ひとちがい #18

 バンデン・プラをめた所まで戻ろうと歩き出した叶は、ふとだれかに見られている様な気分になって足を止めた。

「石橋さん? いや、まさかな」

 頭を動かさずにつぶやくと、叶はふたたを進めた。だがバンデン・プラの横をわざと通り過ぎてなおも前進し、途中とちゅうに立つ自販機の前で止まって缶コーヒーを購入こうにゅうしながら、横目で自分の来た方向を観察かんさつした。

 た。灰色はいいろのスーツをた三十代後半から四十代とおぼしき男性が、歩道のきわに立ち止まって右手に持ったスマートフォンを見つつ、時折ときおり叶の方へ視線を上げている。周辺は歩行者ばかりで、横断歩道等おうだんほどうなど箇所かしょなので明らかに不自然だ。

 叶は取出口から缶コーヒーを出してその場でステイオンタブを起こすと、男性を一瞥いちべつしてから歩き出した。目だけで道の反対側を見て、ビルの正面玄関の自動ドアの反射を利用して後方をうかがうと、やはり男性が後をついて来ている。尾行びこうされている事を確信した叶は、かどにカーブミラーが立っていない横道を選んで曲がってすぐに立ち止まり、かべに背中を寄せて缶コーヒーを飲みながら待った。数秒後、男性が曲がり角に姿を現した。

「何か用か?」

 叶が声をかけると、男性は目を見開いて叶を見返したが、すぐに平静へいせいつくろって叶に目礼もくれいし、そのまま直進した。複数ふくすうでの尾行の可能性をかんがみて、しばらくその場にとどまって周辺に注意をはらっていた叶だが、ほかの尾行者が居ない事を確認して缶コーヒーを飲み干すと、近くの空き容器入れに放り込んでから男性の後を追った。

 男性は土地勘とちかんとぼしいのか、路地ろじまよった様に周囲をせわしなく見ながら進んで『カオルプロモーション』が入る雑居ビルの方へ戻り、つい先程まで叶が龍崎薫を待っていたカフェに入った。叶は店内から見られない様に注意しつつ、男性の動向どうこう監視かんしした。すると、男性はテラス席に姿を現し、何と叶が陣取じんどっていたテーブルのとなりすわ濃紺のうこんのスーツを着た男性のそばへ寄って行き、何やら耳打ちした。

「よりによって隣か」

 ひとりごちた叶は、ふたりが店を出るのを確認して一旦いったん身を隠し、濃紺スーツが灰色スーツに何か指示を出してから分かれた所で動き出した。

 濃紺スーツが通りに出て右手を高々たかだかげた。叶は物陰ものかげに身を寄せて、ハザードランプを点灯させて停車したタクシーのナンバーを記憶した。濃紺スーツが乗り込み、タクシーが発進してから叶は通りに走り出て、パーキングメーターに駐車料金を払ってバンデン・プラに乗り、タクシーの後を追いかけた。


 濃紺スーツを乗せたタクシーは、官庁街かんちょうがいに差し掛かった。あいだに車を二台はさんで後を追うバンデン・プラの叶は、周囲に立ち並ぶ無味乾燥むみかんそうなビルぐんを見ながら言った。

「やっぱりサツか」

 ところが叶の予想に反して、タクシーは官庁街を通り過ぎ、更には警視庁けいしちょうの前を素通すどおりした。

「あら?」

 思わず間抜まぬけな声をらす叶の視線の先で、タクシーは皇居こうきょ内堀うちぼり沿って進み、反対側へ出てとあるビルの地下駐車場に消えた。叶はビルの前の道路にバンデン・プラを停めてハザードランプをけ、助手席側に大きく身体からだかたむけて正面の看板かんばんを見た。一番上に『九段第三合同庁舎くだんだいさんごうどうちょうしゃ』としるされていて、その下に建物に入っている官庁等の名前が列挙れっきょされている。その中のひとつが、叶の目をいた。

関東信越厚生局かんとうしんえつこうせいきょく 麻薬取締部まやくとりしまりぶ

「マトリ?」

 叶の眉間みけんに、深いしわきざまれた。

『関東信越厚生局 麻薬取締部』は、厚生労働省こうせいろうどうしょう下部組織かぶそしきで関東近県での薬物事犯やくぶつじはんを専門に取りあつか部署ぶしょである。その性質せいしつから、時に警察等との協力体制をいたりもするが、おもな目的を薬物を扱う組織等の撲滅ぼくめつに置いているため末端まったん売人ばいにんを発見しても警察の様にすぐに検挙けんきょはせず、そこから組織の全容ぜんようあばいて一網打尽いちもうだじんにする所謂いわゆるおよがせ捜査』をおこなう事が多い。この姿勢しせいがしばしば警察側との衝突しょうとつんでいる。叶が口走くちばしった『マトリ』とは、この部署の略称りゃくしょうである。

 叶はむずかしい顔のまま、バンデン・プラを動かしてその場をはなれた。

『カオルプロモーション』が入るビルから出て来た叶を、マトリが尾行した。と言う事は、あのビルを利用している誰かが何らかの薬物犯罪に手をめている可能性が高い。だが、一体誰が? もしや、龍崎薫が?

「まさかな」

 苦笑くしょうして、叶はおのれ仮説かせつを打ち消した。いくら叶が『カオルプロモーション』の入るビルから出て来た後に尾行されたからと言って、それがただちに龍崎薫が薬物事犯にかかわっている事にはならない。第一、あのビルには『カオルプロモーション』以外にもいくつか会社や店舗が入っていて人の出入りは他にもあるはずなので、短絡的たんらくてきむすびつけるわけには行かない。

 それでもみょうな不安を払拭ふっしょくできないまま、叶は帰路きろいた。


《続く》



 

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