ひとちがい #20

 翌朝、日課のロードワークを行うために起き出した叶は、スマートフォンにメールの着信ちゃくしんがある事に気づいた。見ると、差出人は優美子だった。

「何だ? まさか田中から接触せっしょくがあったか?」

 眉間みけんしわを寄せつつメールを開くと、たしてそこには狩野リョウこと田中から連絡があったと記載きさいされていた。どうやら、以前に提案ていあんしていた海外旅行の話をかえしているらしい。本文の最後に、『どうお返事したら良いか、判断がつきません。』と書かれていたので、優美子も対応にこまっている様だ。

 殺人事件を目撃してから姿をくらましていた田中が、急に優美子に連絡を取った。しかも海外旅行の提案である。叶の頭に、ひとつの単語が浮かんだ。

 高飛たかとび。

 もしも田中が逃亡とうぼう目的もくてきで優美子に連絡を取ったのならば、近い内に何らかの行動を起こすはず、そしてそれが叶の仮説かせつどおり薫への脅迫きょうはく行為こういだとすれば、田中は必ず薫に接触する。

 叶は表情をめると、ジャージの上下に着替きがえて事務所を出た。


 ロードワークを終えて事務所に戻った叶は、給湯室きゅうとうしつに入って冷蔵庫からペットボトルの水を出してその場でひと口飲み、もうひと口ふくんでペットボトルを戻すとうがいをして流しへ吐き出し、こぶしで口をぬぐった。給湯室を出て時計を見上げると、午前七時半を過ぎていた。まだ『喫茶 カメリア』の開店時間ではない。

「仕方無いか」

 つぶやいた叶はプライベートスペースでスーツに着替え、身支度みじたくととのえて再び事務所を出た。階段を降り切ると、店の出入口前でほうきを使う桃子に遭遇そうぐうした。

「あ、ともちんおはよ〜」

「ああ、おはよう桃ちゃん」

 挨拶あいさつを交わして立ち去ろうとする叶の背中に、桃子の声がかかった。

「あら、もうお出かけ?」

 叶は足を止め、肩越しに振り向いて返した。

「あ、ああ、ちょっとね」

「大変ね〜、朝ごはんどぉするの?」

 小首をかしげて質問する桃子に、叶は微笑びしょうして答えた。

「コンビニで買って車で食べるよ」

 すると、桃子が箒を壁に立てかけてった。

「そんな〜、駄目だよともちん、うちで食べて行きなさいよ」

 桃子の提案に、叶は目を丸くした。

「え? いや、でもまだ開店前でしょ、悪いよ」

「大丈夫よ、今ちょうど主人が仕込みしてるから、少しくらい分けてあげられるわよ。ね、食べてって!」

 言うが早いか、桃子が叶の腕をつかんで『喫茶 カメリア』へと引っ張った。叶は困惑こんわくがお連行れんこうされ、いつものカウンター席に着席ちゃくせきさせられた。桃子は笑顔で叶に会釈えしゃくすると、カウンターの奥へ入ってキッチンで仕込み中の大悟に大声で告げた。

「あなた! ともちんこれからお仕事なんだって! 何か朝ごはん作ってあげて!」

「えぇ〜?」

 いつもなら桃子の指示を快諾かいだくする大悟も、今回ばかりは困った調子で返事した。だがキッチンに乗り込んだ桃子に言いくるめられて、調理ちょうりを始めたらしい。叶は苦笑くしょうしつつ、スマートフォンを取り出して優美子への返信を打ち始めた。田中が計画する旅行の日程を教えてもらうのと、急に田中が連絡を取って来た理由を本人に確認して欲しいむねを書いてメールを送った。そこへ、桃子が水の入ったグラスを持って来た。

「はいどぉぞ〜」

「ありがとう」

 礼をべてグラスを受け取った叶は、キッチンからただよにおいを楽しみながら水を飲んだ。


 十分程って、キッチンから出て来た桃子が運んで来たのは、メニューに無いホットサンドだった。

「お待たせ〜。どぉぞがれ〜」

「ありがとう、いただきます」

 受け取った叶は、身体を伸び上がらせて奥の大悟にも声をかけた。

「サンキュー、マスター!」

「どういたしまして」

 大悟の返事を聞きながら、叶はホットサンドを口へ運んだ。


 朝食を終えた叶はバンデン・プラに乗り込み、『カオルプロモーション』付近へ向かった。恐らくマトリは薫の自宅からマークし続けている筈だ。となれば、薫がマトリを引き連れて出社する前に監視かんし場所ばしょ確保かくほする必要があった。ただし、マトリがみに使う可能性があるので昨日入ったカフェは使えない。

 昨日よりもはなれた場所にコインパーキングを見つけてバンデン・プラを入れた叶は、マトリの張り込みを警戒しながら『カオルプロモーション』が入るビルの方へ歩き出した。だがビルには近づかず、遠巻とおまきに見ながら監視に適した場所を物色ぶっしょくして回った。その結果、ビルから距離きょりはあるものの出入口を正面から見られる位置にったファーストフード店に入り、先にジャケットを利用して席を押さえてから、カウンターへ行ってホットコーヒーとプライドポテトを注文した。

 何故か三分近く待たされてようやくコーヒーとポテトを受け取った叶は、確保した席へ向かいながらフロア内を見回した。出勤しゅっきんまえらしき会社員や、ノートパソコンを使っている女性等が見受けられる一方、張り込み中のマトリらしき姿は確認できなかった。叶は席に置いたジャケットを取って羽織はおり、椅子いす腰掛こしかけてコーヒーを口に運び、ひとりごちた。

「さて、第二ラウンド開始だ」


 ポテトを完食し、二杯目のホットコーヒーを購入こうにゅうして席に戻った叶の視線の先で、薫がビルへと入って行った。その十数秒後、地味じみなスーツ姿の男性ふたり組が、薫を見送ってからきびすを返し、叶が昨日利用したカフェへと足を向けた。その内のひとりに、叶は見覚えがあった。

「アイツ、昨日の」

 それは叶の尾行びこうに失敗した麻薬まやくGメンだった。


《続く》

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