シュリョウ
夏休み最後の週末、静乃は順也夫婦といっしょに迷宮に入った。
祖父である軍司やシロも同行している。
順也たちの探索は、軍司のそれとは雰囲気がまるで違っていた。
順也たちはまず迷宮のロビーで同じような週末探索者数十名と待ち合わせを行い、大勢で迷宮の中に入る。
雰囲気としては、迷宮探索というよりは、ピクニックかなにかにでもいくかのような、和やかでリラックスをした雰囲気であった。
大勢で迷宮にはいるということと、それに、この集まりではいつも同じ階層にしか行かないので、みんな、必要以上に緊張はしていない。
彼らの目的は十四階層に出没するハクゲキスイギュウと呼ばれるエネミー、より正確にいうのならば、その肉であった。
軍司によると戦後、食糧難であった一時期、迷宮産のエネミーの肉は加工され、日本中で販売されていたそうだが、静乃はおろか順也の世代であっても、そうしたエネミー肉は一部を除きあまり出回らないようになっている。
本当にうまいものだけが残り、それ以外は社会が豊かになるにつれて自然と姿を消して行ったそうだ。
確かに他にしっかりとした畜産業が成熟をしてくれば、得体のしれないエネミー肉などは徐々に敬遠され、人気がなくなって行ってもおかしくはない。
そんなわけで今では、ペット用の飼料かコスト重視の加工食品の原料くらいにしか、エネミーの肉は使われなくなっていた。
しかし、最近になってその流れに逆行するように、一部の料理店などでエネミーの肉を食材として採用しはじめるような風潮もではじめている。
エネミー肉に悪いイメージがついているのは、粗雑な下処理しかしなかったものが使われていたからであり、エネミーの肉全般がすべてまずいわけではない。
血抜きなどを迅速に行い丁寧に下処理を施せば、種類にもよるがエネミーの肉もかなり美味である、ということが、次第に知れ渡ってきたからだった。
事実、毎週のように順也から渡されているハクゲキスイギュウの肉は、臭みなどはまるで感じたことがなく、かなり美味い。
現在、静乃や軍司が混ざっているこの週末探索者の一団は、そのハクゲキスイギュウを専門に狩り、同時に狩ったあとに迅速に下処理を行って専門の業者に引き渡すことによて、収入を得ている集団ということになる。
この集団においても、シロはやはり人気者であった。
その名が示す通りに全身白い毛皮の雑種犬であるシロは、動物好きの人たちに取り囲まれて順番に毛皮を撫でられている。
順也夫妻と同年輩の、三十代から四十代にかけた年齢の男女が集まった集団だからか、落ち着いた雰囲気の人が多かった。
順也によると、探索者の世界でも自然と自分と同じような年齢の探索者同士でパーティーを組むことが多いようだ。
確かに、極端に年上とか年下の人とパーティを組んだとしても、いろいろとやりにくいだろうな、とは、静乃も思う。
このパーティの中では、十四歳の静乃自身と老人である軍司の二人が、かなり例外的な構成員ということになるらしい。
その大人数パーティは、賑やかに談笑をしながら公社が作ったゲートをくぐり、迷宮の中へと入って行く。
迷宮に入ったとこおろで一度全員が揃っているのを確認してから、瞬時に〈フラグ〉のスキルによって十四階層へと移動した。
とはいっても、第一階層と第一十四階層とでは、見た目はまるで違わないのだが。
白じろとした巨大な洞窟がどこまでも続いているだけなのである。
天井の高さまでは十メートル以上はあり、道幅も、五メートルから十メートル以上。
床や壁面、それに天井は、なんの材質でできているのか、ぼうっと白い燐光を放っている。
そのおかげで証明などを用意しなくても遠くまで見通せるわけなのだが、この迷宮内という空間はどことなく人工的な気配があった。
はっきりと「知性を持った何者かの手による人工物である」と主張する一派もあるのだが、その真偽を確認し、証明できた者は今のところ存在しない。
こうした迷宮内の雰囲気をさして、
「巨人のための回廊」
と呼ぶ探索者も多い。
とにかく、大勢の探索者が、この迷宮に入ると自分がちっぽけな、取るに足らない存在でしかないと実感し、思い知らされるという。
「シロ」
十四階層に着くと、軍司はすぐにシロに声をかけた。
シロはしばらくその場で一度小さく周回したあと、突然ある方向にむかって歩き出す。
「参るよなあ」
同行していた探索者の誰かがぼやくのが聞こえた。
「なまじの探索系スキルよりも、あの犬の方がよほど確実に目当てのエネミーのところまで案内をしてくれるんだから」
迷宮内の空間は広大であり、周囲の風景にあまり変化がないことも手伝って、どこまで進んでも果てに行き着かないような錯覚に囚われがちでもある。
累積効果によって探索者の身体能力が強化されていなかったとしたら、とてもではないがこの中をうろつくつもりにはなれなかっただろう。
この迷宮が自然物であるのか、それともなんらかの知性の手による被造物であるのかわからなかったが、少なくとも人間のサイズの生物の利便性を考慮した上で設計されたものではない、ということだけは確かであった。
そんな広大な迷宮の中を、シロに先導される形で探索者たちが移動をしていく。
外では頼りのない老犬でしかなかったシロは、この迷宮内では元気に、跳ねるような動作で進んで行く。
倒したエネミーの質と量だけ身体能力が強化される累積効果は、人間だけではなくシロのような犬にも効果を発揮するのだ。
迷宮内にいるときだけ、シロは、何年も前の溌剌とした様子を取り戻していた。
飛ぶような勢いで走って行くシロのあとを、大勢の探索者たちが追って行く。
外では普通の中年であった彼らも、シロと同じように、ここでは迷宮の影響下にあり、息も切らさずにかなりの速度で走り続けていた。
実際問題として、この広大な迷宮の中では、それなりに効率的に移動しないと、エネミーに出会う前に時間ばかりが経過してくのであるが。
「ん」
そんな中、軍司がそう呟いて足を止めた。
「そこだ」
そういって、軍司はまっすぐに片手をあげて、
「バン」
と呟く。
「この先にいます!」
静乃は他の散策者たちにそう告げて、オモチャのアサルトライフルを構えた。
モデルガンを構えると、静乃の視界が一気に鮮明になった気がした。
視力がよくなり遠くまで見えるようになった、というのとは違うのだが、少なくとも何百メートルも先にいるはずのハクゲキスイギュウに、自分のスキル攻撃が命中するのか否か、はっきりと判断ができる。
「バン、バン、バン、バン」
「バン、バン、バン、バン」
軍司と静乃は、二人で小さく呟いていた。
静乃は、そう呟きながら実際にモデルガンの引金も引いている。
ハクゲキスイギュウたちは、一キロまでとはいわないが、たっぷり五百メートル以上は先にいた。
探索者の側が高速で接近していることと、それに、軍司と静乃のスキル攻撃を受けたことによって、そのハクゲキスイギュウたちもこちらの方に突進してきていて、見る間に距離を縮めていくが。
人間を見つけ次第、その人間を全力で攻撃しにかかる。
そうした性質を共通して持っていることが、彼ら迷宮内にポップする擬似生命体が「エネミー」と呼ばれる所以にもなっていた。
個体差はあるものの、全高だけでも二メートル近い。
ハクゲキスイギュウは、実際に水牛の一種であるのかどうかはともかく、そうした外観を持つ巨大なエネミーであった。
そうした巨大な生物が群れをなして突進してきていても、探索者の集団は誰も怯まなかった。
距離が詰まるにつれて、探索者側からスキルや武器の投擲などが繰り出され、次々とハクゲキスイギュウが倒れていく。
続いて、より近距離になっていくと、前に出ていた前衛役が直接攻撃により一撃で仕留め、あるいは、楯関連のスキル持ちが仲間の探索者が襲われる前にエネミーの攻撃をそらし、注意を引いている間に、他の探索者が仕留める。
彼ら探索者の集団は、ほぼ専門にこのハクゲキスイギュウのみを標的としてきた専門家でもある。
その連携に乱れはなく、百頭以上はいたハクゲキスイギュウの群れは、数分も要せずに地面に転がっていた。
「どんどん回収しろー!」
「新鮮なうちに〈フクロ〉にしまっておけー!」
声を掛け合いながら、探索者たちはハクゲキスイギュウの巨体を次々と虚空に飲み込んで行く。
ほとんどの探索者が生やしている〈フクロ〉と呼ばれるスキルは、どうやら別空間に物品を出し入れするためのスキルらしいのだが、どうした加減か意識のある生物はその中に収納できないという性質があるらしい。
〈フクロ〉に収納できるのは、生物であれば死体となったものか、それとも眠るか気を失うかして意識不明となっている状態の生物もにであり、それ以外の生物は収納できない。
そのおかげで、公社も緊急時のために即効性のある全身麻酔措置用装置の開発を急いだという過去がある。
一番最初に攻撃を開始した軍司と静乃が倒したハクゲキスイギュウは、一番遠くに転がっていた。
攻撃を開始した当時、軍司と静乃が立っていた位置からは、八百メートルは離れた場所に、点々と頭部に電撃を受けて意識を喪失したハクゲキスイギュウが倒れている。
「ここいらが、一番状態がいいなあ」
それを回収するためにやって来た探索者たちは、口々にそういいあった。
味のいい食肉に加工するためには、素早く血抜きをして内臓を取り出し、そして冷やすのが肝心であった。
できれば、生きて心臓が動いているうちに血抜きをする、くらいの方が、断然、味がよくなる。
若干、脚部を損傷している個体も見受けられたが、他の探索者が仕留めたハクゲキスイギュウは、大部分、それ以上に損傷が激しい。
軍司と静乃が仕留めたハクゲキスイギュウは、きっと高値で引き取られることであろう。
そのあと、〈印旛沼迷宮〉の駐車場で行われたハクゲキスイギュウの解体処理も、静乃は手伝った。
静乃は、これまでに軍司の手伝いで、こうした解体作業には慣れていた。
鳥程度ならば自分だけで捌くこともできたし、イノシシやシカなど、大型の動物をバラすときに手伝ったこともある。
静乃にいわせればそうした解体作業は結局のところ慣れの問題であって、途中で出てくる、どうしても避けられない大量の血さえ慣れてしまえば、そのあとは作業が進むに連れて、どんどん生物の姿から遠ざかって行く。
従って、平気になっていく。
そうした経験で静乃が学んだのは、動物の体も、そして自分自身の体も、結局はモノ、物質で構成されている。
いわば、たんぱく質を主成分とした機械であり、その存在自体に特別な聖性などは存在しないという、身も蓋もない実感であった。
そうした認識が先にあったからこそ、震災によって身内を亡くしたことについても比較的冷静に受け止めることができた、ともいえる。
仮に誰かの生涯になんらかの価値があるとするのならば、その人が存在すること自体に、ではなく、その人がそれまでなにを為したのか、という点にかかってくるのだろう。
生来的な権利だとかいう代物は、人間が自分たちの都合によってあとからつけた虚構の概念でしかない。
言語化すればそのような内容になる認識が、静乃の中には存在していた。
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