ブラッド・ライン #3

 コーヒーを飲み終えて、ふたりは同時にソファから腰を上げた。

「では、失礼します」

 叶に向かって慇懃いんぎんに頭を下げた瑠璃香がきびすを返して、玄関扉に貼られた麻美の顔写真付きチラシに目を止めた。

「こちらは?」

 振り返って訊く瑠璃香に、叶は写真を見つめて答えた。

「妹の麻美。九年前から行方不明」

「ご自分で探してらっしゃるのですか?」

「ああ。警察は当てにならんのでね」

 叶は明後日あさっての方向を向いて言った。瑠璃香は再び麻美の顔写真に目を転じ、「麻美、さん」と口の中でつぶやくと、合点がてんが行った様に二、三度頷いて出て行った。

 調査対象である皆口いのりのデータを待つ間、叶はデスクの引き出しからノートパソコンを出して『ラピスラズリ法律事務所』と瑠璃香本人について調べ始めた。ホームページによれば、設立は三年前で、所属する弁護士は瑠璃香のみ。瑠璃香は現在四十歳、永光えいこう大学法科大学院卒業後に司法修習しほうしゅうしゅうて『弁護士法人 神田法律事務所』に入所と記されていた。『神田法律事務所』は全国各地に支部を持っていて、叶でも知っている有名な事務所だった。そこから独立した弁護士なら、実力は本物だろうと叶は見当をつけた。

「ま、取り敢えず寝直すか」

 ノートパソコンを閉じると、叶はジャケットを脱いでデスクに放り、スラックスのポケットからスマートフォンを取り出してマナーモードに切り替えてジャケットの上に置き、ベッドへ直行した。


 目を覚ました叶が、頭をきながらベッドを出た頃にはすっかりも暮れていた。時計を見上げると午後七時過ぎを示している。

 叶はデスクに歩み寄ってスマートフォンを取った。メールが届いている事を確認するとスラックスのポケットにねじ込んでジャケットを羽織り、二客のコーヒーカップを手に玄関を出た。

 階段を降りて『喫茶 カメリア』に入り、出迎えた桃子にカップを渡して奥のカウンター席に陣取った。後ろから桃子が尋ねる。

「ねぇともちん? あの美人弁護士さんの依頼、受けたの〜?」

「ああ」

 素っ気無く答えた叶がスマートフォンを取り出しながら注文しようとした矢先、桃子が険のある大声でキッチンに向かって告げた。

「あなた! カレーライス!」

 機先を制されて戸惑う叶に無言で水を出すと、桃子は足早にカウンターの奥へ引っ込んでしまった。叶は苦笑しつつ、メールをチェックした。

『皆口いのり 資料』と題されたメールを開くと、彼女のパーソナルデータが数行に渡って記載されていて、昼間に見せられた写真が添付されていた。

皆口いのりは現在十九歳、先に瑠璃香から聞かされた通り司馬音楽大学に通っていて、フルートを吹いているらしい。現住所やアルバイト先は書いてあるものの、家族構成への言及げんきゅうが無い事が気になった。音楽大学は一般的な四年制大学よりも学費がかかるらしいと、叶は以前に聞いた事があった。余程よほど家庭に金銭的余裕が無ければ、現役で通うのはきびしいはずだ。

 妙なきな臭さを覚えながら、叶はいのりの写真を自分の画像ファイルに移してメールを閉じた。そこへ、この店の主人で桃子の夫の椿大吾つばきだいごがカレーライスを持って姿を現した。

「お待たせしました」

「お、サンキュー」

 笑顔で受け取った叶は、勢い良くカレーをかき込んだ。


《続く》

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