ブラッド・ライン #4

 翌朝、叶は閑静かんせいな住宅街の片隅で、電柱にもたれながら缶コーヒーを啜っていた。その視線は、数メートル先の七階建てのマンションに注がれている。「おっ」

 何かを認めた叶が、身体の位置をずらしながらジャケットのすそのポケットにいた右手をねじ込んだ。

 叶の視線の向こうに、セミロングの黒髪をハーフアップにまとめ、薄茶色のフード付きハーフコートに長めのプリーツスカートを着た若い女性が居た。肩にトートバッグを提げ、スマートフォンに目を落としながらマンションを出て歩き出した。皆口いのりである。トートバッグのはしから突き出ているのは、どうやらフルートのケースらしい。

 叶は腕時計で時間を確認してから、スマートフォンを口に近づけた。

「七時十六分、自宅マンションを出る」

 ボイスメモにそう吹き込むと、コーヒーを飲みながら後を追った。

 十分程歩いて、いのりは最寄もより駅の自動改札をくぐった。叶は慌ててスラックスのポケットからICカードを取り出して改札を通った。まだ通勤つうきんラッシュには早いが、利用者の数はかなり多い。叶はいのりの背中を見失わない様に人混みを進んだ。

 階段を上り切って、いのりはホームの端へ向かっていた。叶も一定の距離を取ってついて行く。やがて、いのりが乗車列の最後尾に立つ、と同時に険しい顔で辺りを見回し始めた。突然の警戒けいかいに、叶は尾行びこうさとられまいと人混みに姿を沈めながらいのりの後方へ身を移した。

 やがて、スピーカーからのアナウンスの後に電車が到着した。それまで妙に周囲を気にしていたいのりが、漸く緊張を解いて電車に乗り込んだ。やや遅れて叶も乗車する。

 乗車率が高めの車内で、叶は周囲の圧迫に耐えながら車両の隅にたたずむいのりを視界にとどめ続けた。


 二十分程って、いのりは司馬音楽大学の最寄り駅で下車した。その頃には乗車率がいくらか下がっていたので、叶もろうせずに電車を降りた。そのまま下り階段へ向かうのかと思いきや、いのりは階段を通り過ぎてホーム中央寄りに設置せっちされたエレベーターに乗った。

「何?」

 降車客の流れに逆らってまでエレベーターを使う事に疑問を持ちつつ、叶は群衆ぐんしゅうの中をう様に階段を駆け降りた。さすがに駅のせまいエレベーターにまで同乗するのは危険だ。

 階段を降り切った叶は、まだゴンドラが降りて来ていないのを確認してからエレベーターの後ろ側に回った。人の流れから外れてひと息吐く。

 数秒後、いのりがエレベーターから降りて改札を出た。叶もついて行く。次第に、いのりの周辺を歩く人々の年齢層ねんれいそうそろって来た。司馬音楽大学の生徒の割合が増えたのだろう。居心地いごこちの悪さを覚えた叶は、大学の正門が見えた辺りで進路を変え、登校するいのりを遠巻きに見つめながらスマートフォンを取り出した。

「八時二分、大学へ登校」


 それから叶は大学付近を物色しながら歩き、『カフェテリア SK』と言う店に入った。午前中の早い時間だからか、店内は出勤しゅっきん前らしきスーツ姿の男性が目立つ。カウンター席に腰を落ち着けた叶は、応対したウェイトレスにトーストとコーヒーを注文してから、スマートフォンで『皆口いのり』と検索エンジンに入力した。

 トップに表示された本名でのSNSアカウントを開くと、友人と撮った写真や旅先の風景ふうけい等がアップされていた。さして変わった所も見受けられない、良くある女子大生のそれと大差無かった。叶はSNSを閉じかけて、ふと思い立ってアカウントのアイコンを押した。一瞬画面が暗転あんてんし、二十四時間で消去される限定投稿げんていとうこうが表示された。そこには写真は一切っておらず、白抜きのゴシック体文字で『誰かに見られてる気がする』『学校に変な電話かかってきた』『イタズラ電話かな 怖い』と連続で投稿されていた。途端とたんに、叶の表情が険しくなる。そこへ、トーストとコーヒーが運ばれた。礼を言って受け取った叶は、トーストをかじりながら思案しあんふけった。

 余り他人に見られたくないからこそ、いのりは時限じげん投稿にのみ書いている筈だ。だとすれば、まだ大事に至っていないだけで、いのりの身辺には明らかに異変が起きている。

「これは、ただの身辺調査じゃないな」

 ひとりごちた叶は、トーストを口に放り込んでコーヒーで胃に落とした。


《続く》

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