ブラッド・ライン #1

 午後一時を過ぎた頃に、叶友也かのうともやは不機嫌そうな顔で『喫茶 カメリア』に入った。日課である朝のロードワークの時にしか着用しない、黒のジャージ上下にスニーカーと言うで立ちである。トレーを小脇に抱えて駆け寄った椿桃子つばきももこは、叶の普段と異なる様子を察知して眉根まゆねを寄せた。

「いらっしゃいともちん、どうかしたの?」

「どうもこうも無いよ全く」

 叶は桃子を見ずに吐き捨て、店の奥のカウンター席に取り付いた。素早く桃子がグラスに水を注いで差し出すと、受け取るなり一気飲みした。その勢いに、さしもの桃子も言葉が出ない。

 空のグラスをカウンターに置いて大きく息を吐いた叶は、ようやく落ち着きを取り戻したのかおだやかな口調で話し始めた。

「ああ、ごめんね桃ちゃん。いや、オレが朝のロードワークを終えて帰って、ちょっと仮眠ろうと思って寝に入ったら突然電話がかかって来たんだよ。まだ八時前だぜ?」

「あら〜、それはタイミング悪かったわねぇ〜」

 桃子が表情をくもらせて同情して見せると、叶は水のおかわりを要求してから続けた。

「だろ? だから最初は面倒臭くて出なかったんだよ。スマホならともかく事務所の固定電話だったからさ、ベッドから出て行きたくなくてさ。だけど、鳴り止まないんだよこれが!」

「まぁ、随分諦ずいぶんあきらめが悪いのね〜その相手」

 桃子が水をグラスに注ぐと、叶はひと口飲んで唇を湿した。

「十コール過ぎても切らないから、オレも根負こんまけして電話に出た訳。そしたら相手が弁護士べんごしだった」

 弁護士と言う単語に、桃子が目を丸くした。

「えぇ〜弁護士? もしかしてともちん、何かうったえられる様な事しちゃったのついに!?」

「遂にって、まぁでもさすがにオレも目が覚めて、真面目に話を聞こうと思ったんだよ、それで何の用かと思ったら――」

「思ったら?」

 叶が言葉を切った所に、桃子が首をかしげながらたずねた。叶はもうひと口水を飲んでから、溜息混ためいきまじりに言った。

「仕事の依頼だった」

「なぁんだぁ〜つまんないのぉ」

 桃子があからさまに残念そうな顔で肩を落とした。だが叶は構わずに続ける。

「いやだってさ、依頼ならわざわざ電話でアポイントなんて取らないで直接事務所に来ればいいだろ? それをバカ丁寧ていねいに『ご都合のよろしい時間は』なんて訊かれて、それこそガッカリだよ」

 今度は桃子が溜息混じりに訊いた。

「で、そのアポイントどうしたの? まさか断ったの? 余りにムカついたからって」

「いや、受けたよ。二時に来る」

「は?」

 叶の返答に一瞬戸惑った桃子だが、数秒後には何か思い当たったのか、気色悪い笑顔で問いかけた。

「その弁護士って、女性でしょ?」

 その刹那せつな、叶の顔面が引きつった。図星ずぼしと察した桃子が、更に目を細める。

「やっぱり〜、もぉ判り易いんだからともちんは〜」

 叶は桃子の意地悪そうな視線をかわす様に顔をそむけながら告げた。

「そ、それより桃ちゃん、ナ、ナポリタンくれる? コーヒーもつけて、ね」

「はいはい、かしこまり〜」

 気色悪い笑顔を貼り付かせたまま、桃子はカウンターの向こう側へ入った。安堵あんどした叶は、グラスに残った水を飲み干して、軽くゲップした。


 昼食を終えて『叶探偵事務所』に戻った叶は、ジャージから黒のスーツに着換えてデスクに歩み寄り、午前中の電話の際に書きつけたメモを確認した。だが不機嫌な状態で走り書きした所為せいか、自分でも解読かいどくできない程汚い文字がそこに存在していた。

「ダメだこりゃ」

 ボヤくと同時に、叶はメモした紙を握り潰してデスク脇のゴミ箱に投下した。と同時に、事務所の玄関扉をノックする音が響いた。叶が壁に掛けた時計に目を転じると、一時五十五分を差していた。

「来たのか?」

 やや怪訝けげんそうな顔で、叶は玄関に近づいた。

「どちら様?」

 叶の問いに、扉の向こうから女性の声が答えた。

「どうも、あさみです」

「あさみ?」

 叶の目が、通常の倍近く見開かれた。玄関扉の内側に貼られた行方不明の妹、麻美の顔写真が視界に入り、動悸どうきが高まる。

「麻美!」

 顔を紅潮こうちょうさせた叶が、扉を勢い良く開けた。


《続く》

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