ブラッド・ライン #2

 開け放った扉の向こうを見た叶の表情が、瞬時しゅんじに硬直した。

 目の前に立っていたのは、ショートカットの黒髪に濃い紫のパンツスーツを着てショルダーバッグを提げた、およそ麻美とは似ても似つかない外見の、三十代後半くらいとおぼしき女性だった。そのととのった顔に、明らかな動揺が見て取れる。ジャケットの左えり天秤てんびんのレリーフがほどこされたバッジを認めて初めて、叶は相手の正体に気づいた。

「あ、失礼、えっとアナタが」

 叶の言葉に割り込ませて、女性が言った。

「ええ、午前中にお電話を差し上げた弁護士の朝見瑠璃香あさみるりかです」

 瑠璃香が会釈えしゃくしたのに反応して、叶も頭を下げる。そのままふたりとも数秒沈黙ちんもくしたが、やがて叶が軽く咳払せきばらいをしてから瑠璃香を室内へうながした。頷いた瑠璃香がソファに腰を下ろすと同時に、叶はスマートフォンを取り出して『喫茶 カメリア』に電話をかけてホットコーヒーをふたつ頼み、デスクのすみに置いた名刺入れから名刺を一枚取り出して瑠璃香の対面に座った。

「改めて、探偵の叶です」

 瑠璃香はふたりの間をへだてるテーブルに置かれた名刺をうやうやしく受け取ると、自らもジャケットの内ポケットから名刺を抜き出して叶に渡した。右上に『ラピスラズリ法律事務所』と記載されている。小さく鼻を鳴らして名刺をしまうと、叶は瑠璃香を真っ直ぐ見て切り出した。

「で、弁護士さんがオレに何を依頼したいんです? 言っときますが汚れ仕事の肩代わりならお断りですよ」

 叶の嫌味を含んだ問いに、瑠璃香は動じる事無く返した。

「実は、ある方の身辺調査をお願いしたいのです」

 言い終えると同時に、瑠璃香がスマートフォンの画面を叶に向けた。映し出されているのは、十代後半から二十代前半くらいの若い女性の姿だった。画像の粒子が粗く見えるのはプリントした写真をスマートフォンで撮影した物か、さもなくば遠距離で撮った写真を拡大した所為か? いずれにせよ、撮られた側の許可は得ていない写真である事は明らかだ。

 叶が質問しようと口を開きかけた時に、玄関扉を軽快にノックしてから桃子がコーヒーカップを二客乗せたトレーを持って入って来た。

「お待たせしましたぁ、コーヒーおふたつでぇ〜す!」

「ありがとう、桃ちゃん」

 叶の礼に答えるでもなく応接テーブルに近づいた桃子が、いきなり瑠璃香の顔をのぞき込んだ。

「えっ? な、何ですか?」

 驚く瑠璃香の問いを無視して満足げに頷くと、素早く叶に目を転じた。思わず身体をのけ反らせる叶に、桃子が笑顔で言った。

「良かったわねぇ〜ともちん、美人の弁護士さんで。でもダメよ、今回はキチンとギャラもらわなきゃ、ね!」

「あ、いや桃ちゃん、まだ話はそこまで――」

「はいどぉぞ〜、ともちんの好みでお砂糖もミルクもありませんから、お口に合いますかどうか〜オホホホ」

 叶の言葉をさえぎってまくし立てると、桃子は高笑いと共に去って行った。呆気あっけに取られて見送る瑠璃香に、叶が慌ててフォローを入れる。

「あ、すみません、彼女は下の喫茶店のママでして、その何と言うか、お節介せっかい焼きみたいな所がありまして」

 瑠璃香は曖昧あいまいに頷くと、再びスマートフォンの画像を示して話を続けた。

「彼女は皆口みなぐちいのりさん、司馬しば音楽大学の二年生です」

「音楽大学? じゃあ結構けっこういい所のお嬢さんの様だな、何でそんなの身辺調査を? まさか、今抱えてる案件の重要証人とかか?」

 叶の質問に、瑠璃香は目を泳がせて返した。

「それは、申し訳ないのですが私どもにも守秘義務しゅひぎむがありまして」

「あ、そう。オレもたまに使うけど便利だよな、『守秘義務』って言葉」

 叶が皮肉ると、瑠璃香の顔がややけわしくなった。

「期間は取り敢えず一週間。場合によっては延長もあり得ますが、お引き受け頂けますか?」

 数秒、叶と瑠璃香の眼差まなざしが交錯こうさくする。先に緊張を解いたのは叶だった。

「判った、引き受けよう。別に断る理由も無いし」

 色良い返事に、瑠璃香も胸をで下ろした。

「ありがとうございます。では、こちらは手付金です」

 瑠璃香がショルダーバッグから封筒を取り出して、テーブルに置いた。叶は何気無いふうつかみ上げてジャケットの内ポケットにしまうが、内心は封筒の予想を超えた厚さに興奮していた。

「では、彼女の写真とデータは後程メールでお渡し致します」

 そう言って瑠璃香は立ち上がりかけ、思い出した様にコーヒーを口にした。たちまち顔がほころぶ。

美味おいしい」

「だろ?」

 同意して、叶もカップを口に運んだ。


《続く》

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