ひとちがい #24

 滅多めったに味わえないフランス料理を口にしても、薫と田中の事が気になって仕方無い叶のしたには味が浸透しんとうしなかった。対照的たいしょうてきに玲奈は興奮こうふん気味ぎみで次々と提供ていきょうされる料理を堪能たんのうしている。

「オイ、様子ようす見てるか?」

 たまらず叶がくと、玲奈は口のはし付着ふちゃくしたソースをナプキンでぬぐってから答えた。

「だぁいじょ〜ぶ、全然静かなもんだよ。ただ楽しそうじゃないけど」

 叶は無言むごんうなずくと、少しだけ振り向いてふたりを見た。たしかに、こちらに向いている田中の表情ひょうじょうにはかたさがうかがえる。一方の薫も表情こそ見えないが、その背中からはそこはかとない緊張感きんちょうかんにじんでいた。


 叶と玲奈がメインの肉料理を食べている頃、田中と薫の卓には食後酒しょくごしゅはこばれていた。と言う事は、コースも最終盤さいしゅうばんむかえたらしい。腕時計に目を落とすと、すでに午後八時をぎていた。

「この肉ウマぁ〜い、ふうさんのビーフシチューの次に美味うまい」

 笑顔で料理を賞賛しょうさんする玲奈に、叶は苦笑くしょうしつつ言った。

「良かったな、それより早くしろよ、あちらはどうやらもうすぐ終了だぜ」

「え? そうなの? ヤバいじゃん」

 叶の言葉に、玲奈はあわてて残りの肉を頬張ほおばり始めた。叶は軽くかぶりを振り、ウェイトレスをんで食器を下げてもらいつつ、車で来ている事を理由に食後酒をことわった。


 叶と玲奈がようやくデザートを食べ終えてコーヒーを飲み始めた頃に、玲奈が小声で告げた。

「社長がカード出してる。会計かいけいしてるみたい」

「判った」

 叶は残りのコーヒーをひと息に飲み干し、おのれ財布さいふの中身を心配しながら次の動きを待った。すると、後ろから何かをたたく様なにぶい音が聞こえた。振り返りたい衝動しょうどうこらえて、叶はおどろき気味の玲奈にたずねた。

「何かあったか?」

「社長が急にテーブル叩いた。男に何か言ったみたいだけどよく聞こえなかった」

「ここへ来てめてんのか」

 叶が眉間みけんしわを寄せてつぶやあいだに、薫が足早あしばやに叶の横を通って店を出て行った。叶は薫の後ろ姿に若干じゃっかん違和感いわかんを覚えつつ、あごをしゃくって玲奈に指示した。

一応いちおうフォローしろ。タクシーなり電車なりに乗ったら戻って来い」

「OK」

 った玲奈が薫の後を追うのを見届けてから、叶はウェイトレスに会計をたのんだ。ついでに田中の様子を見ると、上機嫌じょうきげんで食後酒のグラスをかたむけていた。


 やがて、酒を飲み干した田中が椅子いすからこしを上げた。叶の横を通過つうかした時、右手に薫が持っていたはずのボストンバッグをげているのを見て先程さきほどの違和感の正体に気づいた。

 田中と薫は、この場で何らかの取引とりひきをした、だからバッグの持ち主が薫から田中に変わったのだ。昼間の薫の行動から考えて、バッグの中身はまとまったがくの現金だろう。

 田中が店を出てから、叶も席を立って田中の後を追った。

 外へ出た叶が周囲しゅういを見ると、田中が表通おもてどおりではなく人気ひとけの無い路地ろじへ進んで行くのが見えた。叶は小走りで追いかけ、至近距離しきんきょりで声をかけた。

「田中忍さん、だね?」

 呼び止められた田中は、明らかに不機嫌ふきげんそうな顔で振り返った。

「何だお前?」

「オレは、こう言うもんだ」

 叶が名刺めいしを取り出そうとジャケットの内ポケットに手を入れようとした刹那せつな後頭部こうとうぶに玲奈の金切かなきごえさった。

「アニキ後ろ!」

 反応はんのうして振り向いた叶の眼前がんぜんに、鈍く光る物体ぶったいきゅう接近せっきんした。かろうじてかわしたそれは、銀色ぎんいろ刀身とうしんを持つナイフだった。あつかっているのは、おにの様な形相ぎょうそうの薫である。薫は叶をなか無視むしして田中におそいかかった。

「うわぁ!」

 突然の事に驚いた田中が慌てて逃走とうそうはかるが、足をもつれさせて転倒てんとうしてしまう。すかさずナイフを振り下ろそうとする薫の右腕を、叶が後ろから両腕でかかえてふせいだ。

「やめろ!」

はなして!」

 叶の拘束こうそくを振りほどこうともがく薫が、急に身体からだ反転はんてんさせながらナイフを横にいだ。叶は咄嗟とっさに腕を離しながらスウェーイングし、すんでの所でさきけた。薫はナイフをかまなおし、叶をにらみつけて言った。

邪魔じゃましないで!」

 叶は薫を見返しつつ、ジャケットのすそのポケットからスマートフォンを取り出し、後ろに居る筈の玲奈へノールックで投げて指示を与えた。

「石橋さんに電話しろ!」

「え? あ、ウン!」

 叶のスマートフォンを両手でキャッチした玲奈が電話をかけ始めるのを背中で感じつつ、叶はファイティングポーズを取りながらゆっくりと田中の方へ回り込み、薫に向かってげた。

「コイツに死んでもらっちゃ困るんだ、ギャラがもらえなくなっちまうんでね」

「うるさい!」

 わめくと同時に薫が叶の顔面がんめん目がけてナイフを突き出した。スウェーしつつ手首をつかもうとする叶だが、腕の引きがはやくて取れない。薫はナイフを振る軌道きどう微妙びみょう変化へんかさせて叶を幻惑げんわくする。かわすのが精一杯せいいっぱいの叶の足元で、バッグを大事そうにかかえた田中がおびええた顔で見上げていた。

「オイ、げろよ」

 叶がうながすが、田中ははげしくくびを振る。

「こ、腰がけて、立てねぇ」

「ったく、しっかりしろよ」

 叶は悪態あくたいきつつ、つらい薫のナイフ使づかいを見極みきわめようと感覚かんかくませた。薫は息をととのえると、みのフェイントを入れてナイフを突いた。まどわされながらも何とかかわした叶が、わざと微笑びしょうを作って薫に訊いた。

芸能げいのう事務所じむしょの社長ってのは、ナイフも使えるのか?」

 薫は構えも表情もくずさずに返す。

舞台ぶたいに立ってた頃、殺陣たて結構けっこうやってたの。それに少しだけスタントマンのバイトもしてたし」

「その立派りっぱ経歴けいれきを、人殺ひとごろしに使うのかアンタは!?」

だまれ!」

 叶の言葉に激昂げっこうした薫が、左手を突き出して牽制けんせいしながら、叶の心臓しんぞうに向けて渾身こんしん一撃いちげきを打ち込んだ。だが叶は冷静れいせい左脚ひだりあしを引いて刺突しとつけると、左拳ひだりこぶしを薫の顔面へばした。

「ひっ」

 目の前に拳を突き出されて、薫は思わず悲鳴ひめいを上げて目をじた。しかし叶の拳は薫の顔の数ミリ前で止まり、素早すばやく引かれたかと思ったら急激きゅうげきに下がって薫の鳩尾みぞおちまれた。

「うっ」

 目をいてうめごえを上げた薫が、ナイフを取り落としながらその場に崩れ落ちた。叶がナイフをひろげた所へ、玲奈がってスマートフォンを差し出した。

「大丈夫アニキ?」

 叶はスマートフォンを受け取ってポケットにしまうと、玲奈の頭を軽く叩いて答えた。

「ああ。助かったぜ玲奈、ありがとう」


《続く》


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