ブラッド・ライン #11

「どっか悪いのか?」

 叶の問いかけに、瑠璃香は深刻そうな顔で答える。

「段田氏は、六年程前からパーキンソン病にかかっています」

「なっ」

 言いかけて、叶は言葉を失った。

 パーキンソン病は、脳内のドパミン神経細胞が減る事によって起こる病気で、主な症状は身体の震えや姿勢を保てなくなる事等で、根本原因は解明されておらず、難病に指定されている。かつてのボクシング世界ヘビー級王者、モハメド・アリが罹患りかんした事でその名を知られた。

「病名の診断を受けたのは六年前ですが、それ以前から初期症状はあった様です。その証拠に、段田氏はここ十年新作を発表していません」

 瑠璃香の言葉を受けて、叶は険しい表情で言った。

「すると、マサ・ダンダは自分がそろそろヤバいと思い始めたって訳か」

「はい。今年に入ってから、段田氏から遺言状作成の相談を受けていて、その時に初めて皆口いのりさんの存在を知らされました」

「奥さんとの間に子供は?」

 叶が訊くと、瑠璃香はかぶりを振った。

「おひとりいらしたんですが、十五年前に留学先のロサンゼルスで交通事故にって、お亡くなりになったそうです。奥様は、認知症にんちしょう発症はっしょうして施設に入ってらしたのですが、四年前に誤嚥性肺炎ごえんせいはいえんでお亡くなりに」

「って事は、マサ・ダンダの血縁はいのりちゃんだけか」

 叶が納得した様に言うが、瑠璃香は即座に否定した。

「いえ、まだ居るには居るんです。けど」

 瑠璃香が不自然に言葉を切ったのをいぶかった叶が、前のめりになって「けど?」と先を促す。瑠璃香は叶の視線を避ける様に顔を背けて逡巡した。

 重い沈黙が、ふたりの間を支配した。気を紛らわすかの如く、叶はコーヒーの残りを一気にあおる。

 やがて、顔を上げた瑠璃香が声を絞り出した。

「その方、段田氏の異母弟なんですが、所謂いわゆる反社会的勢力と呼ばれる方々とつながりがありまして、段田氏は彼に遺産が渡る事に難色なんしょくを示しているのです」

「反社、つまりはスジもんか」

 叶は呆れ顔で椅子にもたれた。一度ヤクザと関係を持ってしまえば、後は骨までしゃぶられると警戒するのは当然だ。

「その方が時折ブランドの経営に口を出して来たり、逆に自分の仕事への出資しゅっしをしつこく頼んだりしていて、段田氏は迷惑していたそうです。その内に病状が悪化し、ブランドの運営に支障をきたす懸念が生じた事で、危機感を覚えたそうです」

「その腹違いの弟にブランドを乗っ取られると思ったのか?」

 コーヒーを飲み干した叶が、水をひと口飲んでから訊くと、瑠璃香は頷いて続けた。

「ええ、それと、産まれてからずっと続けていた皆口さんへの援助がとどこおってしまうのも」

 確かに、国際的なブランドの運営から手を引けば、それまでにきずいた巨万の富を手放す事になる。そうすれば、隠し子に援助する余裕は早晩そうばん無くなるだろう。難病を抱えた身なら尚更なおさらだ。

「ですから、段田氏は決意なさいました」

 瑠璃香の口調が、少し強くなった。

「決意って?」

 叶が尋ねる。瑠璃香は一度アイスティーを飲んで間を取ってから言った。

「ご自身が持っているブランドに関連した全ての権利と、所有する資産を残らず、皆口さんに譲渡じょうとすると」

 スケールの大きな決意表明に、叶は絶句ぜっくした。


《続く》


 

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