし、自分の身の安全を守るためのものだと割り切って、着てくださいよ」


「早川軍司さんですね?」

 渋い顔をした軍司がその保護服を自分の〈フクロ〉の中にしまっていると、先ほど大きな声で鵜飼瑠美と歓談していた女性が声をかけてくる。

「お噂はよく聞いています。

〈狙撃〉という、珍しいスキルをお持ちであるとか?」

「あんたは?」

 軍司は、反射的に訊き返している。

「扶桑文佳といいます」

 その女性は手慣れた挙動で名刺を取り出して、軍司にむけて差し出した。

 鵜飼瑠美と同じような、三十前後に見える女性だった。

「これでも、〈松涛迷宮〉の近くで、探索者むけインストラクターの会社を経営しています」

「インスト、いうたら、あれか。

 学校のセンセイみたいなもんか?」

 軍司は横文字には明るくないが、そのインストなんとかいう単語は、かすかに聞きおぼえがあるような気がした。

「世の中、いろんな商売があるもんじゃの」

「そうですね。

 探索者を養成するための、学校。

 そのようなものであると、そう考えていただいても間違いではありません」

 扶桑文佳と名乗った女性は、大きく頷きながらそういった。

「早川さんの〈狙撃〉は、日本人としては極めて珍しいスキルになるかと思います。

 これまで、同じ名称のスキルを生やした探索者は存在したようですが、そのほとんどが外国人になります。

 日本人としては、一部の軍務経験者のみが、少数ながら同名のスキルを生やしていた記録があるようなのですが。

 それらの記録によると、従来の〈狙撃〉スキルは、射程距離も威力も、早川さんのそれとはまるで威力が違います」

「ほ」

 そのようにいわれて、軍司は思わず目を細めてしまった。

「本職の軍人さんの〈狙撃〉さ、そげに凄いかものか?」

「いいえ、その逆です」

 扶桑文佳は、ゆっくりと首を横に振る。

「記録されている〈狙撃〉スキルは、有効射程距離も貫通力も、早川さんのそれには到底及ばない代物だったようです。

 つきましては、この〈泥沼〉の件が片づいてからでも、わたくしどもの会社で後継の人たちに、そのスキルの生やし方をご教授していただければと」

 すぐに、とはいいませんが、よろしくご検討ください。

 扶桑文佳は、そうつけ加える。


 マンションに帰りに、例の渡された保護服を試着してみたところに、おり悪く静乃が帰ってきた。

「なに、それ」

 首から下の全身を覆う、つまり体の線がもろに浮き出る保護服姿の軍司を見て、静乃はそういったきりしばらく絶句した。

「新しい、保護服じゃ」

 軍司は、不機嫌な表情で説明した。

「これから降りる予定の、特殊階層さで、こいが必要いわれてな。

 無理に、押しつけられてきた」

「いや、うん」

 最初のうち、あっけに取られた表情になっていた静乃の顔が、徐々に緩んでくる。

「似合うよ、その格好も」

 明らかに笑いを、吹き出すのを堪えている表情だった。

 ちなみに、軍司はこれまで静乃に対して、〈泥沼〉を含む迷宮関連の一切を詳しく説明していない。

 受験のために一時的に迷宮行きを中断している静乃に、余計な刺激を与えまいという、配慮からである。


「やっぱ、ジ様の味つけ、濃いよ」

 夕食の席で味噌汁を一口啜ってから、静乃がいった。

「こんなんじゃ、高血圧になって長生きできないよ」

「馬鹿こくでね」

 軍司は反射的にそういっていた。

 これまで何十年も、この味でやってきたのだ。

 本当に体に悪いのだとしたら、なによりも軍司自身がこの年齢になるまで生きながらえているわけがない。

「したら、今度からわたしに作らせてみるさ」

「おめさ、料理なんぞできたか?」

「できるべ。

 学校で習うておるし」

 どうやら最近の学校では、そうしたことも教えているらしい。

 もう五、六十年近くも学校という場所から縁遠くなっている軍司には、その内情を具体的に想像きなかったが。

 軍司は学校という場所に接点を最後に持っていたのは、もう何十年も前の順司の保護者としてであり、あとは最近の静乃の、やはり保護者として、になる。

 いずれに、直に経験するというよりは、遠目に眺める程度の関わりに留まっていた。

 軍司自身が学校に通っていたのは、集団就職でこっちに来ていた時分に、十五から十九のときまで定時制の高校に通っていたのが最後になる。

 流石にあの時代と今とでは、なにもかもが違っておるだろうしの。


「料理さも、ええが」

 軍司はいった。

「おめは、まずは受験だなや」

「ンだな」

 静乃は素直に頷いた。

「まずは、受験さだなや」


 ンだな。


 その訛りを含んだ語調が、軍司の記憶を刺激する。

 その調子、まるで晴さにそっくりでねえか。

 軍司の連れ合いであった晴が物故したのは、静乃が生まれるよりも遥かに前のことだったはずだ。

 なのに。

 血の繋がりとは、こんところにひょっこりと、不意に顔をのぞかせるものなのか。


 晴は、軍司の地元の人間ではなかった。

 集団就職でこっちに来ていたときに、知り合いに世話をされて見合いのようなことをして、結ばれた嫁だ。

 その当時から恋愛結婚自体はありふれたものであったが、軍司たちのように見合いで結婚をした夫婦の割合は今よりも遥かに多かったように思う。

 軍司のように田舎から出てきた朴訥な、口が重い一方の男は、自分で相手を見つけるだけの甲斐性があるわけもなく、職場の上司などが自然とよさそうな独身女性を紹介してくれる。

 そんな風潮が、往時にはあったのだ。

 家庭を持ってこそ、一人前。

 そんな風潮が今よりもずっと強かった時代だったので、いい年齢をしてあぶれている者にはなにくれと世話を焼いてくれる。

 そんな人も、多かった。


 下町に生まれ育った晴という娘は、空襲により係累のすべてを失った、つまり、いわゆる戦災孤児ということになる。

 あの当時は、特に珍しい身の上でもなかった。

 見合いの席ではじめて顔を合わせたときの晴の様子を、軍司は今でも克明に思い出すことができる。

 どことなく影が薄く、幸が薄いような印象を受けた。

 数えるほど顔を合わせたあと、式とは名ばかりの宴会をして、そのまま所帯を持った。

 それから十年も経たない内に軍司の兄が頓死し、家と田畑を継ぐために田舎に帰ることになったときも、晴は不平のひとつ口にせずについてきてくれた。

 そしてそのまま田舎で年を取り、わずか五十になるかならぬかといった若さで膵臓癌により物故している。

 気がついたときには腫瘍があちこちに転移し、手がつけられない状態であったと、そのときに医師から説明をされた。

 軍司としては毎日のように病床を訪れて、日々衰弱していく晴の姿を見守ることしかできなかったわけだが。


 暑かなあ。

 ンだなす。


 今朝、夢に見たあの会話も、軍司がそうして晴の病床を見舞ったときのやり取りであった。

 あのとき、すでにげそりっとやつれ、憔悴した様子の晴の様子は克明に思い浮かぶのに、どうしてだか、晴の没年が思い出せない。

 年は取りたくないものだ。

 と、軍司は思う。

 こげに、長く生きるつもりなかったンに。

 とも、軍司は思う。

 晴は果たして、わしなんぞと所帯を持って幸せだったのかいの。

 長生きなんぞ、するもんじゃなか。

 悔恨とか、なにかそんなようなもんが、年々自分の底に澱のように溜まっていって、動きを、身を、重く、鈍くする。

 そして、そうした理不尽な思いにさえ、対処する術を自然と身につけてしまう。


「シロや」

 翌朝、いつものように散歩を終えたあと、軍司は順也の家の庭先で、シロの頭を撫でた。

「おめはしばらく、ここで留守番だなや」

〈泥沼〉の泥濘は、重たくて粘性が高く、かなり足を取られる代物であるという。

 犬は人間よりもよほど目線が低く、四本足で動く。

 そんな犬が〈泥沼〉のような階層に入ったとしても、泥濘の中でもがくだけでなんの役にも立たないだろう。

 シロにとっても、不快なだけの環境であるはずだ。

 だから、軍司が〈泥沼〉の特殊階層を探索している間は、シロはここで待機する形となる。

 最近はシロもかなり弱ってきておるようだから、こいでちょうどええ骨休めになるのかも知れんの。

 と、軍司は思う。

 おめは、しばらくここさで休んでおるとええ。

 幸いなことに、この近辺は冬であるとはいっても、田舎とは違って寒さもたがが知れている。

 朝晩の冷え込みはともかく、よく晴れた昼間の日差しなどは、意外に暖かだった。


〈泥沼〉と呼ばれる特殊階層が発見されたのは、七十年代の半ばであったという。

〈泥沼〉に関する記録がいまひとつ不明瞭であるのも、その時代生に起因するところが大きいといわれている。

「なにしろそのときは、監視カメラどころか公社の公式記録さえ、電子化されていなかったはずだかんな」

 田坂が、見て来たような口調でそううそぶいた。

 阪神大震災以降に探索者になった田坂が、その時代を知るはずもない。

 なにしろ、この中では最古参の探索者である田坂が探索者になるよりも、二十年近くも前の出来事になるのだ。

「監視カメラが義務づけられたのって、八十年代に入ってからだったっけ?」

「確か、そのはず」

 鵜飼瑠美と扶桑文佳が、そんな会話を交わしている。

「でも、最初のうちは記憶媒体が磁気テープのカセットかなんかで、カメラ自体がかさばるわ画像が荒くて不鮮明だわ短時間しか録画できないわで、現場ではかなり不評だったらしい。

 アイさんにでも聞ければ、もっと詳しいこともわかるはずなんだけどな」


 ここで言及されている監視カメラとは、探索者が着用するヘルメットに内蔵することが義務づけられている、ビデオカメラのことになる。

 表向きの理由はとして、

「探索各自の方法を記録し、分析し、後続の探索者のために役立てるため」

 に義務化した、ということになっている。

 が、実際には、

「迷宮内部おける探索者による違法行為を監視するため」

 なのではないかと、探索者たちの間では囁かれていた。

 その監視カメラが義務化していなかった以前は、探索者同士による決闘や喧嘩沙汰、私刑、あるいは、特定の人物を始末するために迷宮を利用する、などという行為が日常茶飯事であった、という風評すら、あった。

 そして、迷宮内におけるそうした犯罪行為を、あとから捜査したり立証をしたりすることは、極めて困難でもある。

 公社としても、迷宮内部における探索者の行動を監視したくなるというものだ。


 現代でこそそれなりクリーンなイメージになってきてはいるが、ほんの少し前まで、報酬を求めて命がけで迷宮に入る探索者たちは世間的にみればせいぜい山師扱いであり、実際には暴力団関係者が探索者をやっていたり、探索者を取りまとめて手配をしたりすることも決して珍しくはなかった。

 軍司のような古い世代の者には、探索者という存在に対して、「柄が悪い」あるいは、「堅気ではない」というイメージを、いまだに根強く持っている者も多い。


 とにかく、もっともその〈泥沼〉の階層に探索者が乗り込んでいった時代の記録自体があやふやなまま、ほとんど残されていないことが原因となって、その階層の全容はいまだ不明な物になっていた。

 そのために、鵜飼瑠美が個人的なコネを駆使してこのパーティを結成したわけであるが。

 発起人でありこの集団のリーダーである鵜飼瑠美は、すっきりとした肢体をあらわにしていた。

 つまり、体の線をそのまま浮かびあがらせる一体型の保護服とヘルメットのみを着用しているだけであり、外づけのプロテクターの類はいっさい身につけていない。

 ちょうど、今の軍司は自身の格好と同じようなものだったが。

 随分と艶かしいの。

 と、軍司は思う。

 鵜飼瑠美の普段の言動があまり女性を感じさせるものではなかったが、凹凸が激しい体つきは、紛れもなく成熟した女性のそれであった。

 その女性らしい体を、隙間なくぴったりと肌に張りついた保護服が露わにしている。

 そして鵜飼瑠美自身も、自分の体をを隠そうともせず、堂々と晒している。

 軍司がもう少し若ければ、情欲に駆られていたはずな。

 いや。

 より正確にいうのならば、年齢ゆえに体は反応していなかったが、軍司の中にある男の部分は、明らかに熱を帯びていた。


「あれも、後衛なんかいの」

 鵜飼瑠美の無防備な姿を見て、軍司は思わず呟いてしまう。

「いいえ」

 たまたまそばにいた扶桑文佳が、笑を含んだ声でいった。

「あの子は、ガチガチの前衛」

「あの軽装でか?」

「なんていうか、あの子のスキル構成は、ちょっと特殊だから」

 軍司が訊き返すと、扶桑文佳は言葉を濁して視線を逸らした。

「実際に見ていただければ、納得がいくと思います」


 前衛、後衛とは、パーティ内における探索者の役割を示す。

 フォワードとバックアップ、といういい方をするときもある。

 文字通り、前に出て直接エネミーと近距離で交戦する役割の者を前衛、エネミーから距離を取って攻撃や他の探索者の支援をおこなう者のことを後衛と呼ぶ。

 各々のスキル構成や資質により、そうした役割は自然に決まる。

 たとえば、〈狙撃〉スキルが売りである軍司自身は、自動的に後衛の役割を担う。


 しかし、あんな軽装で、しかもこの集団の頭が最前線に出て戦うというのは、どんなもんかいの。

 と、軍司は内心で鵜飼瑠美について疑問に思った。

 実際には、しばらく様子を見ているしかないわけだが。

 探索者として活動をしはじめてからまだ日が浅い軍司自身と比較すると、よほどの場数を踏んできている様子であるから、心配をするまでもないのであろうが。


 自称オールラウンダー、すなわち、「前衛も後衛もそつなくこなせる」タイプの探索者であるという田坂邦彦は、鵜飼瑠美とは対象的に保護服の上に分厚いプロテクターをいくつも装備して、着膨れをしていた。

 いかにも物々しい外見である。

 そのプロテクターのおかげで、無様に突き出ていたビール腹がうまい具合に隠れ、恰幅がよく見えないこともない。

「おれはあれ、〈パーフェクト・カウル〉というレアスキル持っているからな」

 田坂は、そういう。

「常時発動型のパッシブ・スキルで、おれ自身の硬さや防御力をそのままパーティ全員に分け与える。

 そんなスキルだ。

 だからどこにいてもいいようなもんだが、リーダー直々に後衛の護衛をおおせつかった」

〈パーフェクト・カウル〉。

 カウルとは、車や航空機の機体やエンジンを覆う外装のことを指す。

 そのスキル名を日本語に直訳をすれば、「完璧な殻」になるのか。

 なぜにそんな重宝するスキルを、このいい加減な男が生やすことになったのか。

 その仔細をうかがい知ることはできなかったが、なんで鵜飼瑠美がこの男をパーティに誘ったのか、軍司はようやく腑に落ちた。

 そしたスキルの持ち主であれば、本人の資質とはまるで関係なく、パーティ内にいてくれるだけで、パーティの参加者全員に恩恵があることになる。


「そんじゃ、まあ。

 一回降りてみましょうか」

 鵜飼瑠美は軽い口調でそう告げて、他の探索者に合図を送った。

「いよいよ、〈泥沼〉へ!」

 十人を超える軽装、重装の探索者たちが、ゲートを潜って迷宮へと進む。



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