ひとちがい #19

 バンデン・プラを月極駐車場つきぎめちゅうしゃじょうめた叶は、事務所には戻らずに『喫茶 カメリア』に入った。夕食の時間にはおそい為、客はまばらだった。

「あ、いらっしゃ〜いともちん、めずらしいわねこんな時間に?」

 やや困惑こんわくした様な顔で出迎でむかえた桃子に、叶は微笑びしょうしつつ答えた。

「ちょっと色々あってつかれちゃって、コンビニにも寄れなくてさ」

「そぉなの〜、で、まだ見つかんないの? 結婚詐欺師けっこんさぎし

「ああ」

 桃子とやり取りしながらカウンター席に陣取った叶は、桃子が差し出す水の入ったグラスを受け取るなり半分近くを胃に流し込んだ。

 今日は午前中から石橋と松木に遭遇そうぐう、その後に田中の自宅アパートの持ち主に会い、『ホストクラブ BURAI』へ行ってから『カオルプロモーション』をおとずれて門前払もんぜんばらいを食らい、何とか龍崎薫に会えたと思ったらマトリの尾行びこうを受け、心身共に疲弊ひへいした一日だった。

 思わずカウンターにひじを突いてひたいに手を当て、深い溜息ためいきいた叶は、心配そうにのぞむ桃子の視線しせんに気づいて咄嗟とっさに笑顔を作った。

「あ、ごめん桃ちゃん」

「大丈夫ともちん?」

「ああ、大丈夫。それより、エビピラフもらえるかな? それとコーヒーも」

 叶が注文すると、桃子は姿勢しせいただして「かしこまりました!」と笑顔で応じるなり奥のキッチンへ声を飛ばした。

「あなた! お仕事でお疲れのともちんにとびっきり美味おいしいエビピラフ、お願いね!」

「はぁい」

 大悟の返事がとどかない内に、桃子はカウンターの向こうへ引っ込んだ。その背中を見送ってから、叶は『カオルプロモーション』近辺での自身の動きを振り返った。

 カフェのテラス席で薫が姿を現すのを待っていて、タクシーから出て来た薫に話を聞く為にカフェを飛び出した。その時、叶が居た席のとなりにマトリのふたりが居て、薫に会った直後にひとりに後をつけられた。と言う事は、マトリは薫との関係を探る目的で尾行した。つまり、マトリがマークしているのは薫、と言う結論けつろんたっする。先に打ち消したはず仮説かせつが、より色濃いろこ浮上ふじょうした。

 叶は残りの水をすと、スマートフォンを取り出して薫のプロフィールを開いた。

 略歴りゃくれきによれば、薫はアメリカから帰国して以降、何らかの形で芸能界げいのうかいかかわり続けている。その薫が、マトリに目を付けられている。

 芸能界と言えば、昔からスキャンダルの宝庫ほうこだ。書店やコンビニエンスストアにならぶ週刊誌に掲載けいさいされる記事の半数近くを芸能関係の話題わだいめている事くらい、叶でも知っている。芸能界で起こる主なスキャンダルの内容は、タレント同士の熱愛ねつあい不倫ふりん未成年者みせいねんしゃ飲酒いんしゅおよ喫煙きつえん、そして――

「クスリ、か」

 つぶやいた叶がプロフィールをじようとした時、横から手が伸びてスマートフォンをうばった。

「え?」

 きょを突かれた叶が手の行き先を追って顔を上げると、そこにはほかの客が注文したカレーライスが乗ったトレーを右手一本で保持ほじしながら左手で取った叶のスマートフォンを見つめる桃子が居た。

「あれ〜? これKAORUちゃんじゃなぁ〜い?」

「え? 桃ちゃん知ってるの?」

 思わず腰を浮かせた叶に、桃子は画面に視線を固定こていしたまま答えた。

「うん、KAORUちゃんは、私がお世話になってた振付師さんのアシスタントだったの。へぇ〜、今社長なんだ〜」

 叶が更に質問しつもんしようと口を開きかけた時、後方から客の声が飛んで来た。

「ねぇ、カレーまだ?」

「あ、ただいま〜!」

 催促さいそくあわてた桃子が、スマートフォンをほうってカレーを運んで行ってしまった。かろうじてスマートフォンをキャッチして安堵あんどしつつスツールに座り直した叶の元へ、桃子が小走りに戻って来た。

「ごめんねともちん」

「いや、所で桃ちゃん、さっきの女性と知り合ったのって、アイドルやってた頃だよね?」

 叶が質問すると、桃子は小首こくびを傾げて答えた。

「うん、そうだけど」

「それって、何年くらい前?」

 叶が質問を重ねると、桃子は頬に人差し指を当てて少し考えたが、ふと何かに気づいて急に叶の肩を思い切り平手打ちして言った。

「もう! そんな野暮やぼな事かないの! 桃ちゃんは永遠えいえんの十七ちゃい!」

いてっ、す、すみません」

 肩を押さえつつあやまる叶を軽くにらみつけると、桃子はトレーを抱えて奥へ引っ込んでしまった。入れ替わりに、キッチンから大悟が出て来て叶にエビピラフをった皿とスプーンを差し出した。

「お待たせしました、後でコーヒーお持ちしますね」

「サンキュー」

 叶は礼をべて皿とスプーンを受け取り、ピラフをすくい取りながら再び考え始めた。

 薫は、田中忍を知っている。田中の『BURAI』での源氏名げんじなである「タケル」の名前を出した時の反応から、それは明らかだ。ただしそこには、田中に対する強い拒絶きょぜつ同居どうきょしていた。その理由は何か?

『BURAI』で何かトラブルがあった事も有り得るが、ホストクラブの中で起こった問題だけで、あそこまで態度たいどけんもるだろうか?

 一方で薫は、マトリから何かしらの嫌疑けんぎをかけられている。捜査官そうさかんむくらいだから、マトリは嫌疑にある程度ていど確信かくしんを持っている筈だ。そんな状況じょうきょうの薫にとって、田中はうとましい存在になっている。そして田中は交際こうさいしていた優美子との連絡れんらくって、行方ゆくえをくらましている。と言う事は――

脅迫きょうはくか?」

 叶の脳内のうないで、新たな仮説が構築こうちくされつつあった。

 田中は何かのキッカケで薫の弱みをにぎり、それをネタに薫を脅迫しているのではないか? そうでなければ、詐欺かどうかはともかくとして優美子と旅行りょこう計画けいかくまで立てていた田中が突然姿を消す理由が思い当たらない。迂闊うかつ表立おもてだった行動を起こして警察に通報つうほうされたら田中はおしまいだ。

 だがいつまでも潜伏せんぷくしているわけにも行かないだろう。本当に脅迫しているなら、田中は必ず薫に接触せっしょくはかる筈だ。となれば、マトリとかち合う危険をおかしてでも、薫をマークする必要がある。

 すっかりめたエビピラフをみながら、叶は覚悟かくごを決めた。


《続く》

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