ひとちがい #9

 カレーライスを完食し、付け合わせのコーヒーを堪能たんのうした叶は、奥のキッチンに向けて礼を述べながらカウンターに勘定かんじょうを置き、スマートフォンをつかんで『喫茶 カメリア』を出て月極つきぎめ駐車場へ向かった。その道すがら、叶は先程見つけた『狩野リョウ』と言う名のギタリストについて考えた。

 優美子と交際していた狩野リョウは左利きで右手の指先が硬い、だがSNS等の狩野リョウは右利き、ふたりが別人なのは明らかだが、いくら同姓同名でも名前の表記まで全く同じなのはさすがに奇妙だ。

 ふたりの狩野リョウの間には何らかの関係があるのではないかと踏んだ叶は、駐車場に停めたバンデン・プラに乗り込むと改めて『狩野リョウ』の検索をかけ、活動スケジュールを調べた。すると、右利きの狩野リョウは現在『RANKO』と言う女性ミュージシャンのバックバンドに参加しているらしく、今夜は七時半から隣県りんけんのライヴハウスでライヴを行う様だった。叶が腕時計に目を落とすと、午後二時近かった。

「上手く行けば本番前に着くか」

 独りごちると、叶はバンデン・プラを駐車場から出した。


 一時間近く走って、ライヴハウスの最寄り駅まで辿たどり着いた叶は、慣れない地域でのコインパーキング探しを早々にあきらめ、駅前の大型デパートの地下駐車場にバンデン・プラを入れた。駐車券を取って地上へ出ると、地図アプリに目当てのライヴハウスの名前を打ち込んで位置を表示させた。少し入り組んだ所にあったが、駅からはそれ程離れていなかった。叶は途中で見つけた自動販売機で缶コーヒーを購入し、飲みながらスマートフォンを片手にライヴハウスへ歩を進めた。

 何度か道を間違えつつ、叶はようやく目指すライヴハウス『HAGANE』が入るビルに到着した。時間は三時二十分過ぎだった。さすがに開場待ちの客はまだ見当たらない。叶はコーヒーを飲み干すと、近くに設置されていた空き容器入れに放り込んでから地下へ伸びる階段を下った。次第に、様々な楽器が雑多ざったかなでられる音が叶の耳を圧した。

 半開きの扉を押し開けて叶がロビーに身体をじ込むと、髪を赤く染めた若い男性スタッフが怪訝けげんそうな顔で寄って来た。

「すいません、まだ開場時間じゃないんスけど」

 叶は微笑を作って軽く頭を下げ、身分証を示して来意を告げた。

「ちょっと狩野リョウさんに会いたいんだけど」

 スタッフは表情を変えずにうなずくと、メインホールへ続く扉を押し開けて叶を促した。途端とたんに、楽器の音が大きくなる。

「あそこっス」

 スタッフが指し示した先で、他のバンドメンバーに混じってかわの上下に身を包んだ狩野がしきりにエレキギターの調律ちょうりつとアンプの調整ちょうせいを行っていた。叶はスタッフに礼を述べてホールに入り、ステージ前に立てられたさくを回り込んでステージに上がった。

「狩野、リョウさん?」

 叶が声をかけると、狩野は手を止めてけわしい顔で叶を見た。

「そうだけど、あんた誰?」

 叶は先程と同様に身分証を見せて名乗った。

「実は、オレも叶って言うんだ。漢字は違うけど」

 狩野は身分証を見て二、三度頷いてから更にいた。

「探偵さんが何の用? もうすぐリハ始めっから短めにしてくれる?」

 素っ気無い態度に眉根を上げつつ、叶は質問した。

「アンタ、『Pairingtact』って婚活アプリやってる?」

「婚活? いや」

 狩野はにべもなく答えた。叶にとっては想定内の返答だったので、すぐに次の質問をり出す。

「そう、じゃあ、アンタの知り合いか友人に、左利きでギターか何かやってる人居る?」

 その刹那せつな、狩野の目がやや開いたのを叶は見逃さなかった。

「知ってるね? 実は――」

「知らない!」

 叶の質問を大声でさえぎった狩野は、他のメンバーが驚いて注目するのも構わずにギターを下ろすと、叶を横目でにらみつけながら早足でそでへ引っ込んでしまった。

「オイ、待てよ」

 追いかけようとした叶の前に、タンクトップにカーゴパンツという出で立ちでエレキベースを肩からげた大柄な男が立ち塞がった。

「何だよお前、これからリハなんだよ邪魔すんな」

「アンタに関係無い、どいてくれ」

 叶が言い返すと、激昂げっこうした男がベースを下ろして叶に掴みかかった。

「何だとてめぇ」

 だが叶は迫って来る男の両手をたくみなウィービングでかわすと左へサイドステップし、男の右肘を掌で軽く押した。たたらを踏んだ男が尚も叶に襲いかかろうとした時、それまで黙ってドラムセットの後ろに座っていた、Tシャツを着て革のパンツをいたスキンヘッドの男が素早く立ち上がって叶と男の間に割って入った。

「やめろ」

「ビリーさん」

 男が一瞬ひるんだすきに、もうひとりのギタリストとキーボーディストが男を羽交はがめにした。ビリーと呼ばれたドラマーは、押さえられた男を一瞥いちべつしてから叶に向き直って言った。

「探偵さん、だっけ? 何調べてるか知らんけど、ここは一旦引いてくれないか? リョウには後で必ず話をさせるから」

「それは構わんが、アンタは心当たりあるのかい?」

 叶が訊き返すと、ビリーは難しい顔で答えた。

「知ってるっちゃ知ってるが、俺達があんまりいい加減な事しゃべっちまうのも良くないから、リョウから直接聞いてくれ、頼むよ」

 ビリーに頭を下げられ、叶は引き下がるしか無かった。

「判った。外で待ってる」

 叶も頭を下げ、ステージを下りた。


《続く》


 

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