ウカイルミ
「そんで、その娘っ子にいい顔をして来たのか?」
順也が確認をしてくる。
「いんや」
軍司はゆっくりと首を振る。
「別に用意をせねばならんことがあるいうて、連絡先だけを交換して、そんときは、それでしまいよ」
小さな居酒屋での問答になる。
軍司は、順也に内密の相談事をするときには、こうした飲食店を利用することが多かった。
順也の家の近くにある、ということは、軍司や静乃が住んでいるマンションからも近所にあるあるこの居酒屋などは、いついっても適度の喧騒に包まれていて、こうした内密の相談事をするのに最適なのである。
「しかし、〈泥沼〉なあ」
順也は腕を組んで天井を仰いだ。
「あれはなあ。
数ある特集階層の中でも、キツい割には得るものが少ないいうて、しばらく誰も挑戦していなかった階層じゃぞ」
迷宮に入る、ときおり、通常の階層とはまるで違う性質を持つ階層が出現することがある。
そのような階層のことを、〈特殊階層〉と呼ぶ。
そうした〈特殊階層〉は、迷宮の他の領域では出現しないエネミーが出てきたり、やはり珍しいアイテムをドロップすることが多いので、公社側はその情報を共有するように、探索者たちに呼びかけていた。
〈印旛沼迷宮〉からのみ入れる、通称〈泥沼の階層〉と呼ばれる階層も、そうした〈特殊階層〉のひとつだった。
「あそこに出てくる鰐だの亀だのは、強いことは強いが、まあ、たかが知れている。
そこそこの累積効果を持つ探索者が慎重に臨めば、まず苦労はせずに倒せる程度のエネミーになる」
順也は、そう続ける。
「問題なんは、足場の悪さと、それに報酬の乏しさということになんな。
亀は盾を、鰐はベルトをかなり高い確率でポップするのだが、誰でもさほど苦労をせずに倒せるエネミーにもなるもんで、一時期は乱獲をされてな。
それなりに使い勝手のいい特殊効果が付与されておるアイテムではあるんだが、今ではどちらも物あまりで、ろくに値がつかん。
そのため、最近ではその〈泥沼〉にまでわざわざ降りるもんも、滅多におらんようになっておるんだわ」
そう説明をする順也は、仕事帰りであったため、スーツ姿であった。
順也は、平日は医薬品メーカーのルートセールスとかいう仕事をしている、という。
決められた区画の病院や薬局を巡回し、商品を渡したり注文を聞いたりする仕事、だそうだ。
軍司なぞは、
「大学まで出ておって、なんでそんなご用聞きのようなことばせねばならん」
などとも思うのだが、今という時代では、それが普通なのだろう。
実際、順也の本職での待遇も、決して悪くはないようだった。
「そいで、そのナガレだとかいう女。
なんでわざわざ〈泥沼〉まで降りるのか、そのわけさ、口にしたっけか?」
「そりゃ、なんもいっておらんな」
軍司はあっけらかんとした口調でそう応じた。
「ただ、訊ねればあっさりと答えてくれそうな様子ではある。
あれはなんというか、腹に一物持ったり隠し事が得意な風にも見えんかった」
そういう胡散臭さでは、声をかけられたときにいっしょにいた、田坂の方が断然まさっている。
「まあ、外見だけでは、なんともいえんからのう」
順也は、難しい表情になってそういった。
「ことに、女は。
ジ様なら、滅多なことはないと思うが、なんにするにせよ、せいぜい慎重にことを見定めて進めっと」
順也も翌日の仕事が控えているし、軍司も最近ではめっきり酒に弱くなっているので、ほろ酔い程度で抑えてそれぞれの帰路につく。
結局、この会合では、〈泥沼〉と呼ばれる階層の詳細と、それに順也からの助言を得ただけに終わった。
マンションに戻ると、静乃はまだ起きていて、机にむかっていた。
というより、ここ最近の静乃は、起きていさえすればたいてい机にかじりついている。
中学最後の冬休みだというのに、遊ぶどころか睡眠時間さえ、ろくに取っていないように思えた。
「まだ、やんのか?」
軍司は、声をかけた。
「ん」
静乃は顔もあげずに応じた。
「今日は、もう少し」
「ほどほどに、無理をせん程度にな」
「ん」
さて。
狭い自室に寝具を敷いてその中にはいり、軍司は、考える。
あの静乃も、問題よの。
今、下手に刺激をするのも危ういが、それにしてもいよいよ張りつめてきておる。
受験が終わるまで、どうにか保ってくれればいいが。
そちらが終わったら、なにかしら、うまい手をば考えておかねばならん。
翌朝、かなり早い時間に目がさめると、静乃は以前と同じような姿勢で机にむかっている。
一度寝てすぐに起きたのか、それとも、完全に徹夜をしているのか。
いずれにせよ、ここ最近の静乃の睡眠時間が極端に短くなっていることだけは、確かなのであった。
軍司は静乃に挨拶をしてから顔を洗う。
それが終わる頃には、静乃は外出の支度を終えている。
冬休みに入ってから、こうして静乃と二人でシロの散歩に出るのが日課となっていた。
ずっとマンションに篭りっきりの今の静乃にとって、それなりの気晴らしにもなっていると思うから、軍司もあえて止めはしていない。
ポリ袋やら水を入れたペットボトルやらを持って、二人して順也の家にいき、庭先にいたシロを外に出す。
軍司たちが来ると、シロは緩慢な動作で顔をあげて、よたよたとした足どりで犬小屋から這い出してきた。
「こっちに来たときと比べても、ずいぶんおとなしくなったよね」
「シロも、もう年だからの」
軍司はいった。
「迷宮の中では、もう少し溌剌としておるんが」
実際、このシロも以前よりは、遠くにまで、散歩にいきたがらなくなっている。
当初、軍司は昼間の迷宮での疲れが残っておるのか、などと思っていたものだが、シロが連日散歩を短時間のうちに終えようとしているところから想像すると、どうにも加齢によって以前ほどの体力がなくなって来ているようだ。
こちらに移ってきてから懇意にしている獣医にも確認をしてみたのだが、
「なにぶん、迷宮に出入りしている動物についてのデータがほとんどないので」
と前置きをしたあと、
「年齢のわりには健康体といっていいし、単純に加齢のせいでしょう」
などとあっさりと断言されてしまった。
ようするに、こいつもこのわしと同じ、老いぼれてきたということだな。
などと、軍司としては思ってしまう。
「服、買おうか?」
「服?」
「シロの。
寒そうだし」
「シロの、か」
軍司は難しい表情になる。
それは、いいことなのだろうか?
獣のために衣服を整える、ということが、軍司にはどうにもピンと来ない。
当のシロは、軍司と静乃を先導するように、よたよたとフラついた足取りで歩いている。
その日、〈印旛沼迷宮〉にいくと、ロビーで目ざとくこちらを見つけた田坂が寄ってきたが、相手をするのを面倒に思ったので軍司は気づかない風を装ってそのままゲートに直行をする。
普段元気がないシロは、この迷宮近くにいるときだけ累積効果の恩恵を受け、若い頃の元気な様子を見せていた。
あるいは、この迷宮にシロを連れて日参していることこそが、シロに対して過剰なストレスを与えているのかも知れなかったが、もしそうであったとしても、それはそれでいい。
そう。
軍司自身に置き換えてみても、なにもせずに衰えていく一方であるよりも、多少心身に負担がかかったとして、一時的に若返る方が、ずっといい。
畜生であるシロも、同じように考えるはずだと、軍司は確信をしている。
近頃では珍しく、田坂のみならず他の探索者たちからも声をかけられる前に迷宮に入ることができたので、久々にシロとだけの探索となった。
さて、どうするかの。
と、軍司は少しだけ思案をする。
軍司さが迷宮に出入りをしはじめてからおおよそ半年近く。
その間、軍司よりも経験豊富な探索者と同行する機会も増えていたので、軍司たちも累積効果的な意味合いでかなり余裕がある身となっている。
どこの階層に、いくべきか。
思案をした末、軍司はシサツジカと呼ばれるエネミーが出没する階層へと進むことにした。
最近の流行なのか、シカ肉の需要が増えてきたところであるし、それに軍司自身もそろそろ水牛以外の肉を調達したかったのだ。
順也たちのグループが毎週末のように狩ってくるので、ハクゲキスイギュウの肉は正直食傷気味になっている。
〈フラグ〉でその階層に移動をすると、シロがすぐに駆け出した。
その勢いをみて、軍司は、
「さっそく獲物をみつけたな」
と判断をする。
機敏に動くシロのうしろ姿をみて微笑ましく思いながら、軍司はゆっくりとした足どりでシロが走り去った方角へとむかう。
いくらもしないうちに、シロは十数頭のシサツジカを背後に引き連れた状態で帰ってきた。
軍司は〈狙撃〉スキルを使用して、シロが連れてきたシサツジカを一頭、また一頭と倒していく。
間に数百メートル単位の距離をおいていたこともあり、冷静に〈狙撃〉をすることができた。
狙いをつけっると、標的までの距離が一気に詰まるような感覚があり、間近に感じた標的にむけて、
「バン」
と呟くだけで、面白いように標的が倒れていく。
まこと、魔法のようなもんじゃの。
もうかなり慣れてはいたが、この迷宮内と迷宮付近のみで使用できるこのスキルという代物は、不思議で、かつ、便利すぎる。
若い連中がこんなものを手に入れると、それこそ図に乗って溺れてしまうかも知れん。
そこまで考えて、軍司はふと孫の静乃の顔を思い浮かべる。
あれは、少々調子に乗るくらいでちょうどいいのかも知れんの。
倒したシサツジカの死体とドロップ・アイテムを〈フクロ〉の中に回収し、軍司はさらに先へと進んだ。
シサツジカは、一定の確率で手斧のアイテムをドロップすることがある。
その手斧はありふれたアイテムなので、仮に売ったとしてもたいした金額にはならないのだが、軍司はなんとなく〈フクロ〉の中に貯めておき、ある程度数が溜まって来たら公社の窓口に提出して捨て値で引き取ってもらうことにしていた。
また、このシカは肉が食用になる以外にも、毛皮はもちろんのこと、立派な角がハンドメイドナイフの柄の原料になるなど、捨てるところがほとんどない。
利用価値が高い割には、迷宮の比較的浅い階層にばかり出没をするので、金目当てで迷宮に入ることが探索者たちからはあまり相手にされず、従って軍司のような好んでこのシカを狩って来る探索者は歓迎される傾向にあった。
需要に供給が追いついていない状態であり、この〈印旛沼迷宮〉だけに限定していえば、ほとんど軍司だけが供給しているような状態になっている。
軍司の〈狙撃〉スキルは、獲物に対して最小限の傷しかつけない状態で仕留めることが可能であったから、肉にせよ毛皮にせよ、なおさら高値で引き取って貰えた。
「やあやあ、どうもうどうも」
その階層でしばらく狩りをおこなってから迷宮の外に出ると、ロビーであの女、鵜飼瑠美に捕まる。
「早川さん、今日はもう終わりですか?」
「メシさ食って、それから、狩って来た獲物を引き取ってくれる業者さ、来る」
軍司は即答した。
「午後はいっぱい、そっちにかかりきりになる予定でな」
「はあ、狩って来た獲物の」
鵜飼瑠美は虚を突かれたような表情になった。
「そういや、早川さんは、そういう探索者だったな」
順也たちや軍司自身のように、仕留めたエネミーの肉体自体を換金しようとする探索者は、実は少数派であった。
解体の手間などを考えると、そうした死体はそのまま放置して、深層でのドロップ・アイテム回収に労力を注ぐ方が、稼ぐためには効率がいい。
一般的には、そう考えられているのだった。
「じゃあさ、その午後の作業っていうの、手伝わせて貰えないっすか?」
唐突に、鵜飼瑠美がそんなことをいいだす。
「本気か?」
即座に渋い顔をして、軍司は訊き返してしまった。
「獲物の引き取り処理いうたら、つまりは解体をするいうこっちゃぞ?
かなり血を見ることになるし、慣れんうちは腰砕けになるもんも多い」
「大丈夫、大丈夫」
鵜飼瑠美は気軽な調子で頷いて見せた。
「これでも探索者としてそれなりのキャリアを持っているから、エネミーの血には慣れているつもりだし」
例によって駐車場のバンの中にシロを置いてから、軍司は迷宮内に入っている粗末な飲食店で食事を摂る。
いつもと違うのは、鵜飼瑠美という同伴者がいっしょについてきたことだ。
「立ち食いの蕎麦屋さんみたいだね」
鵜飼瑠美は券売機を使いながら、物珍しそうに周囲を見渡した。
「こげな店、他の迷宮にはなかか?」
この〈印旛沼迷宮〉以外の迷宮にいったことがない軍司は、そう訊ねてみた。
「いや、あるのかも知れないけど」
鵜飼瑠美はそういって苦笑いを浮かべる。
「普通の探索者は、あまりこの手の店は利用しないのじゃないかな。
なんというか、たいていの探索者は普通に稼いでいるから、普段からもっと高い店を利用していると思うし」
軍司自身がこの店に常駐しているのは、年齢のせいで食が細く、余計な拘りがほとんどなくなっていること、それに、移動の手間が省けるからであった。
探索者をはじめたばかりの頃、周辺の飲食店もひと通り探して見たが、五十歩百歩の微妙な店ばかりだったので、このセルフサービスの店でもいいか、と判断したことも、理由の一端になっている。
軍司自身はいつものかけそば、鵜飼瑠美は天丼とうどんのセットを食券と引き換えに受け取り、空いていたテーブル席につく。
「それだけで足りるんですか?」
鵜飼瑠美が軍司のトレーに無遠慮な視線を注いで訪ねてくる。
「年が年だしの」
軍司は、短く答える。
「そっちこそ、そんなの食って胸焼けせんのか?」
ここの天丼は、出来合いの天ぷらを汁につけて丼の上に乗せただけの代物であった。
かなり油がきつく、軍司自身ならばこの天丼だけでも、完食できるかどうか。
「へーきへーき」
鵜飼瑠美は無邪気な笑みを浮かべた。
「こんくらいのカロリーなら、一回迷宮に入ればそれでチャラっすよ」
若いのう、と、軍司は思う。
「それで、例の件、考えてくれました?」
食事の最中に、鵜飼瑠美が訊ねてきた。
「考えることは考えておるが」
軍司は、言葉を濁す。
「まだ結論は出ておらん。
いくつか、確認しておきたいことさあるんが、よろしかろうか?」
「なんでも訊いてくださいよ」
「なぜ、〈泥沼〉なんぞ?
あの階層、わざわざ降りるほどのメリットなぞないと、そう耳にしたんじゃが」
「ああ、はいはい」
鵜飼瑠美そういって頷く。
「それは、必ず訊かれると思っていました。
確かに、あの階層は旨味がない。
探索者の間では、そういうことになっている」
「本当は、違うんか?」
「いや、実際に降りて確認してみないことには、なんともいえません」
鵜飼瑠美はそういって首を横に振る。
「というのは、あの階層、わりに合わないという噂ばかりが先行して、どうやら完全に踏破した探索者はいないようですから」
「そいつは、妙な」
軍司の眉根を寄せて、神妙な表情になった。
「あの階層は、もう何十年も前に発見されたもんじゃというんに」
「でも、少なくとも公社の記録には、あの階層を完全に制覇をしたという記録がないんですよねえ」
鵜飼瑠美はそういって肩をすくめた。
「あるいは、どこかの探索者がこっそり踏破をして、そこのとを公社に届け出ていなかっただけなのかも知れませんが。
ただ、あの階層はご存知の通り、かなり不快な環境ですから、単純に探索者に避けられて、手つかずのままになっているだけ。
そういう可能性も、充分にあります」
「手つかずのお宝がまだ残っているのではないかと、そう考えておるんか?」
「ごく単純にいってしまえば、そういうことです」
鵜飼瑠美はあっさりと頷いた。
「誰もいったことがない場所が残されていて、それでそこには想像もつかないようなお宝が眠っているのかも知れない。
そういう可能性が残されていれば、実際にいってみたくなるのが探索者っていうもんでしょう」
迷宮に隣接した駐車場に、専用の処理車が入って来て、エネミーの解体作業はその荷台の中でおこなわれる形となる。
他のスキルと同様に、〈フクロ〉のスキルも迷宮近辺でしか使用できず、また、一度〈フクロ〉の中から出してしまったエネミーの死体は、早急に血抜きなどの処理をおこなわないと劣化をして味が落ちるため、こうした専用の解体作業車が必要となるわけだった。
その作業車に荷台を接続する形で、やはり専用に改造をされた冷凍車が隣接して、作業が済んで肉の塊となった物体はすぐにそちらへと移される。
作業車と冷凍車の荷台同士をレールで結び、その上の滑車に鎖を下げ、エネミーの肉をその鎖にぶらさげる形で血抜きや解体作業がおこなわれ、そのまま冷凍車へと移送されていく。
〈フクロ〉から出したエネミーを鎖に固定し、内臓を取り出し、バキュームで隅々まで血を吸い出す。
特に慣れていないうちは戸惑いがちなそうした作業を、鵜飼瑠美は平然とこなしてみせた。
本人が主張していた通りに、血には強い耐性があるようだった。
なんとも、掴みどころがない女よの。
そんな様子を目のあたりにして、軍司はそんなことを思う。
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