ブラッド・ライン #9

 少し早足で先を歩く瑠璃香に遅れまいと、叶も足を速めた。五分程歩いて、叶と瑠璃香は『若草』と言う古びた喫茶店に入った。出入口のすぐ前にレジカウンターがあり、その右奥に四人掛けのテーブルが四台設置されているだけのこぢんまりとした店構えだった。その一番手前のテーブルに、出入口に身体の右側を見せて座り、レジの後ろ側に広がるキッチンの上に置かれたテレビを見上げていた六十代くらいの男性が、瑠璃香を見て微笑した。

「おお、瑠璃ちゃんいらっしゃい。おやおや、男連れとは珍しいね。もしかして、彼氏?」

「そんな、違いますよマスター。お客さんです」

 瑠璃香も微笑混じりに返すと、奥のテーブルに叶を案内した。

「どうぞ」

「どうも」

 叶は軽く会釈し、瑠璃香がマスターと呼んだ男性を一瞥してから椅子に腰を下ろした。遅れて瑠璃香が座った所で、キッチンからこちらも六十代前後と思しき女性が出て来て、ふたりの前に氷水の入ったグラスを置いた。

「いらっしゃい瑠璃ちゃん。お仕事忙しそうだねぇ、いつものでいい?」

 気さくに尋ねる女性に、瑠璃香も穏やかな調子で答える。

「ええ、お願いします」

「あなた、ご注文は?」

 女性に水を向けられた叶は、愛想笑いと共にコーヒーを頼んだ。女性は手にした伝票にボールペンで注文を書きつけると、マスターに向かって「ホラ、仕事しなさいよ」とかしてキッチンへ戻った。マスターも「やれやれ」とつぶやきながら後に続く。ふたりを見送ってから、瑠璃香は叶に向き直った。

「ここは、大学時代からの馴染なじみなの。色々と気にかけてくれて、とてもお世話になってるの。私の仕事に関して変な詮索せんさくはしないから、安心して」

 叶は水をひと口飲むと、出入口を振り返ってから訊いた。

「その馴染みの店にわざわざ連れて来るって事は、アンタの事務所じゃ話せないらしいな」

「それについては、後で。で、皆口さんの何を知りたいの?」

 眉間に皺を寄せて問いかける瑠璃香の前に、叶は前金入りの封筒を放った。

「悪いが、アンタの依頼は続行不可能だ。対象、つまりいのりちゃんにめんが割れた」

 叶が告げると、瑠璃香の顔に動揺の色が浮かんだ。

「どうして? 彼女と何かあったの?」

「彼女と、じゃなくて彼女に、だ。アンタ、オレに何か隠してないか?」

 叶が身を乗り出して訊くと、瑠璃香の目がわずかに泳いだ。叶は瑠璃香の反論を待たずに続けた。

「いのりちゃんはえず何かにおびえ、警戒してた。それに実際、一昨日の夜は原チャリにかれかけ、昨日は持ってたバッグをバッサリ切られた。恐らくその前にも何度か危ない目に遭ってる筈だ、そんな娘の身辺調査ってのは、どう考えてもおかしい。アンタ、あのが狙われる理由わけ、知ってるよな?」

 叶の指摘を、瑠璃香は黙って聞いていた。そこへ、女性がコーヒーとアイスティーを運んで来た。コーヒーを叶の前に、アイスティーを瑠璃香の前に置くと、余計な口は挟まずに伝票を置いてキッチンに戻った。叶は女性に軽く頭を下げてからコーヒーを口に運ぶ。瑠璃香は傍らのストローを使ってアイスティーをひと口飲むと、テーブルにひたいをこすりつけんばかりに頭を下げた。

「ごめんなさい。身辺調査と言うのは嘘、本当は、皆口さんを守って欲しかったの。でも、ボディガードを頼むとなると、どうしても彼女の素性すじょうについて訊かれると思って、仕方無くいつわりの依頼をしてしまったの」

「頭を上げてくれ。ったく、そんな事だろうと思ったぜ。じゃあアンタは知ってるんだな? 足ながおじさんの正体を」

「足ながおじさん?」

 顔を上げた瑠璃香が、怪訝けげんそうに訊き返す。叶は半笑いで言った。

「とぼけんな、いのりちゃんの母親は誰かから金銭援助を受けてた。母親が亡くなった今も援助は続いてるそうじゃないか、もっとも、母親はその足ながおじさんを快く思ってなかったふしがある。つまり――」

「判りました」

 瑠璃香が強い口調で叶の言葉を遮った。叶がコーヒーカップを持ち上げて待ちの姿勢を取ると、瑠璃香がストローをくわえてアイスティーを半分程飲み込んでから、意を決した様にひとつ頷いた。

「全て、お話します」


《続く》


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