ブラッド・ライン #25

 叶が扉をそっと開けると、瑠璃香は狼狽して俯きながら小声で挨拶した。

「あ、こんばんは」

「入んなよ、玲奈に呼ばれたんだろ?」

「え、ええ、それに、皆口さんにお話があって」

 叶の問いに対して、瑠璃香の歯切れは悪かった。不審に思った叶が更に訊く。

「だったら、こんな所に居ないで入ればいいだろ? 遠慮するなって」

 しかし、瑠璃香は出入口から動こうとせずに返す。

「私の祝福なんて、皆口さんは喜ばないわ、きっと」

「そんな事無いさ。第一、君が拉致されたと知った時、いのりちゃんは自分が行くって言い出しだんだぜ? まぁ半分自棄やけになってたけどな」

 叶の暴露ばくろに、瑠璃香は目を見開いた。

「本当に?」

「ああ、アンタの事が本当に嫌いだったら言わないだろ、そんな事。さぁ、玲奈も待ってるから、入ってくれ」

 叶が促すと、瑠璃香はやっと店内へ足を踏み入れた。目ざとく見つけた玲奈が、笑顔で駆け寄った。

「あ〜弁護士さん! やっと来たぁ、もぉ遅いよ!」

「ごめんなさい、ちょっと仕事が立て込んでて」

 咄嗟に言い訳をしながら、玲奈に引っ張られて奥へ進む瑠璃香の向こうで、いのりの表情が少し強張こわばったのを叶は見逃さなかった。だが玲奈はいのりの変化に気づくはずも無く、瑠璃香をいのりの前へ連れて行った。叶はカウンターへ戻り、心配そうに行方ゆくえを見守る。そこへ風間が寄って来て、小声で尋ねた。

「どちらさん?」

「一昨日拉致された依頼人です」

 叶の返答を聞いて二、三度頷いた風間が、素早くシャンパンを用意して瑠璃香に差し出した。

「ウェルカム」

「あ、どうも」

 恐縮してグラスを受け取った瑠璃香は、笑顔を作っていのりに告げた。

「皆口さん、お誕生日おめでとう」

「あ、ありがとうございます、わざわざお越し頂いて」

 硬い表情のまま返すいのりに、瑠璃香はジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出して、いのりに差し出して言った。

「これ、良かったら使って。万年筆」

 反射的に受け取ったいのりに、玲奈がり寄った。

「あ〜、いのりさんいいな〜沢山プレゼント貰えて〜」

「主役なんだから当たり前だろ」

 叶が突っ込むと、いのりと玲奈以外の参加者達が一斉に笑った。瑠璃香は軽く会釈してその場を離れようとしたが、いのりが呼び止めた。

「あの、朝見先生」

「何?」

 瑠璃香が振り返ると、いのりは数秒目を泳がせて逡巡しゅんじゅんしたが、自分を励ます様に一度頷いてから言った。

「この間は、キツい態度取ってしまって、ごめんなさい」

 深々と頭を下げて謝罪するいのりに、瑠璃香は慌てて答えた。

「そんな、貴方は悪くないわ。さ、頭を上げて。こうして無事に誕生日を迎えられて、私もホッとしてるのよ。良かったわね、皆口さん」

「はい。ありがとうございます」

 ようやく、いのりに笑顔が戻った。瑠璃香も微笑で答えて、叶の横のスツールに腰を下ろした。

「プレゼント、用意してくれてたのか」

 叶が訊くと、瑠璃香は静かに頷いた。

「ええ。でも、渡したい物はもうひとつあるの。それはパーティーが終わってからにします」

 瑠璃香の思わせぶりな言い回しに不審を覚えつつも、叶は何も言わずにいのりに目を移した。そこへ、玲奈の声が飛んで来た。

「アニキ! アレ!」

「ああ。判ってる」

 叶が反応すると、瑠璃香が問いかけた。

「アレって?」

 叶は立ち上がりざまに瑠璃香を見て、微笑して答えた。

「勿論、プレゼントさ」

 一旦外へ出た叶は、バンデン・プラのトランクからギフトラッピングされた細長い化粧箱を取り出し、店内に戻った。いのり達の注目を浴びながら、叶は箱を玲奈に手渡した。

「オマエから渡せよ」

「ウン」

 受け取った玲奈が、いのりに正対して箱を差し出した。

「いのりさん、これ、ウチ等から」

「ありがとう。何かな、開けてもいい?」

 顔に喜色を浮かべたいのりが訊くと、玲奈は叶を見てから頷いた。叶も笑顔で見守る。丁寧にラッピングを外して化粧箱を開けたいのりの目が、大きく見開かれた。

「え、これ」

 箱の中身は、銀色に輝く真新しいフルートだった。周囲の友人達も、覗き込んで目を丸くしていた。叶の側に寄った玲奈が自慢げに言った。

「いのりさんのフルート、傷が着いちゃったってアニキに聞いたから、学校の友達やジムの人達にカンパして貰って買ったの。ね、アニキ」

「ああ。取り立て屋みたいだったよな、オマエ」

「何それ〜! そぉ言う事言わないでよ〜イジワル!」

 ふたりのやり取りに、店内が再び笑いに包まれる。そんな中、いのりはこみ上げる涙を指で拭ってひと息吐くと、叶と玲奈に礼を述べた。

「玲奈ちゃん、探偵さん、本当に、ありがとう」

 照れ笑いする玲奈が、いのりに提案した。

「ねぇいのりさん、何か一曲吹いて!」

「えっ?」

 驚くいのりを、友人達の拍手が後押しした。いのりは周囲を見回してから、フルートを取り出して言った。

「じゃあ、子供の頃にお母さんがよく吹いてくれた曲を、吹きます」

 店内の全員からの万雷の拍手を受けて、いのりがフルートを構えた。数秒の静寂せいじゃくを破って、透き通る様な音色が流れ始めた。その途端、瑠璃香が息を飲んだ。

「どうした?」

 叶が耳元で訊くと、瑠璃香が声をひそめて答えた。

「この曲、段田氏の携帯電話の着信音になっているんです」

「えっ?」

 驚いた叶の目が、滑らかにフルートを吹くいのりに注がれた。演奏している曲は、『星に願いを』だった。


《続く》


 

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