ひとちがい #4

「ええ、居るけど、どうして?」

 莉杏に戸惑いをにじませた笑顔で訊き返された叶は、最後の「どうして?」が何故アミリを知っているのかと言うニュアンスだと勝手に解釈して答えた。

「あ、ああ、ここを紹介してくれた人から聞いたんだ、良い娘だったってね」

「そう」

 如何にも当たりさわりの無い返答に、莉杏は関心を無くしたのか叶から顔をそむけた。そこへ、叶を先導した男性とは別の男性店員が歩み寄り、ひざまずいて莉杏に告げた。

「莉杏さん、御指名です」

「あ、は〜い」

 声のトーンを上げて返事した莉杏が、立ち上がりざま叶を見下ろして言った。

「じゃ、失礼しま〜す、あ、代わりにアミリちゃんを呼んでおきますね」

「ありがとう」

 叶がグラスを持ち上げつつ礼を述べると、莉杏は笑顔で軽く会釈して指名客の待つボックス席へ向かった。残った春奈に水割りのお代わりを作ってもらっていると、叶達のボックス席にひとりの小柄こがらな女性が近寄った。

「はじめまして、アミリです」

 挨拶の声に反応して顔を上げた叶は、現れたアミリの顔を見て小さく溜息を吐いた。

 漆黒の長髪をハーフアップにして、深紅しんくのルージュで唇を染めたその顔立ちは、確かに麻美に近い気はした。だが、実の兄である叶は瞬時に見分ける事ができた。

 この娘は、麻美じゃない。

 落胆らくたんと同時に、武藤へのいきどおりがき上がった。

 完全な人違いだ。アイツ、曖昧な記憶で適当な事言いやがって。

 急に押し黙った叶に、春奈が心配顔で尋ねた。

「お客さん、どうかしましたか?」

「あ、いや、何でもない」

 叶は慌てて誤魔化すと、お代わりの水割りをひと口飲んでからアミリを席に促した。

「失礼します」

 上品な物腰で、アミリが先程まで莉杏が座っていた位置に腰を下ろす。光沢のある濃紺のうこんのドレスが、照明を反射してきらびやかに輝いた。

「改めて、御指名ありがとうございます」

「え? あ、ああ」

 アミリの口から『御指名』と言う言葉が飛び出した事に戸惑いながら、叶は店員に新たなグラスを要求した。指名料はいくらなのかと思いをめぐらせている内に、店員がグラスを持って来て叶に差し出した。礼を述べて受け取ると、叶は慣れない手つきで水割りを作り、アミリに手渡した。直後に春奈の音頭おんどで二度目の乾杯をすると、アミリがグラスの半分程を空けてから叶に問いかけた。

「お客さんは、どうして私を?」

「ああ、ここを紹介してくれた人から聞いてね」

 つい先程と同じ答を返してから、叶は己のボキャブラリーの少なさとアドリブの下手さを呪ったが、

アミリは叶の通り一遍な返答を気にする風でもなく、涼しい顔で水割りを喉に流し込んでいた。


 小一時間程が経過した頃、酒が回ったのを自覚した叶はアミリと春奈に勘定かんじょうを頼み、トイレへ向かった。途中で別のホステスとすれ違った時は笑顔だったが、トイレの個室に入って鍵を掛けた途端に真顔になり、ジャケットの内ポケットから財布を抜き出して中身を確認した。何せ初めての高級クラブなので相場の見当が全くと言って良い程つかない。

 入念に紙幣を数えて財布を戻すと、叶は大きく息を吐いた。

「今更ジタバタしても仕方無い。足りなかったら土下座でも何でもしてツケてもらうさ」

 覚悟を決めた叶は、改めて用を足してトイレを出た。

 叶がボックス席に戻ると、最初に会った男性店員が跪いて叶に伝票を挟んだバインダーを差し出して告げた。

「叶様、こちらがお会計でございます。それと」

 店員は一旦言葉を切ると、バインダーから黒いプラスティック製のカードを取って示した。

「こちら、当店の会員証でございます。今後はこちらを提示して頂ければ入店できます」

 真面目な顔を作ってカードとバインダーを受け取った叶は、周囲に気取られない様に生唾を飲み込んでから、ゆっくりとバインダーを開けて伝票を見た。幸い、現在の叶の所持金でギリギリまかなえる金額だったが、よく見るとキッチリ『指名料』を取られていた。莉杏にしてやられた格好かっこうだ。

 溜息混じりに財布から紙幣を取り出し、バインダーに挟んで店員に手渡した。

「釣りは要らない、取っといてくれ」

 精一杯の強がりを披露した叶に、店員は慇懃いんぎんに頭を下げてきびすを返した。その横で、アミリの叶を見る目つきにけんが宿った事に、叶は気づかなかった。

 戻って来た店員から領収書を受け取ると、叶は席を立ってアミリと春奈に向かって声をかけた。

「今日はありがとう」

「いいえ〜、また是非ぜひいらしてくださいね〜」

 愛想あいそ良く答える春奈に対して、アミリは難しい顔で会釈するのみだった。そのリアクションをいぶかしみつつ、叶は『CLUB LIBERA』を後にした。


 エレベーターを降りて外の風に当たった瞬間、叶の胸に言い知れぬ虚無感きょむかん去来きょらいした。

 結局、無駄足に終わった。

 今までに何度か麻美らしき女性の目撃情報を耳にしては、その度に落胆して来たが、今回は妙にこたえた。武藤のあやふやな記憶にすがった挙げ句に、人違いだった相手に大枚をはたく羽目におちいった自分が、情けなかった。

 腕時計を見ると、午前零時近かった。

「もうこんな時間か、電車あるか?」

 ひとりごちつつ、肩を落として歩き始めた叶の背中に、女性の声が浴びせられた。

「貴方、カノウって名前なの?」

 呼び止められた叶が振り返ると、ドレスの上に灰色のピーコートを羽織ったアミリが居た。その表情は、真剣そのものだった。

「そうだけど?」

 怪訝けげんそうな顔で叶が答えると、アミリが急に間合いを詰めて来て叶の右手首を思い切り掴んだ。

「捕まえた!」

「は?」

 叶が困惑する間に、アミリは叶の右肘を押さえてコントロールし、腕を背中側にねじり上げて制した。

いてて、何すんだよ急に!?」

 突如として関節をめられた叶が、爪先立ちになりながら抗議こうぎするが、アミリは無視してピーコートからスマートフォンを取り出し、何処かへ連絡し始めた。


《続く》

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