ブラッド・ライン #10

 居住いずまいを正す瑠璃香につられて、叶も背筋を伸ばす。

「叶さんは、段田雅弘だんだまさひろさんをご存知ですか?」

「段田? いや」

 瑠璃香の問いに正直に答えて、叶は続きを待った。瑠璃香はパンツのポケットからスマートフォンを出して操作し、一枚の写真を見せた。

「世界的なファッションデザイナー、マサ・ダンダと言えばお判りですか?」

 画面に写る精悍せいかんな顔つきの中年男性を見た叶は、瞠目して頷いた。

 マサ・ダンダこと段田雅弘は、美術大学在学中から頭角とうかくあらわし、二十七歳の時にパリコレクションに作品を出して世界にその名を知らしめた。現在は国内外にブランドショップ二十店を展開、映画や舞台への衣装提供ていきょう等でブランドイメージを拡大している。

 叶は軽く息を吐くと、平静をよそおって瑠璃香に訊いた。

「そりゃいくら何でも、オレだってマサ・ダンダくらい知ってる、さすかに服は持ってないけどな。その有名人がいのりちゃんに何の関係があるんだ?」

 瑠璃香はスマートフォンをしまい、アイスティーで口を湿してから答えた。

「実は、皆口いのりさんは段田氏の非嫡出子ひちゃくしゅつし、なんです」

「ヒ、チャクシュツシ? ってオイ、つまりそれって――」

 叶が皆まで言う前に、瑠璃香が断言した。

「そう、隠し子です」

 今度はハッキリと、叶の目が開いた。

 そう言われてみれば、先程見せられた段田の顔はどことなくいのりに似ている気がした。叶はくちびるに指を当てて暫く絶句ぜっくしたが、急に何かを思い出して瑠璃香に尋ねた。

「ちょっと待て、マサ・ダンダって今いくつだ?」

「確か、八十一歳です」

 返答を聞いて、叶は宙に視線を彷徨さまよわせる。数秒経って、叶は瑠璃香に目を戻した。

「オイ、じゃあいのりちゃんは還暦かんれきの時に作った子かよ?」

「そう言う事になりますね」

 驚きを隠さない叶に対して、瑠璃香は当然の事の様に淡々たんたんと答える。世界を股にかけるデザイナーのバイタリティーの一端いったんに触れて、叶は天を仰いだ。

「って事は、いのりちゃんの母親とマサ・ダンダは、不倫ふりん関係だったのか?」

 気を取り直して叶が質問した。瑠璃香は落ち着き払った態度で答える。

「ええ、当時段田氏が静養で訪れた温泉旅館で、仲居として務めていた皆口さんのお母様を見初めて、密かに交際していたそうです。その頃、段田氏の奥様は肺を悪くされて入院なさっていたらしく、さびしさを埋める意味もあったとおっしゃっていました」

「何が寂しさを埋めるだ、ん? そう言えば、アンタはマサ・ダンダとどうして知り合いなんだ?」

 叶は根本的な疑問に行き当たった。超一流デザイナーと一介の弁護士との接点が、叶には思い当たらない。瑠璃香は少しだけ表情をゆるめて答えた。

「それは、私が以前別の弁護士事務所に務めていた時に段田氏を担当させて頂いていて、私の独立を知って改めて顧問こもん弁護士に指名して頂いたんです」

 ただの女好きじゃないか、と言う台詞を叶は口に出す寸前で飲み込んだ。ここで彼女を不快にしても何の得にもならない。

「まぁそれはともかく、そのマサ・ダンダの隠し子を何で守らなきゃならないんだ? もう守秘義務は通らないぜ」

 今度は皮肉でなくおどしのつもりで叶は言い放った。瑠璃香は一旦間を外す様にアイスティーを口にし、ゆっくり息を吐いてから言った。

「段田氏は今、重大な健康上の問題を抱えています」


《続く》

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