ひとちがい #22

 時間をかけてハンバーグステーキを平らげ、追加注文したコーヒーもした叶が腕時計を見ると、まだ午後一時にもなっていなかった。

「クソ、長いな」

 小声で悪態あくたいくと、叶はテーブルのすみかれた伝票でんぴょうつかんでレジへ向かった。


 叶はレストランを出ると、コインパーキングからバンデン・プラを出して『カオルプロモーション』の裏手付近に路上ろじょう駐車ちゅうしゃした。駐車禁止のまりを受けるリスクはあるが、監視かんし場所ばしょを求めて徘徊はいかいしていて職務しょくむ質問しつもんされるよりはマシだとんだ。

 シートに背中をあずける内に眠気ねむけおそわれた叶が改めて時間を確認かくにんすると、ようやく午後一時を回ったあたりだった。

 叶は窓越まどごしに周囲しゅういを見渡してからシートを倒し、ひだり前腕ぜんわんを目の上に乗せて仮眠かみんに入った


 ジャケットのすそからつたわる振動しんどうが、叶の安眠あんみんを打ち破った。

「何だよこんな時に」

 しかつらで上半身を起こした叶が時計を見ると、ねむりに入ってから約一時間程しかっていなかった。溜息ためいきじりにポケットからスマートフォンを取り出すと、メッセージアプリからの通知だった。

「誰だ?」

 いぶかりつつアプリを開くと、相手は玲奈だった。

『バイトカットされた〜ヒマ〜どこに行けばいい〜?』

「マジか、これはありがたい」

 叶は笑みを浮かべながら、『カオルプロモーション』に近い駅名えきめいを打ち込み、『助かるよ』とえて返信へんしんした。数秒後、玲奈から返信が来た。

『なくなったバイトの分ギャラよろしく』

「しっかりしてやがる」

 叶はあきがおで『判ったから早く来てくれ』と打ち込んで返信し、ふたたび横になった。


 それから二十分程で、スマートフォンが振動した。今度はすぐ止まらないので電話の着信ちゃくしんだった。微睡まどろんでいた叶があわてて電話に出ると、玲奈のやる気の無さそうな声が耳に飛び込んだ。

『アニキィ〜何処どこにいんのぉ?』

「おぉ玲奈、いたか。今むかえに行くから待ってろ」

 早口はやくちで告げて電話を切り、叶は運転席うんてんせきを出て小走りに駅へ向かった。

 改札口かいさつぐちへ行くと、高校の制服せいふく姿すがたで大きなスポーツバッグを肩からげた玲奈がつまらなそうな顔でスマートフォンに目を落としていた。

「よぉ、悪いな」

 叶がって声をかけると、玲奈はスマートフォンをしまって手を振った。

「そんで、アタシは何すればいいの?」

 玲奈の質問しつもんに、叶は自分のスマートフォンを取り出しながら言った。

み。相手はこの人」

 叶がスマートフォンの画面に薫の写真を表示して見せると、玲奈は怪訝けげんそうな顔で見ながらいた。

「誰このオバサン?」

芸能げいのう事務所じむしょの社長」

 答えた叶がスマートフォンをしまってきびすを返すと、玲奈が笑顔でついて来てさらたずねた。

「芸能事務所? すごぉ〜い、アタシスカウトされちゃうかな?」

「オマエな、顔見られたら意味無いだろ」

 叶が呆れ気味ぎみに返すと、玲奈はくちびるとがらせた。

 バンデン・プラの近くまで戻った叶は、玲奈を手招てまねきして説明せつめいした。

「このビルの五階にさっきの女性が居る。出入口が反対側なんだが、その斜向はすむかいに監視かんしやすいカフェがあるから、そこに入って見張みはっててくれ」

「アニキは何で行かないの?」

 玲奈が素朴そぼく疑問ぎもんを口にした。叶は身をかがめて、声のボリュームを落として答えた。

「オレは昨日入ってたの。それに今あそこには会いたくない連中れんちゅうが居るんでな」

「もしかして、れいの石橋とか言うデカ?」

「いや、マトリ」

「マトリって何?」

「自分で調べろ。じゃ、頼むぞ」

 玲奈の質問をはぐらかして送り出そうとした叶に対して、玲奈が笑顔でみぎてのひらを差し出した。

「何だよ?」

 叶が訊くと、玲奈が笑顔のまま言った。

「カフェに入るんだから、ね?」

 意図いとさっした叶がかぶりを振った。

「バイトしてんなら自分で出しとけよ」

「何でよ〜いいじゃん手伝ってあげるんだからさぁ〜、必要ひつよう経費けいひ!」

「何が必要経費だ、何処で覚えたんだそんな言葉」

 叶はちゅうを|あおいでボヤきながら、財布さいふから千円札を二枚出して目の前の掌に乗せた。

「おつりは返せよ」

 玲奈は紙幣しへいを掴むと「はぁ〜い」と気の無い返事を残し、カフェへ向かって歩き出した。

「しっかりしてやがる」

 叶はおつりが返って来ない事を確信かくしんしながらバンデン・プラの運転席に戻った。


 薫の監視を玲奈に任せている間、叶は駐車禁止の取り締まりをけるためにバンデン・プラを動かし、小一時間程ドライブして元の位置いち停車ていしゃした。スマートフォンをチェックするが、玲奈からの連絡れんらくは無かった。叶は運転席を出て近くの自販機に行き、缶コーヒーを二本調達ちょうたつして戻った。その内の一本を開栓かいせんしてひと口飲んだ所へ、スマートフォンが振動した。見ると、玲奈からのメッセージだった。

『飽きた』

 叶はふかい溜息を吐いてから『もうちょっとねばれよ』と返し、再びコーヒーを口に運んだ。

 それから三十分程が経過けいかしたころ、いつの間にかハンドルにして眠り込んでいた叶をかわいたノック音がたたこした。叶が寝惚ねぼまなこで窓に顔を向けると、不満ふまんそうな顔の玲奈が立っていた。叶は舌打ちきながら左腕を伸ばして助手席じょしゅせきのドアロックを外し、玲奈に手で指示した。車の前を回って助手席におさまった玲奈に、叶がまぶたをこすりながら尋ねた。

「何で戻って来たんだよ?」

「だって〜、アタシひとりで二時間も三時間も居られないじゃ〜ん、何か店員が変な目で見るし、これ以上居たら不審者ふしんしゃに思われちゃうよ」

 玲奈の返答へんとうに、叶は渋い顔でうなずいて告げた。

「オレはもうちょっと寝るから、何かあったら起こせよ」

「はぁ〜い」

 玲奈の気の抜けた返事を聞き流して、叶はシートを倒した。だがそれから五分もしない内に左ももはげしく叩かれて起きる羽目はめおちいった。

「何だよいてぇな」

 文句をつけながら身体からだを起こした叶に、玲奈がフロントガラスの向こうを指差ゆびさして言った。

「あれって社長じゃない?」

「何?」

 叶が前へ身を乗り出して目をらすと、昼間も提げていたボストンバッグを手にした薫が、周囲を警戒けいかいしながら大通りの方へ歩いているのが見えた。叶も車内から周囲を見るが、マトリらしき人影は見当たらない。薫がタクシーをひろったのを確認してから、叶はシートベルトを着けてエンジンを掛けた。

「でかした玲奈」

「まぁね〜」

 得意とくいげな顔でシートベルトを着ける玲奈を横目に見ながら、叶はバンデン・プラを出してタクシーを追跡ついせきした。


《続く》

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