ひとちがい #14

「殺人?」

 叶が横目で石橋を見てき返した。石橋は無言でうなずいてから、真っ直ぐ前を見て口を開いた。

「八日前、出版社の社員の死体が発見された。現場にあらそった形跡があったので他殺たさつと断定し、捜査を始めた。その過程かていで、鑑識かんしきがある物を見つけた」

勿体もったいつけんなよ」

 叶が苛立いらだちを隠さずに先をうながすが、石橋が話す前に松木が飲料水いんりょうすいのペットボトルを三本抱えて戻って来てしまった。

「ありがとう」

 石橋が顔を上げて礼を言うと、松木は頭を下げつつブラックコーヒーを渡し、次に叶を見下ろして「お前はこれだ、ありがたく頂戴ちょうだいしろ」と告げるなり、叶に向けてペットボトルを一本放った。明らかに顔をねらった投擲とうてきだったが、叶はなんなく左手で受け取った。だがラベルを見て表情をゆがめる。松木が投げてよこしたのは乳酸菌にゅうさんきん飲料だった。

「オマエ、いくら何でもセンス無さ過ぎだろ」

 叶がペットボトルを見ながら文句をつけると、松木は残ったストレートティーのキャップをひねりながら返した。

「あ? 選ぶ権利けんりぇっつったろ。いやならよこせ」

 ペットボトルをうばおうと伸びて来た松木の右手をかわすと、叶は石橋に首をじ向けて言った。

「で、ある物ってのは何だ?」

 石橋はコーヒーのキャップを開けつつ答えた。

「田中忍の運転免許証うんてんめんきょしょう。近くに小銭こぜにやレシートも落ちてたから、恐らく財布さいふを落としてあわててひろったんだろうね」

「待てよ、現場の近くで見つけたんだったら、田中忍は何で目撃者候補もくげきしゃこうほになるんだ? 参考人さんこうにんか、さもなきゃ容疑者ようぎしゃじゃないのか?」

 叶が疑問ぎもんをぶつけると、石橋のわりに松木が勝ちほこった様な顔で答えた。

「容疑者は別に居るんだよ」

「オマエに訊いてねぇよ」

「何だと!?」

 叶にあしらわれて怒りをあらわにする松木を手で制して、石橋が言った。

「実は、死亡推定時刻しぼうすいていじこくに近い時間に、現場付近から立ち去る人影が防犯カメラにうつっていたんだ。我々われわれはこの人物を容疑者と考えて追ってる」

「なるほど」

 頷いた叶が立ち上がると、石橋がさらに言った。

「なぁ叶君、もしも田中忍を見つけたら警視庁に来る様に言ってくれないか?」

 叶は虚空こくうあおいで溜息ためいきくと、肩越しに振り返って石橋に告げた。

「アンタの捜査に首を突っ込むつもりは無い。だからアンタ等もオレの仕事の邪魔じゃまをするな」

「何だその口の聞き方はぁ!?」

 胸倉むなぐらつかみに来た松木の左手を半身はんみになってかわすと、叶は持っていた乳酸菌飲料のペットボトルを松木の顔に押しつけて言った。

「オマエはこれでも飲んでろ。ホンの少しだがカルシウムも入ってるぜ」

 松木が反射的はんしゃてきに左手でペットボトルを掴もうとしたすきに、叶はきびすを返して立ち去った。その背中に、松木の怒声どせいがぶつかる。

「今度は公務執行妨害こうむしっこうぼうがいでパクるからな!」


「クソ、あの単細胞たんさいぼうだけならいくらでも情報取れたのに」 

 悪態あくたいを吐きながらコインパーキングに戻った叶は、バンデン・プラの運転席にもぐり込んで考えた。

 現場付近から立ち去る人物を容疑者扱いする一方で、免許証を落とした田中忍を目撃者候補にしぼり込んでいるのは何故なぜだ? 身分を証明する物を落としても気づかない程狼狽ろうばいしているのなら、むしろ容疑者に特定とくていするのが自然なはずだ。それに、防犯カメラに映っていたのが田中忍でないと何故言い切れる?

 そこまで考えをめぐらせて、叶の脳内のうないにひとつの仮説かせつが浮かんだ。

 映っていた人物は、女性か?

 性能や時間帯などにもよるが、防犯カメラの映像でこまかい人物像を特定するのは簡単ではないが、服装ふくそうや大まかな身体からだつき等は判別はんべつできる。つまりは、どんなにあらい映像であっても当該とうがいの人物が明らかに女性だと見分けられたからこそ、田中忍は容疑者から外されたのだ。更に言うなら、免許証が見つかった場所が犯行現場から離れていた可能性もある。

 取りえず、叶は田中忍が殺人事件の目撃者であると言う、警察の仮説をれた。その上で、新たな疑問が生じた。

 何故田中忍は、目撃した事件を警察に通報つうほうしなかったのか?

 田中忍がアミリの言う通り結婚詐欺師けっこんさぎしなら、不用意に警察と関わるのはけたいのかも知れないが、まだ詐欺師だと確認した訳ではないし、それ以前に百十番通報した際に身元みもとを明かさなければ良いだけな気もする。公衆電話こうしゅうでんわを使って通報すれば、いくら警察でもそう簡単に通報者を特定できない筈だ。

 となると、残る仮説はひとつ。

 田中忍が、容疑者を知っている。

 殺人の現場を目撃したら、誰でも動揺どうようする。叶自身も平常心へいじょうしんでいられるとは思っていない。現に田中忍は、免許証を落とした事に気づかずにその場を離れている。

 もしも、そこまで動揺した理由が殺人の目撃以外にもあるとしたら?

 いずれにせよ、石橋達が捜査している殺人事件について知る必要がある。

「とにかく、一旦いったん戻るか」

 ひとりごちた叶は、バンデン・プラをコインパーキングから出した。


《続く》


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