ブラッド・ライン #20

 食事を終えた叶は、楽しげに会話する玲奈といのりをそのままに席を立ち、カウンターの端に取り付いて風間に声をかけた。

「風さん、ちょっといいスか?」

「何だ? 結局仕事か?」

 周囲を見回しながら近づく風間に、叶は肩をすくめて言った。

「いや、そこまでじゃないんですけど、参考までにひとつ」

「回りくどいな、何だ?」

 かす風間に、叶は小声で尋ねた。

「あの、『江藤総業』って知りませんか? 多分こっち系だと思うんスけど」

 叶が人差し指を自分の頬に立てて、あごへ滑らせた。その仕草を見た風間は、数秒考えてから口を開いた。

「江藤か、もしかしたら江藤組かもな」

「江藤組?」

「ああ、江藤組はかつて関東と北陸でかなりの勢力を誇った東山会とうざんかいって組織の傘下さんかに居て、主に南関東を取り仕切ってた。だが東海から勢力を伸ばした金城組との抗争の矢面やおもてに立って組は大打撃を受けた。親の東山会も金城組に散々やられて解散、それからとんと名前を聞かなくなったが、どうやら細々と生き延びてた様だな」

 風間の話を聞いて、叶はかつて『椛島不動産』が行っていた地上げの実行部隊が『江藤組』だったのだろうと推測した。二、三度頷いてから、叶は一万円札を素早く取り出して風間に渡した。

「ありがとうございます」

「おう」

 風間は受け取った紙幣をエプロンのポケットにしまい、奥へ引っ込んだ。

 席に戻った叶が付け合わせのコーヒーを飲み干して、ふたりに声をかけようとした所で、スマートフォンが振動した。取り出して画面を見ると、瑠璃香からの着信だった。

「叶です。何か?」

 電話に出た叶が訊くと、男の声が返って来た。

『あんたが叶って探偵か?』

「誰だオマエ?」

 瞬時に、叶の表情が引き締まった。異変に気づいた玲奈といのりも、いぶかしげに叶を見る。

『朝見って女弁護士を預かってる。返して欲しかったらマサ・ダンダの娘と交換だ』

「何だと? どう言うつもりだ!?」

 叶の口調が強くなったので、風間も不審を覚えてキッチンから首を伸ばして様子を窺っている。

『そんなもん、あんた等は良く判ってるだろ。一時間後、今から送る地図の場所に娘を連れて来い。警察に知らせたら女弁護士は殺す』

「オイ、ちょっと待て――」

 叶に抗弁の隙を与えず、一方的に電話が切られた。叶が舌打ち混じりに電話を切ると、相手が言った通りに地図の写真が送り付けられた。開くと、叶には土地勘のとぼしい場所だった。

「どうしたのアニキ?」

 眉間に皺を寄せて訊く玲奈に、叶は苦虫を噛み潰した様な顔で答えた。

「オレにいのりちゃんのガードを依頼した弁護士が、拉致らちされた。一時間後に、いのりちゃんと交換だと言って来た」

「えっ!?」

 驚く玲奈の隣で、いのりが息を飲んだ。ただならぬ雰囲気を察した風間が、キッチンを出て叶の傍らに駆け寄った。

「どうした、叶?」

「風さん、依頼人が、拉致されました」

「何だと? 警察には――」

 風間の意見を手で制して、叶は続けた。

「知らせたらすぐに殺すって、向こうは言ってます」

「そんな」

 いのりが、やっと声を絞り出した。叶はいのりを真っ直ぐ見つめて言った。

「心配しなくていい。彼女はオレが何とかして助け出すから、君は家に帰って休みな」

「え、でも」

 言い返しかけたいのりを遮り、風間が叶に問いかけた。

「どうやって助けるつもりだ? 今のままじゃ相手がどんな準備をしてるかも判らんのだろ?」

「だからって、いのりちゃんを差し出す訳には行きませんよ!」

 反駁する叶が、風間と暫し視線を戦わせた。その緊張状態を、いのりが破った。

「いいんです。私、行きます」

「いのりちゃん?」

「いのりさん?」

 叶と玲奈が、同時にいのりを見た。いのりは硬い表情で叶に告げた。

「元を正せば、私が居るからいけないんですよね? 私がマサ・ダンダの隠し子だからいけないんですよね? 私さえ居なくなれば、弁護士さんも助かるし、マサ・ダンダの弟って人も満足するんですよね? 大体私、急にこんな事になって迷惑なんです。もう、終わりにしたいんです。どうせもう、音大にも行けないし、母のフルートにも傷が付いちゃったし、生きてても良い事なんて無いから、だから私、行きます」

「いのりちゃん――」

「バカ!」

 説得しようとした叶の言葉に割り込んだ玲奈が、いのりの頬に平手打ちした。突然の事に叶や風間は勿論もちろん、叩かれたいのりも瞠目どうもくした。

「玲奈、ちゃん?」

 玲奈は涙を一杯溜めた目でいのりを見つめ、震える声でまくし立てた。

「いのりさんのバカ! 何でそんな事言うの? 生きてて良い事無い? そんなさびしい事言わないでよ!」

 店内に居た全員が、玲奈の迫力に圧倒されて言葉を失った。こらえ切れずに頬を伝い落ちる涙を拭おうともせずに、玲奈はいのりの肩に両手を置いて続けた。

「確かに、いのりさんにとってお父さんは迷惑なのかも知れないよ、でも、お父さんはひとりしか居ないの! どんな状態でも、お父さんが生きてるなら大事にしてよ! ウチのパパは、前に悪い事してたってアニキから聞かされて、ちょっと恨んだ事もあったけど、ウチは今でもパパの事大好きだよ。だって、たったひとりのパパだもん!」

 反応できずに居るいのりに、叶が補足した。

「実は、玲奈の父親は殺されたんだ、しかも玲奈の目の前でね」

「そんな」

 いのりは悲しげな顔で玲奈を見返した。玲奈は鼻を啜ると、咳払いしてから言った。

「それに、いのりさんが居なくなったら、ウチが悲しいよ。ウチ、いのりさんがお姉ちゃんみたいに思えて、これからも沢山一緒に遊んだりしたいなって思ってるのに、いのりさんが居なくなったら何にもできなくなっちゃうじゃん! そんなのウチ嫌だよ!」

 感情が爆発した玲奈が、いのりに縋りついて号泣した。いのりは玲奈の肩を優しく抱きながら「ごめんね」と呟いた。その光景を見ながら、叶は思案した。

 相手はあらかじめ居場所を示しているから、先回りする事は容易だ。だがそこで瑠璃香の救出に失敗したら命が危ない。かと言って、要求通りに現地に行かなくても瑠璃香は殺されてしまう。

「クソ、どうしたらいいんだ?」

 叶が忌々いまいましげに独りごちると、玲奈が泣き腫らした顔を上げて叶を見た。その瞬間、叶は何かを閃いた。だがそれを叶が口に出すより早く、玲奈が言った。

「アニキ、今ウチとおんなじ事考えたでしょ?」


《続く》

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