ひとちがい #3

 数秒の間が空いて、扉の内側から重い金属音が聞こえた。解錠かいじょうされた扉が、叶の方へゆっくりと開き、十センチ程で止まった。内側からチェーンロックも掛けられているらしい。

 叶が恐る恐る隙間すきまのぞき込むと、ダークスーツを身に着け、髪をオールバックにでつけたりの深い顔の男性と目が合った。

 口を開きかけた叶をさえぎる様に、中の男性がするどい口調で言った。

「当店は会員制です。会員証及び紹介しょうかいの無い方は御入店頂けません」

 想定通りの文句を聞いた叶は、若干躊躇ちゅうちょしながらも男性を真っ直ぐ見て告げた。

「滔星か、いや、総業の、武藤さんの紹介で来ました、叶と言います」

 ほぼけだった。できれば武藤の名前に頼りたくは無かったが、この局面きょくめんを打開する手立てを、叶は他に思いつかなかった。

 扉の内側で、わずかに息を吸い込む音が聞こえたかと思うと、男性が軽く頭を下げて返した。

「少々お待ちください」

 直後に扉が閉められ、中からチェーンを外す音がした。改めて扉が開くと、今度はほぼ全開になった。かたわらに男性が立ち、叶をうながした。

「どうぞ」

「ありがとう」

 微笑びしょうと共に礼をべて中に入った叶だが、内心は安堵感あんどかんで一杯だった。これで、最大の関門はクリアできた訳だ。不本意ながら、武藤に感謝しなけれはならないと叶は思った。

 男性の先導せんどう薄暗うすぐら廊下ろうかを抜けた先は、クリーム色の壁がやや落ち着いた光量の照明に照らされた明るめの空間が広がっていた。店の中央をつらぬく通路の左右に三セットずつ、計六セットのボックス席が並び、奥にバーカウンターが設置されている。ボックス席は半分程が埋まっていて、それぞれ数人の男性客を同数またはそれ以上の人数のホステスが接待せったいしていた。叶が通路を進むと、席で飲んでいた何人かの客が、一瞬だけ叶に鋭い視線を向け、またらした。やはり、堅気かたぎではない客が混ざっている様だ。

 店の最も奥、バーカウンターに近い席に通された叶は、壁を背にして革張かわばりのソファに腰を下ろし、何気ないふうよそおって店内を観察した。

 天井てんじょう四隅よすみには目立たない様に監視カメラが設置されていた。バーカウンターの中では、髪を短く刈り込んだ男性のバーテンがグラスをみがきながら時折店内に視線を飛ばしていた。半袖はんそでワイシャツと漆黒しっこくのベストに包まれた上半身の筋肉の付き具合を見て、叶は何らかの格闘技の経験があるはずだと見当をつけた。

 カウンターの左側に濃い茶色の扉がはまっていて、中央に『VSOP』と記されたプレートが貼られていた。その反対、カウンターの右側にはトイレと事務室があるらしい。その事務室から、叶を先導した男性と共に四十代後半とおぼしき女性が現れ、真っ直ぐ叶の居るボックス席に歩み寄った。店内のホステスが全員、きらびやかなドレスに身を包んでいるのに対し、こちらは紫を基調とした鮮やかなグラデーションの着物をまとっている。髪は丁寧ていねいに結い上げられ、おくれ毛のひとつも無かった。

 女性は先導の男性に何やら言付けると、叶の左前に腰掛けてうやうやしく会釈した。

「はじめまして叶様、ようこそいらっしゃいました。私、店主の伽那かなと申します」

 伽那が着物の袖から名刺を取り出して叶に差し出した。叶は名刺を受け取りつつ、自分も名刺を出すべきか迷ったが、出すのはめた。私立探偵なんて肩書かたがき披露ひろうした所為で痛くもない腹を探られてはたまらない。

「申し訳ない、今名刺切らしてて」

 通り一遍いっぺん台詞せりふ誤魔化ごまかす叶の前に、戻って来た男性がおしぼりを差し出した。反射的に受け取った叶に、伽那が尋ねた。

「お飲み物は、如何いかが致しましょうか?」

「あ、じゃあ、水割り」

 普段ふだん酒をほとんど飲まないので、注文慣れしていない叶が声を上擦うわずらせながら告げると、伽那は微笑混じりにうなずいて男性に目配めくばせした。

「かしこまりました。今、女の子を呼びますのでお待ちください、では失礼致します」

 伽那がよどみない所作しょさで立ち上がってボックス席から出ると、入れ替わりにふたりのホステスが入って来た。ひとりは黒い長髪を頭の高い位置でまとめ、ワインレッドのドレスを着ている。もうひとりは茶髪を巻き下ろしにして、薄いピンクのドレス姿だった。

「こんばんは〜」

「はじめまして〜」

 叶をはさむ様に着席したふたりが、同時に名刺を提示した。叶は両手を駆使くしして受け取り、それぞれに目を通した。ワインレッドが『莉杏りあん』で、ピンクが『春奈はるな』という源氏名げんじなだった。早くアミリに会いたい衝動しょうどうおさえ、叶はふたりに微笑を返した。

「お客さん、何なさってるんですか〜?」

 叶の左側から莉杏が質問した。口調こそ若干のれ馴れしさはあるものの、妙なしなは作らない所に高級クラブらしい品を感じざるを得なかった。

「仕事? あ、ああ、まぁ、自営業、かな」

 またも適当に誤魔化す叶の前に、ウイスキーのボトルと氷を満載まんさいした容器、ミックスナッツを盛った皿が運ばれた。次いでグラスが三つテーブルに並べられると、春奈が素早くグラスに氷を入れ、水割りを作って叶に差し出した。

「お待たせしました、どうぞ〜」

 叶は笑顔で受け取ると、ふたりにも飲む様に促した。

「じゃ、お言葉に甘えて」

 頷いた莉杏が先に自分の水割りを作り、春奈も続く。

「では、カンパ〜イ」

 莉杏のかけ声で、三人はグラスを合わせた。叶は水割りを口に運び、何年かぶりに飲む酒を味わった。

 それからしばらくはとりとめの無い話をして過ごし、一杯目を飲み干した辺りで叶が切り出した。

「この店に、アミリってが居るって聞いたんだけど?」


《続く》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る