ブラッド・ライン #7

 バンデン・プラをいのりの自宅マンション付近で停めた叶は、ハンドルに乗せた両手の指をせわしなく動かしながらいのりの帰宅を待った。だが、いくら待っても姿を現さない。腕時計で時間を確認してみるが、電車が運転見合わせでもしない限り、既に最寄り駅は通過している筈だった。念の為にスマートフォンで交通情報を調べたが、当該とうがい路線に遅延ちえんや運転見合わせの情報は出ていない。

「おかしいな、まさか戻りの電車で何かあったのか?」

 不安をつのらせた叶が、エンジンを止めて運転席から出た時、後ろから走って来たタクシーが叶のすぐ横を追い越し、マンションの前で停まった。後部座席からいのりが降りて、叶に顔を向けた。

「あっ」

 いのりと目が合ってしまい、叶は己の軽率けいそつな行動をのろった。だが表情には出さずに軽く会釈する。叶としては、このままいのりに自宅へ戻ってもらいたかったが、当然そうなる訳も無く、いのりが不思議そうな表情を浮かべて寄って来た。

「あ、あの、昨夜ゆうべはありがとうございました」

 改めて礼を言われて、叶はやや困惑しつつ笑顔で「あ、いえ」と返事した。

 この場をどうごまかして離脱りだつするかを頭の中で懸命けんめいに考えている叶に向かって、いのりがおずおずとたずねた。

「あの、もしかして貴方、足ながおじさんですか?」

「は?」

 想定外の質問に、叶は間抜け面でリアクションした。だがいのりの眼差まなざしは真剣そのものだったので、叶は下手なごまかしは効かないと観念かんねんした。

「残念だけど、オレはこう言うモンだ」

 叶がしめした名刺を見て、いのりは目を丸くした。

「探偵、さん?」

「ああ。君の身辺調査の依頼を受けて、昨日から君に貼り付いてたんだが、バレちまったからこれでおしまいだ。驚かして悪かった」

 謝罪した叶がバンデン・プラに戻ろうとすると、いのりが「あのっ!」と引き止めた。ドアを開けようとした手を止めて、叶がいのりを見た。いのりは真剣な表情のまま、叶に言った。

「足ながおじさんを、探してくれませんか?」

 数秒、叶はいのりと目を合わせた。だが、軽く息を吐くと微笑びしょう混じりに返した。

「話、聞かせてくれる?」


 いのりの先導せんどうで、叶はマンションの中に足を踏み入れた。そこそこ年季が入っているらしく、正面玄関にオートロックのたぐいは設置されておらず、入ってすぐ右に管理人室がった。中では初老の男性がテレビを観ながら湯呑みで茶を啜っていた。

 エレベーターで三階に上がり、ほぼ中央の三○二号室に案内された。表札には『皆口』と手書きされている。

「どうぞ」

 いのりに促され、叶は三和土たたきで靴を脱ぎ、傍らに並べられたスリッパを一足借りて室内に入る。後から入ったいのりが、先に立って叶をリビングへ通した。

 部屋の間取りは2LDKで、浴室とトイレは別になっている。人の気配が全く無い事に、叶は疑問を覚えた。いくら古い建物とは言え、この規模の部屋を大学生がひとりで維持するのは相当難しい筈だ。先程いのりが言った「足ながおじさん」が関係しているのだろうか?

 いのりはリビングの中央をめる応接セットのソファに切られたトートバッグを置くと、奥のキッチンへ進みながら叶に反対側のソファを勧めた。

「かけてください。今、お茶入れますね」

「ありがとう」

 叶はソファに座ると同時に、トートバッグを観察した。厚手の布でできたトートバッグが、綺麗きれいに横一文字に切り裂かれていた。切り口のほつれも少ない所を見ると、かなり鋭利えいりな刃物を使った様だ。良く見ると、中の教科書にまで刃が達している。昨夜の原付バイク同様、おどしのレベルを超えた所業しょぎょうだ。

 考え込む叶の前に、いのりがマグカップを置いた。反射的にいのりを見上げて「ありがとう」と告げると、叶はカップを取り上げた。煎茶せんちゃの香りが鼻をくすぐる。いのりもマグカップを手に対面に腰を下ろし、茶をひと口飲んで息を吐いた。叶も茶を飲んで口を湿してからいのりに尋ねた。

「それで、足ながおじさんってのは?」


《続く》

 

 

 

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