ひとちがい #10

 叶が『HAGANE』を出て階段を上り切ると、建物の外には開場待ちとおぼしき若い男女が何人もたむろしていた。仲間同士で会話したり、うつむいてスマートフォンに目を落としたりと思い思いの時間つぶしをしている彼等を横目に、叶はバンデン・プラを停めた大型デパートへ戻り、上階のレストランコーナーに足を運んだ。まだ夕食には早かったが、さすがにライヴ終了まで路上に立っている訳にも行かないので、小腹満こばらみたしと時間潰しを兼ねてドリンクバーが設置されているレストランを選んで入った。昼過ぎにも関わらず、店内にはそこそこの人数の来客が見て取れた。

 出迎えたウェイトレスの案内で奥の二人掛けの席に通された叶は、壁を背にして着席するとメニューを開きつつスマートフォンを取り出して、改めてライヴの開始時間をチェックした。『HAGANE』のホームページによれば、午後五時三十分開始らしい。ライヴ自体は長く見積もっても一時間半くらいで終わると予想し、撤収てっしゅうの時間も考えて八時過ぎくらいに戻れば問題は無いだろうと踏んだ叶は、スマートフォンをしまってかたわらの呼び出しボタンを押した。程なく現れたウェイトレスにクラブハウスサンドとドリンクバーを注文し、背もたれに身体を預けて大きく息を吐いた。


 クラブハウスサンドを完食し、コーヒーを四杯飲んだ叶が腕時計を見ると、やっと五時を過ぎた所だった。夕方になり、店内の人口密度みつどは更に上がって来た。これ以上の滞在をあきらめ、叶は伝票を掴んで席を立った。会計の為にレジへ立つと、ウェイトレスがすかさず叶が居た席の片付けと清掃を行い、店先で待っていた二人連れの客を通していた。


 叶は地下駐車場からバンデン・プラを出し、時間潰しついでにコインパーキングを探して最寄り駅周辺を走り回った。幸い、七、八分走った所で空いているパーキングを見つけたのでバンデン・プラを入れた。エンジンを止めた叶は、運転席を出ずに腕組みをして考え込んだ。

『Pairingtact』で狩野リョウの名をかたった男は、何故優美子との海外旅行の直前に行方不明になったのか? アミリの言う通り結婚詐欺さぎなら、旅行を通じて仲を深めて優美子をその気にさせて、更に口実をもうけて金を引き出し、潮時が訪れたら音信不通になるはずだ。だが実際に優美子が男に支払った金額は五十万円プラス飛行機のチケット代だけ。詐欺師がだまし取る金額にしては少ない気がする。

 もしかすると、優美子よりも高額の金を引き出せそうな女性を見つけて乗り換えたか? あるいは、何らかの身の危険を感じて姿をくらまさなければならなかったか?

 頭の中で推測すいそくを重ねながら運転席を出た叶は、再び『HAGANE』へ足を向けた。既に開場されていた為、来場客が階段で列を作っていた。叶は最後尾に並び、受付で当日券を購入、同時にワンドリンク代を支払ってチケット代わりのピックを一枚受け取り、ロビーに入った。

 出入り口のすぐ脇に長方形のテーブルが置かれ、今日の主役であるRANKOのCDやグッズが販売され、こちらでも列が形成されていた。叶はトイレに入って用を足し、カウンターにピックを差し出してアイスコーヒーと交換すると、既に多くの客が入っているホールに足を踏み入れた。照明を落としたステージ上では、スタッフが楽器のチェックを行っていた。叶は目立たない様にホールの後方に立ち、アイスコーヒーをすすりながら開演を待った。


 開演十分前になり、舞台裏からマイクを通じて注意事項等を知らせる所謂いわゆる『影アナ』が聞こえて来る中、叶は飲み干したアイスコーヒーのコップをカウンターに返し、再びホール後方にたたずんで開始を待った。すると、ステージ下手からビリーを先頭にバックバンドのメンバーが登壇し、それぞれの楽器の最終チェックを始めた。狩野も自分のエレキギターを取り上げて音を確認した。やがて開演時間になり、ビリーがスティックを叩く音をキッカケに演奏が始まり、同時に観客達のボルテージも上がって行った。そして、下手から勢い良くRANKOが飛び出すと場内の興奮は最高潮に達した。

『盛り上がって行くよ!』

 RANKOの煽りに観客達も喚声でこたえて、ライヴがスタートした。叶は大音量に顔をしかめながら、エネルギッシュに歌うRANKOの後ろでギターをかき鳴らし、時折コーラスにも参加する狩野の姿をながめた。


《続く》

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