ひとちがい #8

 翌朝、叶は頭を襲うにぶい痛みと共に目を覚ました。普段ほとんど飲まない酒を、決して少なくは無い量を飲んだ所為で宿ふつか酔いになっていた。

 アミリ達と別れた後にタクシーを拾って事務所に戻り、着の身着のままでベッドに倒れ込んだ為、ジャケットもスラックスもしわが着いている。自業自得じごうじとくとは思いながらも、叶は舌打ちしつつ服を着替えてプライベートスペースを出て、給湯室きゅうとうしつに入ってたなの中からシェーバーを出してひげり、ついでに冷蔵庫から水のペットボトルを取り出してその場でラッパ飲みした。頭を上げた拍子に後頭部を鈍痛どんつうが襲い、顔をしかめながら水をしまって給湯室を出た。

 壁の時計を見上げると、既に午前十一時を過ぎていた。叶は欠伸あくびしながらプライベートスペースに戻り、脱いだジャケットのポケットから財布とスマートフォンを抜き、スマートフォンの画面を確認した。いくつかの通知に混じって、見慣れない発信元からのメールが届いていた。よく見ると題名に『彼の事』と記載されている。叶が重い頭を振りながらメールを開くと、差出人は優美子だった。

『夜分にすみません。

 彼の事でお伝えしなければならない事を思い出しました。

 彼、左利きでした。その左手を他人に触られるのが好きじゃないらしくて、いつも手をつなぐ時は右手を出してました。その時、何となく指先が硬い気がしたんですけど、キッカケが無くて聞けませんでした。

 参考になれば。


 優美子より』

「左利きで、右手の指先が硬い、か」

 読み終えてひとりごちた叶は、スマートフォンのアドレス帳に優美子のメールアドレスを登録すると靴を履き直し、デスクの抽斗ひきだしから鍵束を取って事務所を出た。いつもの調子で階段を駆け下りたら再び頭痛に見舞われ、ひたいに手を当てながら『喫茶 カメリア』に入った。

「おはよぉ〜、って今日は遅いのねぇともちん!」

 出迎えた椿桃子つばきももこのハイトーンボイスが宿酔いの脳を直撃し、叶は眉間に皺を寄せて後退あとずさりしつつ笑顔を作って答えた。

「あ、ああ、ちょっと昨日帰るのが遅くなって」

「そぉなんだ〜、何か顔色悪いわよともちん、大丈夫?」

 首をかしげて顔をのぞき込む桃子を制して奥のカウンターに向かうと、ついて来た桃子が尋ねた。

「それで、ご注文は? サンドイッチ盛り合わせでいいの?」

「いや、カレーライス」

 叶が訂正すると、桃子は目を丸くして更に訊いた。

「あら、お仕事の依頼来たの?」

「ああ、何かわざわい転じて福となす、と言うか、棚からぼたもち、と言うか」

「へぇ〜、依頼人は女性?」

 桃子が急に切り込んで来たので、思わず叶は目を泳がせた。

「え? あ、えっと」

 叶のリアクションを見た桃子が意地悪そうに目を細めた。

「ははぁ〜、図星だなこりゃ」

「ハ、ハハ、いや〜その、ねぇ」

 ごまかそうとする叶を無視して、桃子がキッチンに向けて大声で告げた。

「あなた! カレーライスひとつ! ともちん女性から依頼が来たんですって!」

 またも頭痛にさいなまれる叶を尻目に、桃子はカウンターの中に入ってグラスに水をみ、叶の前に置くとキッチンへ引っ込んでしまった。叶は苦笑いしながら水を飲み、スマートフォンを取り出して検索けんさくエンジンを開いた。優美子と付き合っていた男が名乗った『狩野リョウ』と言う名前は偽名だろうと見当をつけていたが、その偽名を婚活アプリ以外でも使っている可能性も否定できないので、一応検索をかけてみる事にした。

『狩野リョウ』と打ち込んで検索をかけると、思わぬ結果が出た。

 そのものズバリ、『狩野リョウ』と言うアカウント名のSNSが複数のプラットフォームに存在したのだ。意外な展開に困惑しつつ、叶はまず短文投稿アプリのアカウントを開いた。プロフィールらんには『ギタリスト』と書かれている。酒の抜け切らない頭に、先程読んだ優美子のメールの文面が甦った。

『指先が硬い気がした』

 ギターをく時には、利き手ではない手の指を使ってげんを押さえてコードを作るが、弦を強く押さえ続けていると指先が硬くなったり、マメやタコができたりする。優美子の証言を考え合わせれば、この『狩野リョウ』が優美子の探し求める相手の可能性が濃厚のうこうだ。

 仕事が早く終わりそうな予感に口角を吊り上げた叶の前に、カレーライスが差し出された。

「お待たせしました叶さん、どうぞ。何か嬉しそうですね」

 椿大悟つばきだいご柔和にゅうわな笑顔と共に言った。叶はスマートフォンから目を上げて、微笑びしょうり付かせた顔で答えた。

「あ、サンキュー。そう見える?」

「ええ」

 うなずいた大悟がキッチンに戻るのを見送ると、叶は『狩野リョウ』の別のSNSを閲覧えつらんした。今度は画像投稿アプリのアカウントを選んだ。こちらのプロフィールにも『ギタリスト』の記載があったが、アップされている画像を何枚か見た後に叶の顔から笑みが消えた。

 この『狩野リョウ』は、右利きだった。

 演奏中とおぼしき画像がいくつか見受けられたが、いずれも左手でコードを作り、右手にピックを握っていた。

 いくら何でも、対面で食事等を共にしていた優美子が相手の利き手を間違えるはずは無い。従って、行方不明の『狩野リョウ』はこのギタリストとは別人だと判明した。

 落胆らくたんした叶は、スマートフォンをかたわらに置いて食事を始めた。


《続く》

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